平和(幸せ)を守ろう!(2023/11/1)
コロナ感染症からわが身を守ったように、自然災害や人災(戦争)に引き込まれないようにわが身(平和)を守ろう!
身近なニュースとしては、新型コロナウイルス感染症の位置づけが5類となり、やっとインフルエンザ程度の扱いになったことです。各種制約から一定の解放感も得て、この秋は五穀豊穣を感謝した各地の祭り行事が連日報じられ気持ちもワクワクさせられました。
しかし、コロナ防御で清潔を保っていたところへ逆に抵抗力が弱くなったのか、このところインフルエンザの流行が顕著になってきているようです。物価の高騰も収まりを見せず心配の種は尽きません。
一方では連日ロシアによるウクライナへの軍事侵攻と報復の砲撃による惨状の様子や、さらに加えて中近東でイスラエルがパレスチナ「ガザ」地区のハマス組織と対立砲撃が繰り返され、罪のない人や子供たちも被害にあって死者を出している惨状が報じられています。人間の愚かさを今更にも考えさせられ心悼めています。
近年の異常気象は、日本の四季の環境を変えています。植物や動物の生態系も変わってきており、各地でクマが市街地に出てきて人を襲うニュースも今年は特に多発しているようで、その他にも異変が次々と報じられています。
何より異常気象は予期せぬ災害を引き起こし、国内はおろか世界各地でもいろいろな災害が発生し、人々の平穏な生活を一瞬に壊す犠牲を生んでいます。これら地球上の世界で起こっていることへの課題は、人類が生き延びる課題であり自我をこえて利他、共助共存の使命感が大切です。みんなで感謝の心を捧げあい、幸せを求め合いましょう。
このようにあらゆることの変化に対応し、立ち向かい、「明日は今日より、より良くなる」という気風を起こすことも大切です。身近な課題も見過ごさず、身の回りから改善改革に取り組みましょう。この波を起こすことが大切です。
百金(ひゃくきん)を愛(おし)みて 敵の情を知らざる者は、不仁(ふじん)の至りなり。人の将にあらず。主の佐(たすけ)にあらず。勝の主にあらず ―『孫子』用間篇
月刊『致知」2023.11月号【巻頭の言葉】より引用
JFEホールディングス名誉顧問 數士文夫
情報収集を怠る者は 仁者にあらず
「百金を愛みて敵情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将にあらず。 主の佐にあらず。勝の主にあらず」
いまから約二千五百年前、中国古代の春秋戦国時代に稀代の兵法家・孫武が著した『孫子』の一節。大意は以下の通りです。
「戦を決断するにあたり、事前の情報収集、諜報活動を怠ってよいものだろうか。 戦費に比べれば、情報活動費など百金もあれば足り、微々たるものだ。これを惜しんで済ます。 これほど仁の道に背くことがあろうか。 このような者は人の上に立つ資質に欠け、参謀・補佐役も務まらず、到底勝ちは望めない」
『孫子』はその前段の「謀攻篇」で、「彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」という名句を後世に残しています。最後の「用間篇」で、この「彼を知る」ためには、敵に関する高度な情報活動とその分析が肝腎だと念を押しているのです。
ちなみに、スパイを意味する間者、間諜は、この『孫子』が説く「用間」、即ち「間」を「用」いるに由来します。
「先に知る者は勝つ」を実践した 日本のスポーツチーム
今年、三月から九月にかけてスポーツの世界的イベントが続きました。中でもワールド・ベースボール・クラシックの「侍ジャパン」、女子サッカーの「なでしこジャパン」、 男子バスケットボールの「アカツキ・ジャパン」の活躍は、我われ日本人を興奮させ、大いに勇気づけてくれました。
三チームはいずれも監督・コーチの人柄、統率力、技術的アドバイス力、戦術選択力に秀でていましたが、とりわけ対戦相手の綿密なデータ収集と解析、対応策の研究には相当なエネルギーを注いでいたと思います。 その点で侍ジャパンの栗山英樹監督、なでしこジャパンの池田太監督、アカツキ・ジャパンのトム・ホーバスヘッドコーチは不仁ではなく、まさに責任を誠実に全うした仁者でした。誇らしい限りです。
『孫子』はさらに念を押しています。明君、賢将が一たび動けば必ず勝ち、成功するのは、人に先んじて有効な情報を得て対応するからに他ならない。 鬼神に頼らず、経験のみに頼らず、世論に惑わされず、信頼できる人、チームを使って生きた情報を集め、解析を素早く実践に生かしているからだと。要は「先に知る者は勝つ」のです。
信長や秀吉と 家康の決定的な違い
ところで、日本に『孫子』を持ち込み、広めたのは、誰で、いつのことでしょうか。
『続日本紀』には、天平宝字四(七六〇)年、吉備真備が数人の学生に『孫子』を講義したとの記述があります。 真備は第九回と第十二回の遣唐使として渡唐、約十九年間現地で学び、帰朝後は学者、政治家、軍略家として活躍しました。『孫子』 の講義をしたのは帰国後のことで、『続日本紀』以前に『孫子』の記録はなく、『孫子』を日本へ持ち込んだのは真備だろうとされています。
貴族や僧侶であれば兵法書を持ち帰ることなど思いつかなかったでしょうが、 真備は地方豪族の子弟であり、隣の韓半島や大陸との緊張関係にも鑑みて、『孫子』 の必要性に思い至ったのだと思います。
真備は本来遣唐使に入れる身分ではありませんでしたが、優秀な人材として特別に参加が認められました。帰国後、左大臣橘諸兄に仕え、後に藤原仲麻呂の乱を制して政治の中枢に進み、貴族でないにも拘らず右大臣に昇進しています。前代未聞、『孫子』の効き目でしょうか。清廉潔白の人でした。
さて、徳川家康といえば大変な読書家ですが、『孫子』の印刷本を日本で初めて発刊した人物でもあります。 信長、秀吉が自分の体験に学んだのに対し、家康は古典、歴史に学んでいました。『孫子』 の説く 「用間」、即ち間者、間諜の価値も十分理解しており、隠密をよく用い、また伊賀、甲賀の忍者組織を統べる服部半蔵を配下にしていました。江戸城の搦め手門「半蔵門」が服部半蔵の名に由来するところにも、家康の諜報を重視する姿勢が窺えます。
二十一世紀に入り、AIの急速な発展など、科学技術が目覚ましい進歩を遂げています。いまや、国も、企業も、個人も、そしてスポーツのチームも、新しい情報を収集することがますます重要になってきています。
私たちはこうした状況下で道を切り開いていくためにも、リスキリング、即ち新しい知識や技術の習得に積極的に取り組んでいきたいものです。百金を愛んではいけません。