愛媛県議4期目のスタート(2011/5/1)

引き続き頑張ります!

 

 4月1日告示、10日投票で実施された愛媛県議会議員選挙に西条市選挙区から、立候補しました。
 今回は4期目に向けての選挙でしたが、現職が4名・新人が1名の5人が立候補、現職議員は先の震災の被災者の心を慮り、更には復興資金のための節税から公費負担を軽減しようと、街宣車による活動を自粛し、ハンドマイクでの街頭演説などを中心に選挙戦を進め、これまでとは違った形の選挙であった。
 結果として時として騒音と受け止められる連呼行為は無く、逆に静かなために選挙戦が行われているのかどうか解りにくく、投票率が4年前より7.51ポイントも下がり、48.19%であったことにも大いに影響したのだろう。

 選挙前の3月11日に発生した未曾有の災害「東日本大震災」があり、更に今なお沈静化の見通しも立っていない原発事故など、国難とも言える状況にある中での選挙であったが、一向に進まない対策に国民は政治に期待などしていないのかもしれない。
 この時のリーダーシップこそが政治に問われる役割なのだと、かなり訴えたつもりではあるが、残念ながら届いていないのだろう。今後も繰り返し巻き返し、国民に負担となって返ってくる問題なのだという事も訴えてゆきたい。

 

今なお思うにまかせない災害復旧と、対策にいらだちもあろう。

心からお見舞いと、犠牲者のご冥福をお祈りする。
国を挙げ復興に向け頑張ろう。
早期の災害復興と国の秩序安定を図るべし。

 

 色々な風評被害さえ起こっているが、みんなで冷静に支援と協力にいそしもう。
それこそが日本人の真価が問われる問題だ。

私もこの時、これまでの人生・政治、経験を生かし役に立ちたい。
 今度の4期目は非常に重いものがあると自分でも心得ている。
この国の非常事態からの復興の使命がある。それを果たすためにはこれまでの経験や知識や、培った力量が発揮できるようにしなければならない。

 自民党も民主党もなく党のためではなく、国民・県民・市民の立場に立った政策を実行する必要がある。党務も果敢に取り組みながら仲間と政策実現のために頑張りたい。

 

新憲法の本質を見抜く

月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=アサヒビール名誉顧問 中條 高徳

『憲法の重要性を認識せよ』

 

 五月三日、今年も63回目の憲法記念日がやってくる。その日は奇しくも筆者の誕生日である。
 そんな因縁もあり、大学時代、尾高朝雄教授の「法哲学」、宮澤俊義教授の「憲法学」には格別真剣に取り組んだものだ。とりわけ宮澤教授は、筆者が占領軍から解放されていた間、家庭教師をした生徒の母親の里が宮澤教授の実家と言うありがたいご縁でもあった。彼は占領軍から命じられた日本側の憲法を作り「7人委員会(松本蒸治委員長)」の強力なメンバーであった。
我が国は紛れもない法治国家だ。全ての事は法律で定められ、法に反すれば、貧富地位に関係なくその法の裁きを受ける。小沢民主党元代表もいかに権力を欲しいままにしようが、法を犯した疑いがあるから法廷に呼び出されるのだ。その法は全て憲法の心を心として立法される。そのように法治国家にとって極めて大切な憲法なのに、我が国の憲法に対する認識があまりにも薄い。

 今我が国は政、官、財全てが大きく揺れている。国民の将来への憂いは日増しに募る。それに至る派生的な様々な理由はあるが、根本的な理由は、我が国が依って立つ憲法の成立の経緯と、その内容にあると断ぜざるを得ない。民主国家の最高法規たる憲法が、先の大戦に破れたりとは言え、勝ち組の占領軍によって作られたという歴史の真実を、国民全てが知らねばならない。

 戦争は人類にとって最悪の手段であり、罪深いものだけに、現在は戦争についての法律が整っている。例えば、「開戦通告の義務」を設け、戦いの被害が市民に及ばないように、戦う専門家を「軍人」と呼び、戦う時には「軍服着用の義務」を課している。
その1つ陸戦法規43条に、勝者が被占領地に到達した時、その国の法律をみだりに変えてはならないと立法されている。
それだけにGHQ(連合国総司令部)による我が国の憲法作りは巧妙を極めた。先述の日本人による「七人委員会」に素案を作らせ、直ちにキャンセルした。日本人に関わらせたというプロセスだけを必要としたものであろう。その後、GHQの要員であったケーディス大佐を中心とする24名により、6日間で仕上げたものである。

 陸戦法規四十三条をクリアするため、マッカーサー元帥はこのケーディス案を国会にかけろと幣原首相に迫った。その上、その経過は一切国民に知らせてはならないと報道管理を命じた。
 占領下の国会は言論の自由が全く無かったことも忘れてはならない。
 その勝ち組占領軍が作った憲法を唯々諾々と受け取り、その内容を1行も修正することなく、半世紀以上受け継いでいるような心の姿勢で、この厳しい世界を生き抜けるはずがない。
 憲法の前文を心して読んでいただきたい。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
 美しい言葉の羅列により、あたかも理想的な国の態度が記されているかのような印象を受ける。しかしながら、これでは我が国の安全と生存は他国の手に委ねられることになる。どの国も平和を愛し、公正で信義に厚いとの前提に立っているが、各国の思惑が交錯する国際社会の現実はそういう甘いものではない。
 このような自らの国を自らの手で護る自覚のない民族が、国家が、尖閣の中国や北方四島のロシアと対等に渡り合っていけるはずがない。

 

『偉大な憲法学者が語りかけるもの』

 

 憲法が国家にとって以下に重要か。戦後を生きた偉大な人物の悲しい物語を紹介しよう。
 時は昭和22年9月25日夜。熱海の錦ヶ浦に有名な憲法学者であり枢密院議長でもあった清水澄博士が投身自決された。

 新憲法が日本の歴史を無視し、連合国から押しつけられたものであり、天皇をロボット化するものであることに怒りと不満を抱いて自決された。
この巻頭の言葉を脱稿した瞬間、すさまじい大地震、それに伴う恐ろしい大津波が発生、さらに福島第一原発のトラブルと続き、国内が揺れている。

 説いてきたような憲法の対応しかできない民族では、他国の侵略行為に確固たる対応ができないどころか、今回のような大震災に襲われたら、自衛隊を不遜にも「暴力装置」
とまで発言した現政権が、10万の自衛隊出動に加え、予備自衛官を招集して投入しなければならない現実がやってきた。
 甲斐甲斐しく黙々と復興のための懸命の働きをしている自衛隊は、この憲法の桎梏のもとに泣いている。