「心機一転」で新年度スタートを!(2024.4.1)

「心機一転」で新年度スタートを!

 円安・物価高の状況にあって日本企業の株価が38年ぶりに上昇、日経平均株価が4万円を超えデフレが完全に脱却、春闘では大手企業は久しぶりに2万円を超える高額のベースアップに踏み込み、日銀はマイナス金利をプラスに変動させる方向となった。

 コロナ感染症などによる沈滞ムードもぬぐい、停滞していたいろいろな機運が上向きに進む見通しともなってきた。希望ある明日へ向け、前向きに頑張りましょう。

 1月1日に発生した「能登半島地震」は、冬に気象状況で制約されているとはいえ、3か月を経過した今なお復興・復旧がままならず、不便な避難生活を余儀なくされているようだが、ニュースを見るにつけ聞くにつけ心が痛みます。1日も早く復興に道筋が立つようみんなで応援しましょう。

 更には日本列島のどこでいつ起きるかもしれない地震対策に、特に我が地方は南海トラフ地震が高い確率での発生が予見されていますので、自らの備えを常にの気持ちを引き締めて、身の回りを固めておくことも大切でしょう。

 次々と厳しいことが起きますが、前を向いて頑張りましょう。若い人たちにとっては希望と目標を失うことなく頑張ってほしいと願うばかりです。寒い中じっと我慢で耐え忍び、春の温かい日差しを見つけ出して桜もほころび花を咲かせます。今年は入学式には満開の花で迎えてくれることでしょう。
 
 愛媛県行政においても、新年度に向けての予算も審議確定して時代の変革にも「新ステージ」への挑戦との意気込みでスタートしました。
万物の息吹もしっかり感じ取り、新年度を希望と目標をもってスタートしましょう!

国民の心意こそが 国家発展の力の源泉

月刊『致知」2024.4月号【巻頭の言葉】より引用 
高千穂神社宮司 後藤俊彦

~ 共生の道を歩み 「和」の大切さを学んできた ~

「天空まだ夜は明けそめぬそのかみにかきねがひのありし御代かな」
 (山口県 阿川八幡宮元宮司 伊藤駿治作)

 皇紀二千六百八十四年の新年を迎えて、改めて日本建国の往時が偲ばれるが、今年は能登半島地震や羽田空港の旅客機と海保機の衝突事故など、正月気分も一変する年明けとなった。多くの人々が日常から突如引き離され、厳しい冬の避難所や疎開先で不自由な非日常の生活を余儀なくされている。

 昭和九年十一月、物理学者の寺田寅彦先生は『天災と国防』と題する論文の中で、戦争中同時に国内で大災害が発生した場合に備え国防軍とは別に科学的常備軍を持つ必要があると説いておられる。

 一方、このような災害の多い国であればこそ〝諸行無常、諸法無我〟という仏教の教え私共に浸透しているのであろう。災害大国といわれる我が国では、大震災では富める人も貧しき人も区別なく被災し、運命を共有することから人々が相互に一体感を持ち、共生の道を歩み、「和」の大切さを学んできたように思う。大震災の度に、世界のメディアは略奪も暴動も起こさず冷静にして秩序ある行動をとる日本人を称賛する。

 さらに震災後の被災地の復興の速さにも驚くようだ。大正十二年九月一日に発生した関東大震災を目撃した駐日フランス大使のポール・クローデルも、著書の中で深い驚きをもってそのことを書き残している。

 平成二十三年に起きた東日本大震災の三か月後、私は慰問のため高千穂神楽を引率して福島・岩手両県の被災地を訪れた。公演終了後、被災者の方々のこれからの問題について尋ねたところ、あるご婦人が「津波が何もかも奪っていったけれど、海が残っているから「また頑張る」と答えられた時には心底驚き、一瞬私は言葉を失った。非情な現象としての津波は憎んでも、海への憎しみはないように思われたからである。

~ 『源氏物語』と大和魂 ~

 月日の流れは無常迅速で、季節も節分から立春を過ぎた。
 節分の日、豆をまき邪悪な鬼を祓う習俗は、古く平安時代には宮廷行事として行われていた。万相と呼ばれる異様な扮装をした人物が矛と楯を打ち、親王以下群臣が桃の弓、桃の杖をもって悪鬼を追い払う。桃には悪鬼を祓力があることは黄泉の国から逃げ帰るイザナギの大神の神話に由来する。

 このような体験を通して幼児期に鬼に対する恐怖心と親に抱かれている安心感を経験することは、魂の成長の上でよい効果があるのかもしれない。
 我が国の鬼は、西洋でいわれる悪魔とも、『往生要集』や地獄絵に見る鬼とも異なり、少し人間に近い愛嬌のある存在である。 日常使う言葉にも、「心を鬼にして」 とか 「仕事の鬼・稽古の鬼」というように一目置かれている。最近はそういう鬼が少なくなって、世の中が少し味気ないものになったように思うことがある。

 現在放映中のNHK大河ドラマの主人公は、『源氏物語』の作者・紫式部である。光の君と呼ばれる美しい貴公子の一生と、彼と交際のあった多くの女性の運命を書いた五十四帖に及ぶ文学作品は、世界に類例がなく、一千年以上も読み継がれている。

 平安貴族といえば、 王朝絵巻風の雅な世界のみ連想する。しかし、このほど日本文化研究センターの倉本一宏教授等が現代語訳を完成させた当時の右大臣藤原実資の書き残した六十年余に及ぶ日記 「『小右記』と王朝時代」(吉川弘文館)によると、当時の公卿は早朝から深夜に至るまでほとんど休みなく、 国家社会のために政務や儀式などに精励し、真剣に仕事をしていたようである。そうであればこそ、我が国の国風文化が成熟し、多くの政治課題を抱えつつも四百年余に及ぶ平安の世を保ち得たのである。

 『源氏物語』の「少女」の巻には、光源氏が我が子夕霧の元服に際し、幼少の時分から甘やかすことなく学問を身につけさせ、「なほ才もととしてこそ、大和魂の世に用いらるる方も強はべらめ」というくだりがある。ここでいう才は明治時代の〝和魂洋才”と同じ和魂漢才”の意味である。漢学で得た基本的な諸知識を、我が国の実情に合うようにする知恵を「大和魂」と表現している。

 因みに小学館の『日本古典文学全集』では、この一文が大和魂という語の初見であると注釈している。大和魂は古より日本民族が大切にしてきた情操であり、清浄直心のこころである。

 『源氏物語』は、四季折々の自然の情景をもののあはれとして美しく描写している。 我が国人が、記紀・万葉の昔より自然美や詩歌を重んじつつ生を営んできたことは、素晴らし文化であると思う。

 ~ 流れが止まった川水は やがて濁ってゆく ~

 政治資金問題で、いま日本の政治は停滞し混迷を深めているが、それは冒頭に挙げた和歌のような「たかきねがひ」という国家の理想を見失い、国の大本を忘れ、困難な政治課題に取り組む勇気と使命感を欠いているからである。

 流れが止まった川水はやがて濁ってゆくように、理念と目標を失った組織は生成発展の力を失う。 第二次世界大戦後、失われゆく我が国の伝統文化を世に伝えるべく『少年日本史』を著し、世に送られた元東京帝国大学名誉教授の平泉澄先生は、その頃の心境を「花追ひて 二十日旅して思へらく 日の本はひろくありけり」と詠んでおられる。

 いまだ日本の各地には、大和魂を信じて平安永世を願いつつ日々を生きている多くの国民がいる。そのような国民の心意こそが真の世論であり、国の安定と生成発展の力の源泉であるように思う。