愛媛の知事は誰に?松山市長は誰に?(2010/11/1)

知事選・松山市長選、しっかり適任の候補を見つめて選ぼう!

愛媛県知事選挙と松山市長選挙が、11月28日投票日で実施される。
既に候補に意欲を見せている候補者もそれぞれ10月には名乗りを上げ、事務所開きも行って活動に入っている。

今回の選挙は「中村時広」さんの、去就や政策をめぐって、主に『松山分水』への賛否取り組みが、焦点となっているようにクローズアップされているが、西条市民は「松山の水資源確保」には直接関わるはずもないのに、何故か西条人の考えや去就がマスコミによってあぶりだされて、注目されているように扱われ、西条にとっては迷惑千万な話で、「とばっちり」を受けている複雑な心境だ。

厳しい経済情勢や財政状況の中にあって、地方の活力を生み出し、安心して生活基盤を守れる環境を確保してゆくことが、地方行政の最も求められる重要な課題である。
国の方針がぐらぐら定まらないこともあり、地方は一層不安定な要素を抱えるのであるが、やはりその地域の特色を生かした、足や腰の強い体質の強化を図るべきだろう。
毎日、毎日、待った無く、チャンスを生かす緊張感も必要だろう。

しっかりとみんなで支えあえるリーダーを選ばなければならない。
選挙は時として人間関係をこじらせる場面も生むが、しこりの残らないことも望む。

「中国」の言いがかりに屈すること無かれ!

先に日本の領土である尖閣諸島周辺で操業する中国漁船が、海上保安庁の巡視船に体当たりして逃げたため船長を逮捕したが、検察庁が処分保留のまま釈放。
釈放された船長は、まるで英雄気取りで帰還する報道がなされていた。

日本では対立や摩擦を恐れてか、政府もうやむやな状況を繰り返している。
中国での対日批判のデモなどは報じられているが、日本でも正当性を訴えるデモも行われたようであるが報じられない。何か中国で対日批判の行動があることが当然で、日本の悪行を反省しなければならないんだ、と思わせるような空気が醸成されているのだろうか?

ことは領土を守ることであり、国益を守る問題である。歴史も世界も認めていることに、毅然とした姿勢を示すことは、絶対に必要欠くべからざる姿勢である。
日本の姿勢が他のアジア諸国の対中国対応にも繋がり、しっかり姿勢を示すべきだ。

大徳寺の「音禅法要」
=人類平和の日が一日も早く、到来することを祈る=

月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=アサヒビール名誉顧問 中條 高徳

『和の日本を感ずる法要』

 いま、千三百年の古都の祝いに燃えている奈良とか、千年の都を誇る京都には、我が民族が築き、そして磨き上げてきた文化遺産が数多くある。そうした数々に触れるたびに、この国に生まれてきたことを幸せに思い、民族の誇りを感じてきたものである。
 今年の春の一日の出来事であった。心に染み込む感動を体験したので、お伝えしよう。
 四月二十四日。日本財団の笹川会長のお招きで京都紫野の大徳寺の「音禅法要」に参加した。千利休ゆかりの大徳寺の催しであったので、お茶の道にいそしむ家内の強い求めもあり、筆者にとっていわば「牛に引かれて善光寺参り」の類の出席であったが、すっかり心を奪われ、魅せられてしまった。
  中東シリアの歌姫まで参加していたのに、かえって「和の日本」「日本の中の日本」を心の底から感ずる音禅法要であった。
  この日、全国から招かれた善男善女が大方丈(国宝)のご本尊を中心に静かに座っていた。 
  大徳寺のある京都紫野は、この日気持ちよく晴れていた。だが春真っ只中なのに寺域に林立する松の樹間を流れくる風は冷たかった。山門、仏殿、法堂などの大きな伽藍(がらん)はことごとく中国風であるのに、一山住持(大徳寺派の僧)の修行の道場たる方丈前庭は、小堀遠州作という見事な庭園であり、その庭の真正面には、国宝に指定されている実に立派な唐門が、この日のためにこそ供えられたようにそこにあった。

『人類平和の到来を切に願って』

 大徳寺の鐘の音が殷々(いんいん)と流れてきた。大きな寺域で聞く鐘の音は、仏心の薄い者にも心の奥底に響く。すると編み笠を深くかぶった修行僧たちが、声高にお経を唱えながら次々と脇の門から現れ、方丈に進む。その数、総じて三十名余。やがて邪心を払うかのように、大地の地鳴り如き、あるいはまた天の叫びのような腹の底に響く音楽が流れてきた。
 この音楽は、この世の音とも思えないような響きを持っていた。
 これはさぬきの国から産する石、サヌカイトを様々に切り裂いてつくった「馨」(けい)という楽器の発する音であった。これを開発したというツトム・ヤマシタ氏の演奏であった。
 やがて紋付き羽織で威儀を正した尺八の大家・三好芫山氏が現れ、荘重な、そして悲しささえ秘めた尺八の音が流れ出す。
 時を置かずに法衣仕立てのような装束の赤尾三千子さんの能管が加わる。
 それに合わせるがごとく、中東シリアの歌姫、ノーム・オムランさんの聖歌が大方丈流れわたる。参禅する者、皆ことごとく心奪われ、我を忘れたがごとく、いささかも動かず聴き入る。
 やがて時を見定めたかのように大徳寺高田明浦管長はじめ塔頭の名僧たちの入場である。
 その僧たち居並ぶや、その中心に高田管長恭しく三拝し、音吐朗々、般若心経を唱え始める。堂内全ての僧たちこれに応じ、読経の響き大方丈に満つ。
 寺の鐘、馨の霊音、尺八、能管すべてこれに和す。
 大方丈に集まる高僧も、歌姫も、参会者もすべて一体となる。不思議な世界である。
 その時、高田管長の大音声堂内に響きわたる。

 地震震動起波瀾   地球震動して波瀾を起こし
 散宅破家帰芥塵   散宅破家芥塵に帰す
 為奏鎮魂平穏事   為に奏でる鎮魂と平穏の事
 万邦友愛共成隣   万邦友愛共に隣と成さん

 平和の息吹が大方丈に満ちみちていた。
 その時、筆者の脳裏をよぎったのは、軍事費を毎年二桁増で拡大し続けている隣国中国のことであった。
 そもそも仏教は印度に発し、中国を経て我が国に伝わったものである。その中国にこの高田管長の法要祈願がいち早く伝わり、人類平和の日が一日でも早く到来することを切に祈る。合掌。