日本復活と再生に協力しよう。(2011/3/31)

さる3月11日、「東日本大震災」でこの国が大変な事に!

 心からお見舞いと、犠牲者のご冥福をお祈りする。
 国を挙げて復興に向け、頑張ろう。

  関東以東で、特に岩手県・宮城県・福島県を中心として、M9.0 と言う、千年に1度といわれるとてつもない地震にみまわれ、津波が押し寄せ、半月たっても未だに遺体も葬られていなく、死者は想定2万800人とも言われ、未だに行方がわからず、全容の把握もできない悲惨な地獄絵図のような状況である。心からご冥福を祈りたい。

 加えて、東京電力の福島第1発電所の原子力発電所が、発電停止はしたものの原子炉が機能停止せず、水素爆発なども起こし、放射能拡散が危惧され、20キロ範囲内の住民に避難指示がでるなどで、避難所生活をしている人は、40万人とも言われている。
農産物は出荷停止、飲み水の汚染さえ心配されている。

 全国から救援活動も物資も応援されているが、何しろ避難現場に到着さへ儘ならない状況で、被災者の心労は大変な事と察し、お見舞いするのだが、言葉にも窮する。

統一地方選挙が各地で実施される(但し、地震被災地特例で延期のところも)

 こんな状況の中にあるが、今年は統一地方選挙の年であり、全国各地ですでに知事選挙は始まり、県議選挙は4月1日から10日投票で実施される。
ただ、直接被害を受けている県・市では、特例により実施が延期される事となった(半年程度)。
愛媛では予定通り実施されるが、選挙どころではないムードとなってしまっている。

私は選挙街宣カーの運行は取りやめる。
 この災害支援や復興のために莫大な費用が必要だろう。40兆円とも50兆円とも言われる。被災地の皆さんの心情を思うと、加えて公費の対象となる選挙街宣カーの運行は自粛し、費用の幾ばくかでも節税する事が、節度ある社会人の責任でもあろうと思うので、私は運行を取りやめます。甲子園の選抜野球大会でも、鳴り物は自粛している。自粛ばかりで萎縮させてしまってもいけないが、節度ある行動をしたいものである。

早期の災害復興と国の秩序安定を図るべし。
 
いずれにしても起こった事は後戻りができない。早く正常にコントロール機能を整備し、復興に取り組まなければならない。もたついて2次や3次の災害に結んではいけない。政党のメンツの問題ではない、国民にとっては命の問題なのだ、国家存亡の危機と覚悟し、命がけでみんな協力し、この国を立て直さなければならない。

私もこの時、これまでの人生・政治、経験を生かし役に立ちたい。

明日のために
       =自分自身を正して智恵を極めていくことこそが、治国平天下の根本=

月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=論語普及会学監 伊與田 覺

『家庭も治められない者に国は治められない。』

 古代中国において、堯と言う立派な天子が国を治めていた時代があったといわれています。その堯が後継者を探していたところ、舜という孝行者でしっかりした人物がいることを知ります。
 堯は、舜という人物を見極めるために、自分の娘二人を嫁がせました。舜は三年の間、二人の嫁に一度も嫉妬の心を抱かせることなく、家庭を仲良く円満に治めました。
 その様子を見た堯は、二人の女性を平等に愛することができるような男であれば、天下の民も平等に愛することができるに違いないと考え、舜に国を譲ったのでした。

 中国古典の『大学』には、
「其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を薺う」
とあります。国を治めようと思うなら、まず己の家をしっかり治めなければなりません。しかし、しっかりとした心掛けを持って臨まなければ、自分の家庭一つ円満に治めることはできません。そして、自分の家庭もまともに治められない者に、国家や会社などの組織を立派に治めることなどできないのです。
 
 当欄で以前、『大学』の中核となる三綱領の教えをご紹介しました。
 「明徳を明らかにする」
(各々が天から与えられている徳性を発揮すること)
 「民に親しむ」
(上に立つ者は直属の家来だけでなく、一般の民に対しても親しむ、つまり一体感を感じながら治めること)
 「至善に止まる」
 (個々の利や善悪という相対を超えた、絶対的な善にかなった言動をすること)

 この三綱領は、大人、人によい影響を及ぼす人物となるための根幹です。
 そして『大学』には、この三綱領の具体的実践方法を説いた八条目があります。先述した、国を治めるなら先ず家を治めよ、という教えもそこに含まれます。

 「古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ず其の國を治む。其の國を治めんと欲する者は、先ず其の家を薺う。其の家を薺えんと欲する者は、先ず其の身を修む。其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しうす。其の心を正しうせんと欲する者は、先ず其の意を誠にす。其の意を誠にせんと欲する者は、先ず其の知を致す。知を致すは物を格すに在り」

 明徳を自分だけが明らかにするのではなく、天下に明らかにすることで平安をきたす。それを望む者はまず自分の所属する国をしっかり治めなくてはならない。
 国を治めようと思うなら、まず自分の家を斉えることだ。自分の家を斉えるためには、自分の身を修めることだ。自分の身を修めるためには、内なる心を正しくすることだ。内なる心を正しくするためには、感情を正常にすることだ。つまり喜ぶべき時に喜び、怒るべき時に怒るなど、喜怒哀楽を適切に表現できるようになることです。
 感情を正常にするには、知を致す、つまり生まれながらに与えられている知恵を極めていくことだ。そして知を致すには、物を格す、つまり突き詰めて言えば、自分自身を正すことだと説かれています。

『まずは吾が身を正すこと。』

  他人の顔はよく見えますが、最も身近な自分の顔は見えません。ですから、自分自身を正すためには、常々心の内なる鏡に客観的に映して自らを省みなければなりません。
その際、心の鏡が曇っていては自分が正しく映りませんから、いつも澄み切った状態でなければなりません。
 天照大神が瓊瓊杵尊をこの国に送り出された時、「この鏡を見ること常に我を見るが如くせよ」と、ご自分のお持ちになっていた鏡をお与えになりました。つまり鏡を見て知を致し、物を格せと説かれたのです。

 『大学』の八条目には次の一文が続きます。
「物を格して后知至る。知至りて后意識なり。意識にして后心正し。心正して后身修まる。身修まりて后家薺う。家薺いて后國治まる。國治まりて后天下平らかなり」

 これは先ほどの文章を単に逆から言い直しているわけではありません。先の文章でものを考える順序を説き、今度はそれを実践する過程を説いているのです。したがって格物致知、自分自身を正して知恵を極めていくことこそが治国平天下の根本なのです。

 『大学』ではこのことが段階的に噛み砕いて説かれていますが、これらは一つのものです。つまり、自分自身が正しくなれば、即国も正しくなり、天下も平らかになっていくのです。
 いま、日本の国は混迷の極みにあるといえます。ともすれば上に立つ者に批判が集まりがちですが、こういう時こそ国民一人ひとりが格物致知という言葉を心に刻み、まず我が身を正していくことが肝要であると考えます。