春はそこまで?(2021/3/1)
大都市への2度目の「緊急事態宣言」を解除、
ワクチンの接種でコロナ収束が見えるか?
昨年末や年始の人の動きから、コロナの感染は拡大の一途となり、大都市圏を中心に7都府県で2度目となる「緊急事態宣言」を発した。これに関して他県の知事からもそれぞれの状況に応じ、医療施設の状況も勘案し、一般の治療も堅実に保持しながら、コロナ対応も考え医療崩壊を絶対に避けたいとの思いから、独自の警報や声明を発し、休業や時間短縮営業を要請し、拡大防止に取り組まれやっと落ち着きの傾向がみられるようになった。
また、ファイザー社のワクチンが入荷し、2月末から取り敢えず医療従事者を優先し接種が始まった。世界各国でも接種が始まっており特別なケースを除いて弊害もなく、効果も実証されているので、国内で一般には高齢者から優先して4月に入れば国民に接種が始まるので、この3月4月をみんなで感染防止のための措置の徹底に、手を抜かないで甘えないで取り組めば、次の感染拡大の波を起こすことは抑えられることだろう。
3月・4月は日本社会では通例として年度替わりで、行事が多くまた人の動きも止められない時期である。すべてを止めなさい、外出を控えなさいとはゆかないだろうが、大勢での宴会や勢い余ってのはしゃぎは絶対に慎みましょう。
ここで抑え込めばいずれは、人々が楽しく交流できる日常が取り返せることになるでしょう。その先の楽しみのため今しばらく慎みましょう。
コロナ禍の変調から、正常な早く日常を取り戻そう
さて、私がこのコロナ禍で最も気になることは「命の尊さ」であり、「生活を維持する所得を守る経済環境の維持」であり、「健康な体と心のバランスを育む環境の維持」がどうだろうということです。
医療崩壊などの危機はこれまで経験がありません。いろいろな病気で治療中の方が多いのですが、その治療の日常がコロナ患者により制限・制約・後回しにされる状況に追い込まれる状況を生みました。
特に医療従事者の皆さんも自らの感染防止に命がけで患者に接するという緊迫した状況で携わっていただき、精神的にも肉体的にも大変な状況で頑張っていただいており本当に感謝で一杯です。「命の尊さ」を改めて教えられます。
外出規制に要る感染防止は当然とるべき措置なのですが、人の動きを止めることによる経済活動の低迷は、当然雇用すなわち所得・収入の低下に直結し、国民生活は極めて日常を変えてしまっています。この社会的課題の解決は国の諸制度によるバックアップで守らなければなりません。
人格形成に一番大きな影響がある年代といえばやはり幼年及び思春期だと思います。この時期に学校で友達とふれあい語り合い、先生の温かみの伝わる教室や屋外での授業・教育現場でしょう。さらにことある機会に学校行事なども通じ触れ合う保護者は勿論のこと、この地域の皆さんとの社会的つながりの自覚でしょう。
学校の休校、諸行事の中止や縮小により、それ他を体感する機会が失われ、「教育の場」で養われる、健康な体と心や知識のバランスある発達の場が失われているように思えてならず、子どもたちの発育の変調も大いに気になるところです。
1日も早く正常を取り戻しましょう。そして、この苦い体験を踏まえて、その先の日常を組み立ててゆきましょう。
倫理を正し、責任ある民主主義国家を築きましょう
それにしても国会やこの国の民主主義の成熟度は如何なものでしょう。
社会正義や倫理はもちろん大切なことです。その模範を示すのは公務員であり、議員であるべきなのですが、国民に求める行動規範が守れない、これを暴かれて右往左往の状況です。
いったい誰がこのような状況を作って恩恵を受けるのでしょう?
誰にも利益・利得は生まれません。大きな弊害・借財はすべて国民の負担に跳ね返ってくることです。マスコミ報道のインテルジェンスにも期待します。早く正常な国に戻しましょう。
ナンバーワンよりオンリーワン
月刊『致知」2021.3月号【巻頭の言葉】より引用
Jアサヒビール社友 福地茂雄
『日本は独自の戦略を追求せよ』
2003年秋、長崎大学経済学部の同窓会、瓊林会(けいりんかい)の会長を務めていた私は、同窓会設立百周年記念行事の一環として日本銀行の福井俊彦総裁(当時)に学生への特別講義をしていただきました。
記念事業として何らかの建物を贈ることも考えましたが、固定資産は年が経てばやがて不良資産となります。しかし、知的資産は使えば使うほど増殖する。「そうだ形に残る物より、心に残る贈り物にしよう」と考え、特別講義を企画したのです。
早速有力企業や地元自治体のトップにお願いに上がり、17名の方にご快諾をいただきました。その顔ぶれは、福井総裁、トヨタ自動車の張富士夫副会長、東芝の岡村正社長など、実に錚々たるものでした(肩書はいずれも当時)。
どなたのお話も素晴らしいものでしたが、とりわけ福井総裁のお話は、私自身体験に照らして強く共感するものがありました。その内容は概ね以下の通りです。
「戦後の日本産業は、先端技術を軍事用ではなく、民間レベルで活かしてきました。欧米諸国と比べ、これが日本の産業技術の一つ大きな特徴でした。そして、いまや日本ほど新しい技術を日常生活の隅々にまで行き渡らせている国はないと思います。こうした”独自の戦略”が日本にとって今後ますます重要なキーワードになります。」
そして、福井総裁は、人気グループSMAPのヒット曲『世界に一つだけの花』の歌詞を引き合いに、これこそが”独自の戦略”と結論づけられたのでした。
♪どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?
そうさ僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい
(中略)
小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい
もっともっと特別なOnly one
我が国は、独自のものを多く持っています。
漢字は、その名のごとく中国からの表意文字ですが、ひらがなやカタカナなどの表音文字は、日本独自のものです。また、刺身、寿司など新鮮な魚介類を生で食べる食文化は、四方を海で囲まれた日本固有のものといえます。他にも、日本の独自性を示す事例を挙げていけば枚挙に遑(いとま)がありません。
しかし、その一方で、情報手段の驚異的な発達によってあらゆるものが東京的となり、地方が消えつつあります。里山がなくなり、熊や鹿や猿が人里にまで現れています。「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川」と、童謡に歌われた風景はもはや歌詞の世界でしかありません。地方の文化を象徴する方言を使う若者も少なくなってきました。
福井総裁の説かれた”独自の戦略”の逆を行くいまの日本の趨勢に、私は一抹の寂しさと危惧の念を抱いています。
『誰もが持っている世界に一つだけの花』
「ナンバーワンよりオンリーワン」は、そのまま企業経営にも当てはまります。
アサヒビールがスーパードライを発売して大ヒットした時、これに追随して世界30数か国ものビール企業がドライビールを発売しましたが、数年のうちにすべて消え去りました。似たものはつくれても、スーパードライの旨さの源泉である酵母までは真似できなかったからです。
スーパードライの酵母は、コクがあってキレがあるという、それまでのビールになかったテイストを追求して生み出した門外不出、唯一無二の酵母なのです。途轍もなく険しい道のりでしたが、オンリーワンの道を歩んだことは間違いではなかったのです。
私はこの成功体験を、後に携わったNHKや新国立劇場の経営にも活かしてきました。
NHKでは、視聴率のトップを目指すより、よい番組づくりに注力しました。オンリーワンのNHKらしい番組さえつくれば、自ずと視聴率も上がってくると考えたのです。
新国立劇場では、国庫補助削減という厳しい現実の中で上演作品の質を守ることに腐心。本数を厳選することで一作当たりの政策費を維持し、ユニークで見応えのあるプログラムづくりに邁進しました。
こうした経験を踏まえて実感しているのは、オンリーワンを追求することこそが、ナンバーワンへの近道だということです。
どんな企業も個人も「世界に一つだけの花」を持っています。それぞれの道のオンリーワンを目指して、一生懸命に歩んでいこうではありませんか。