暑さも乗り越え頑張ろう!(2024.6.1)

夏も近づく八十八夜・・野にも山にも若葉が茂る‥・こんな日本の風情と情緒は何処へ・・・。

 もう5月から真夏日予報が観測され、これからの台風シーズンや、異常気象が心配だし、各地で頻発する地震情報も気になる。

 収束の見えないロシアのウクライナへの侵攻と攻防、イスラエルとパレスチナ・ハマスへの攻撃、さらにミャンマーや太平洋の楽園でも民族紛争が起き、世界の平和維持が使命の国連の調整も機能が果たせず、混迷している。

 国内では自民党内での活動交付金をめぐっての裏金問題と、選管への報告の不記載などによる、国会議員の政治活動と資金管理や報告のズサンさによる政治不信、とりわけ自民党の取り組み姿勢に有権者のバッシングが続いて、混乱が収まらない。どっちを見ても不安や混乱が収まらない事態が続いているが、誰も喜ばしいと思う人はいないだろう。

 そんな中一服の清涼剤ニュースは、アメリカ大リーグで活躍する「大谷翔平」さんや、「ダルビッシュ有」選手など、日本人選手が活躍するニュース、大相撲では「大の里」が入門以来1年で、僅か7場所の本場所経過で小結まで駆け上がって、先の5月場所で初優勝に輝いたニュースだろう。やはりその道で精魂込めて頑張る姿は、誰もが感動を覚える事でしょう。7月にはフランスでオリンピック・パラリンピックが開催され、日本選手の活躍や頑張る姿を見られるが、スポーツが心の清涼剤となることに期待したい。

 6月は県議会でも定例議会が開催されます。久しぶりに地方の課題を、未来志向で解決をめざせるような取り組みについて、提言を含めて本会議で登壇し「一般質問」を行いたいと思っています。

 ともかく色々あってもお互いを理解し尊重し、助け合って頑張りましょう。 

人間の是非のものさしを棄て、天の心、神の心で生きる
            ― お題「和」にちなんで ―

月刊『致知」2024.6月号【巻頭の言葉】より引用 
愛知専門尼僧堂堂頭 青山俊董

~ 人間世界の是非善悪は いいかげんなもの ~

首をめぐらせば五十有余年
人間の是非 一夢の中
山房五月 黄梅の雨
半夜蕭々(しょうしょう)として虚に灑(そそ)ぐ

 雨期、梅の熟する季節になると、この良寛さまの詩を思い出す。 「人間」は「にんげん」と読まず 「じんかん」 と読んだほうがよいであろう。 人間世界の是非善悪はいいかげんなものだよ、という程の意味といえよう。

 今年の歌会始のお題は「和」であった。「和」ということを聞いてまず心に浮かぶのは聖徳太子の「十七条憲法」の第一に出てくる「和を以て貴しと為す」の一句。

『論語』の中に出てくる孔子の言葉である。

 聖徳太子は日本最初の女帝である推古天皇の皇太子となり、摂政として政治をつかさどった。当初、蘇我氏と物部氏が勢力争いをしており、たまたま伝来した仏教を受け入れるか否かで、また対立した。蘇我氏は仏教を受け入れ、その興隆に尽力したが、物部氏は拒否して、仏像や塔を焼き捨てるという暴挙に出た。

 聖徳太子が「十七条憲法」の第十に、「盆(こころのいかり)を絶ちて、(おもてのいかり)を棄て、人の違うこと怒らざれ。 人皆心あり。 心おのおの執ることあり。かれ是とすればわれ非とす。われ是とすればかれ非とす。 われ必しも聖にあらず、かれ必しも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ」
 と云わないではおられないお気持ちが、いたいほど伝わってくる。「いかり」を心のいかりと、顔に出すいかりにわけて説かれていることもすばらしい。

~ 松影の暗きは 月の光なり ~

 われわれは、いついかなるときも、意識にものぼらないほど深いところで、つねにわが身に執しつづけている。私にとって是か非か、気に入るか気に入らないか、損か得か、好きか嫌いか・・・・・・。 小さくは人と人と、大きくは国と国とが、どちらも正義の名のもと、神の名のもとに限りない争いを繰り返している。ロシアとウクライナの争いをはじめとして、世界中でみにくい争いが続けられている。

 正義の「正」の字は「一以て止まる」と書き、「一」 は 「天の心、神の心」といわれている。神が争うはずがない。 人間神や正義をかざして争っているにすぎない。良寛さまの「人間の是非、 一夢の中」の一句のお心を思うことである。

 法然上人のお歌に「松影の暗きは月の「光かな」というのがある。真っ暗闇では松が立っていることも、黒い影をひいていることも全く見えない。黒い影をひいていることに気づかせてくれるのは、月が出ている証拠である。

 自分の中の、自分でも気づかない愚かさを、道をはずれた言動を、それと気づかせてくれるのは、私を照らしてくださる仏の光が明るい証拠である。 聖徳太子を照らす仏の光が、いかに明るいものであったか。 太子の仏教への学びの深さを思うことである。