衆議院選挙近し(2009/7/1)

暑中お見舞い申し上げます。

 今度は衆議院選挙に進むだろう。

 昨年の10月から衆議院の解散が、何時かいつかと気をもんできたのであるが、世界的不況の嵐に入り、一挙に雇用不安も噴出し、雇用経済対策が何よりの優先事項だと選挙どころではなくなっていたのだが、いよいよだろう。

 しかし、この選挙が大変な状況含みである。政治資金の問題やら、地方分権主張の「のろし」やら、世襲議員の問題やら・・・本来の国の根幹政策を問う問題も山積みなのに、チョッとレベルが低いことに目を向けられていないだろうか?

 政権交代・政権交替とアッパッパー節のように鳴り回っている様にも思えるが、党として意志も統一できず、綱領(ルール)の定めの無い衆議で、安全・安心な国家が建設できるのだろうか。

  私ははなはだ疑問に思っているが、取り返しのつかない方向に行かないことを願うのみだ。

 無責任にいいたい放題ではいけない。仏様では無いので完全な事は出来なかろうが、自分言動には責任を持って、政治倫理を社会の範として、政治家が示さなければ、益々社会は混乱する。

 品格ある国家をめざそう!世界から信頼される国家をめざそう!

 当初予算・補正予算と景気対策予算が組まれ、早期の回復が望まれるが、ああでもない、こうでもないで効果を半減させてはならない。
 効果を生まなければ無駄となり、大きな付けが残るのだ。

母のあり方

-アサヒビール名誉顧問 中條高德(月刊『致知』7月号巻頭の言葉より抜粋引用)-

『頻発する痛ましい事件』

 人の世にあるまじき事件がまた起きた。

  いま(平成21年4月)、大阪市西淀川区の佃西小学校の松本聖香さん(9歳)が、実の母親や同居する義父らによって遺棄され、奈良の山中から遺体が発見された情報がテレビで盛んに流れている。

  このような身勝手な母親が最近多くなっている現実が悲しい。

  もちろん、血のつながりのない義父のような立場で同居していた男の非情さも罪深いが、血を分けた、いわば「十月十日(とつきとおか)の腹ごもり」をして産んだ娘を、自己中心的な愛欲の情にかられて自らの手で殺(あや)めるというような事件が昨今多発している。

  「啐啄(そったく)同時」(※)という教えがある。卵から雛(ひな)が誕生する時、親鳥は外からつついてやり、それに合わせるように内から雛も殻をつつくことで殻が破れ、新しい生命(いのち)が誕生することを表現している。

  両者のタイミングが一致するからこそ、雛はこの世に生を受けることができるのであり、早過ぎても遅過ぎてもいけない。その絶妙な自然の摂理を表している。人間の誕生もまったく同じである。

  十月十日の母親の腹ごもりも、時満つれば陣痛が始まる。汗までしたたる陣痛の苦しみに見舞われるのは母親だけではない。母親の腹の中の嬰児(えいじ)も世に生まれ出ようと動き力む。
  まさに神のつくり出したような母子(おやこ)の共同作業なのである。出産は神業(かみわざ)といわれる所以(ゆえん)である。

  この事件も詳しいことは司直(しちょく)の手に任さねばならないが、いずれにせよ神業ともいうべき自分のお腹を痛めた娘を寒いベランダに放置し、同居している男とその子供と3人で焼肉屋で食事をするのを常としたと報じられている。

  野にいる獣にも劣るようなこうした所為(しょい)は人間の仕業とは思えない。ましてや母親の所為とはとても考えられない。

  寒さに震え、飢えに1人泣く聖香さんを思えば、たまらなく切ない。それなのに、母親が我が子を殺す痛ましい事件が頻発(ひんぱつ)するのはなぜなのか。

『恵まれた環境の弊害』

 筆者は、このような非情な事件の頻発は、誤った戦後教育の生み出したものと判断する。

  いたずらに権利の主張のみに走り、権利に必ずつきものの義務を全(まっと)うすることを怠ってきた。「個の尊厳」は人権思想の根底であり、いくら叫んでも叫び過ぎのない価値観である。ただしこれは相手の「個の尊厳」を認めてこそ成り立つ概念なのに、6年8か月に及んだ占領政策の影響を受けた戦後教育は、いたずらに権利の主張のみに走り、もっぱら人権思想の鼓吹(こすい)にのみ終始してきた。

  自由を声高に叫べば叫ぶほど、ルールを守る責任が求められる。つまり社会の規範を守る責任が生ずる。
  それなのに自由を何をやっても勝手とはき違え、放縦(ほうじゅう)な生き方をする者が多くなった。

  このような環境の中で、戦後の母親は著しく高学歴となり、豊かになり、そして豊富な情報を手にすることができるようになった。

  戦後の貧しさ、母親たちの実り少ない下積みの生活ぶりを思い起こせば、いまの母親の環境は限りなく幸せであり、素晴らしいことである。

  だが、このような恵まれた環境は、そのまま「あらまほしき(望ましい)母親」「人間らしい母親」「立派な母親」につながるものではないと気づかねばならない。

  この恵まれた豊かな環境の下で、教育は荒廃し、親が悪い、先生が悪いと責任を押しつけ合っているが、貧しかった江戸時代から明治、大正、昭和の前半は、「修身斉家(しゅうしんせいか)」と称し、まず自分自身が身を修め、家庭が正しく生きることこそが大事なりと、「みっともない」「はしたない」「卑しい」「世間に顔向けできない」等の言葉で我が身を律し、磨いてきたものである。

  時のリーダーたちは藩校で四書五経を学び、「自分がされたくないことを他人にしない」との恕(じょ)の訓(おしえ)を『論語』から学び取った。「他人の悲しみや苦しみを見るに忍びない、なんとかしてあげなくてはいけない」との心の衝動につながる「忍びざるの心」を『孟子』から学び取っていた。

  いまの千円紙幣の人物「野口英世」は病理学で人類に貢献した偉人であるが、彼をして発奮させ、大を成さしめたのは無学の母親シカさんであった。彼女は字も十分書けなかった。英世が2歳の頃、母親が外に働きに出たすきに囲炉裏(いろり)に転落し、大火傷(やけど)した左手がとけ固まってしまった。学校で「てんぼう、てんぼう(丸太ん棒)」といじめられても、いまの母親のごとくどなり込みはしなかった。すべてが自分の為(な)した罪とひたむきに心の中で我が子に詫(わ)びた。

  その我が身を慎むひたむきな母親の生き様は、英世には痛いほどに通じ、ほどなく周囲にも理解され、同情となり、英世の手術、進学の学費さえ工面してくれる者が出てきたのだ。

  「ゆるしておくれ、火傷をさせてしまったのはお母ちゃんのせいだ。私はおまえの勉強する姿を見ることだけが楽しみなんだ。がまんしておくれ」

  幼い英世の心は激しく動かされ、猛勉強を始めたという。

  最後に、シカさんが英世に宛てた手紙をご紹介しておきたい。

  おまィのしせ(出世)にわ みなたまげました
  わたくしもよろこんでをりまする(中略)
  はるになるト みなほかいド(北海道)にいてしまいます
  わたしもこころぼそくありまする
  ドカ(どうか)はやくきてくだされ(中略)
  はやくきてくだされ はやくきてくだされ
  はやくきてくだされ はやくきてくだされ
  いしょ(一生)のたのみてありまする

  ※啐は雛が孵化する時に殻の中からつつくこと
    啄は親鳥が外から殻をつつくこと