平穏に年の瀬を越えたい!(2023.12.1)

中東の紛争・ロシア/ウクライナの紛争。中国の無謀。北朝鮮の暴挙。国内では岸田政権の支持率低下。闇バイトの暴走。ジャニーズ/宝塚歌劇団の闇・・・。

何故こうも次から次へと心悼むことが続くのでしょう。

 私は昭和23年(1948年)生まれで、いわゆる戦後生まれです。不自由なことを殆ど体験せず、高度成長の波の中で、大量生産・大量消費、人生の半分50年ほどは、頑張れば夢もかなう、手にも入る事例も多く見てきました。

 しかし、1990年以後徐々にバブルがはじけ成長が止まり、各種のショックが起こり21世紀(2000年)に入ってからは、デフレスパイラルに飲み込まれあらゆる物が手に入りにくくなりました。けれど戦争という最も無駄でばかげた行為は起こらず(局地的にはあったが)不自由をしのぎながら頑張ってきました。だが、一方バブルの成長の夢も捨てがたくジレンマの中で、手詰まりが続いてきました。

 いよいよここへきて新型コロナという100年に一度の世界をめぐる疫病にも侵され、人心共に世界中で混乱が起こっています。最も残念なことはロシアのウクライナへの軍事侵攻という戦争が勃発したことです。全体主義国家と自由主義国家の綱引き対立が誘発され、資源競争にも波及し加えて中東では宗教や民族問題に起因する対立も激化しており、収まらなければ世界大戦にまた引き込まれる可能性まで危惧される状況です。

何の罪もない人を犠牲にする戦争を絶対にしてはなりません。

 世界の人々がそんな危険な状況にどう対処すべきかの国民議論をしているのに、我が国では国民世論の結集を目指すこともせず、10年先の課題も先送りにさらしコップの中の騒動に明け暮れしているように思えてなりません。皆で気づきましょう。もう後へ引けないところに来ているのではないでしょうか?

 この国の社会をどう守るかの大切な時に、国内で泥棒騒動や組織内対立の陰湿な事件が注目するような低次元な国家社会を検めましょう。
気候・自然の地球環境も厳しい変動にさらされ、一部論調では「地球沸騰」などと捉えて危機を訴えていますが、みんなの気付きと行動で自らの(人類の)命を守る機運を高めましょう。

未来への扉を開く新しい年を迎えたいものです。

時間は待ってくれない
かけがえのない ”時間“、今生きているこの時間のすばらしさ

月刊『致知」2023.12月号【巻頭の言葉】より引用 
アサヒビール社友 福地茂雄

“いま”は、既に過ぎ去った過去

 自営であれ、中小企業であれ、大企業であれ、一つの経営体を維持していく上で大切なものは”ヒト、モノ、カネ”と言われてきました。しかし私は、”時間””情報”も同様に大切だと思います。

 ”ヒト”は、自己研鑽や第三者による研修、またはその企業が必要とする人材を新規採用することによって、量も質も増やすことができます。”モノ” は、研究・開発部門の人材によって新しく生み出され、さらに機能を高めたり、また量を増やすこともできます。”カネ”は、元手を増やしたり借り入れをしたりすることで充足できます。

 しかし、”時間”はどうでしょうか。 時間は誰にも等しく一日二十四時間しか与えられていません。 増やすことも借りることもできず、限られた二十四時間を有効に利用するしかないのです。 諺に「急がば回れ」とありますが、慌ただしいビジネスの現場では、回り道をする決断をなかなか下しにくい現実もあります。

 時間の流れを表す言葉として、過去、現在、未来があります。辞書には、それぞれの意味が次のように説明してあります。
 ・過去: 過ぎ去った時刻
 ・現在: 過去と未来の間、いまこの時
 ・未来:これから来る時、将来
あいにくこの説明を読んでも、いつからが現在で、いつまでが現在となるかはっきりしません。

 経営判断の場では、”現在”はなく、いまという過去”しかないと私は思っています。刻々と状況が変化する経営の現場では、”現在”、すなわち〝いま”は、既に過ぎ去った過去なのです。

 そう考えると、”いま” できる経営判断を明日という将来に引き延ばしてはなりません。”いま” できることは”いま”決断すべきです。いまは、いまという過去 “に過ぎないのです。

いま成すべきことを十分成し遂げているか

 昨年、『日本経済新聞』の一面トップに、「揺らぐ人材立国/『低学歴国』ニッポン 博士減、研究衰退30年 産学官で意識改革を」という記事が掲載されました。さらに翌朝には、「空洞化する卒業証書学び直し、企業も学校も」と書かれていました。

 私は、必ずしも立派な学歴が必要だとは思いません。問題を感じるのは、「空洞化する卒業証書」、つまり、相応の学力に達していないのに安易に卒業証書を渡すことです。

 最近、社会に出てからの学び直しのニーズが高まっています。 仕事に求められる専門知識を身につけ、自分の能力に磨きをかけることはもちろん素晴らしいことです。しかしその一方で、在学中の時間の無駄遣いについても考えていく必要があると私は思います。

 学業の場は事業の場と同じで、「いま成すべきことを十分成し遂げているか」「いま成すべきことを明日以降に延ばしていないか」を常に問うていくことが大切です。

 ”いま”は飛んでゆく矢の如く過ぎ去っていきます。そして二度と戻ってきません。私たちは、”いま”という時間をいかに無為に過ごしていることでしょうか。

「少年老い易く学成り難し」 「一寸の光陰軽んず可からず」の金言をいま一度噛み締め、それぞれの立場で”いま” できること “いま”判断すべきことを、明日に引き延ばすことのないよう心掛けていきたいものです。

“いま”は飛んで行く矢の如く過ぎ去っていきます。
そして二度と戻ってきません。「いま成すべきことを明日以降に延ばしていないか」を常に問うていくことが大切です。