マスクを外し笑顔で対面!(2023/6/1)

日本列島各地で地震が頻発している!慣れっこは危険だ。しっかり予防や措置の対策の備えをしておこう。

 このところ日本列島 北は北海道から南の沖縄まで、太平洋側でも日本海側でも瀬戸内でも各地で地震が頻発している。比較的浅いところで発生しているので、震度5とかマグニチュード6とか発表がある。家屋の崩落や商店の陳列で被害の有った方もあり、お見舞いを申し上げるところだが、津波を引き起こしていないので、地域を壊滅させるほどの被害が出ていないのは精神的には救われている現状だ。

 しかし、これは予兆と捉え近い将来大地震の発生が高い確率で予見されているのだ。備えを怠ることなく、緊張感は持って備えておくべきだ。

 さて、新型コロナ感染症対策もWHOでもパンデミック規制を解消し、我が国でも感染症対策を2類から5類に引き下げ、季節性インフルエンザ並みの扱いに5月8日からなっている。

 これにより会合や行事の人数制約なども規制が解除された。色々な団体や組織の「総会」の案内が来て、来賓としての出席や祝辞の要請も来るようになり、以前の日常感覚が戻りつつあり、やっぱり生の笑顔を見せて会話できることは安心につながるとつくづく思える。

 だがコロナ対策は社会に大きな影を起こしているようだ。1つは空気感染を避けるためにも人の接触を避け、出歩かないで単独で籠ることがどうしても多くなり、これが「ひこもり」現象につながり、従来の社会問題として扱われていた、①児童・生徒の引きこもり問題、②さらに成人者が社会に対応できない8050問題と言われる問題、これに加えて③独り住まいの特に女性が出かける機会をコロナ制約され籠っている これらが全国的にも全人口の2%を超える240万人に余るような状況となっているようだともいわれている。これらに対してのメンタルヘルスシステムを作り機能させる必要がある。

 また、この社会の閉塞感を悪用する事件なども多発していることが残念でならない。何としても身近なもの同士が声を掛け合い、心通じ合う社会を大切に守らなければ、全くの社会の損失でもある。

こんな社会に誰がした?

 誰かの責任かと問いかければ、責任逃れになるばかりだ。基本的に1人1人が社会の参加で価値観責任者として尊重されるが、自覚して自分を守り高める必要の責任を果たしてゆくことではないだろうか?もちろん置かれた環境などで果たせる能力には違いがあるが、みんなで認めあい、捕捉しあう愛が最も大切だと思う。

 先にG7の先進国首脳会議が日本を議長国として岸田総理の地元「広島」で開催された。今もロシアのウクライナへの軍事侵攻が続いている中、核兵器の使用さえ危惧される中にあり、世界で唯一悲しい原爆の被爆国である日本広島で世界の首脳が原爆惨状の資料館を見学し、被爆者の話を聞く機会ができたことは何より意義のある機会となったことだ。色々評価もあるだろうが、世界の政治に何かを起こさせる歴史的転換の機会になったものと私も評価したい。

 これから新しい任期の県議会が始まります。このような世の中の諸課題をしっかり踏まえながら、明日に希望を生み出す活動に役立つよう頑張って仲間と共に取り組んでまいります。

 明るい希望を求める話題として、「西条市」「新居浜市」共同で愛媛県もバックアップしながら、「第4代元国鉄総裁=新幹線生みの親」や「西条市市長」も務められた『十河信二』さんを題材にした『信二とキクの物語』(仮称)をNHKの朝ドラで取り上げてもらおうとの提案と運動が「市民の署名集め」で始まりました。みんなで希望をもって取り組み応援しましょう。西条では市民による「ミュージカル」も題材として取り組まれました。

逆境に耐える

月刊『致知」2023.6月号【巻頭の言葉】より引用
アサヒビール社友 福地 茂雄

他責に逃げ込んでしまった現代人

 逆境と順境は、人生においても企業経営にとっても糾える縄の如し、より合わせた縄のように交互にやってくるものです。順境の時には逆境の芽が潜んでいる。一方、厳しい冬の寒さの後には、やがて暖かい春がやってきます。逆境は誰にもどこにでも例外なく訪れます。

 「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」

 トルストイ著 『アンナ・カレーニナ』の冒頭の一文です。確かに、逆境はいつどのような形でやってくるか分かりません。 人は誰でも少し逆境の谷間を泳ぐと、世に自分ほど不幸な人間はいないと思いがちです。しかし逆境の世は底なしであり、どん底と思われるような厳しい試練その下には、さらに想像もつかない不幸が埋もれているものです。

 地震・津波・台風・洪水などの自然災害は別として、人と人との関わり合いから生じる逆境に際し、今日の日本人の多くは「耐える」ということを忘れてはいないでしょうか。

 歴史を繙いてみても、「耐える」 ということはかつて日本人の美徳でした。それが飽食に慣れ、豊かな生活に包まれた今日、いつの間にかすべてにわたって「耐える」ことより、「社会が悪い」「国が悪い」と自己責任を考える前に「他責」に逃げ込んでしまってはいないでしょうか。自分も責任の一端を担う社会人であり、国民であることを忘れてしまっているといえます。

 『新訳菜根譚』(守屋洋著)に、「『山登りはけわしい道に耐え、雪道は危い橋に耐えて進む』ということばがあるが、この『耐える』ということに深い意味が含まれている。人情はけわしく、 生の道はきびしい。『耐える』ことを支えとして生きていかなければ、たちまち、藪にふみ迷い穴に落ちこんでしまうだろう」とあります。

 第二次世界大戦の末期、寒い冬の日に靴下もなく、霜焼けやあかぎれだらけの手足で小学校の運動場を開墾し、軍人が食するサツマイモをつくったこと。自分は茎だけを食べながら、 「欲しがりません勝つまでは」という標語を口にしてひたすら耐えたこと。そうした子供時代を思い出す世代も少なくなってきたのではないでしょうか。

あきらめない、やめない、ここを去らない

 「耐える」という言葉から想起されるのが、臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺師が致知出版社より上梓された 『人生を照らす禅の言葉』の一節、「法遠去らず」です。

 浮山法遠禅師(九九一 ~一〇六七)は若かりし頃、葉県禅師のもとへ入門するに際し、師の厳しい愛の鞭に耐え抜いて、師のもとを去ることなく、やっと入門を許された。この「法遠去らず」 の逸話に深い感慨を覚えた、と横田師は書かれています。

 私の書斎の壁には、横田師が揮毫され禅語の日めくりカレンダーが掛かっており、「法遠不去」に次の解釈が書き添えられています。

 「世の中を生きてゆくには、道理にかなうことばかりではない。 『なぜ、こんな目に遭うのか』と悲憤慨することもある。しかし、人間の真価が問われるのは、むしろそんな時であろう。 去る時の弁解はいくらでもできる。しかし、一言も発せずして黙して忍ぶことの貴さを知らねばならない。 法遠という僧は、あらゆる苦に耐え師のもとを去らなかった」

 私たちは、すべてに恵まれたいまの時代に感謝すると共に、「法遠去らず———あらめない、やめない、ここを去らない」という浮山法遠禅師の一徹の志を忘れてはなりません。

逆境に際し、今日の日本人の多くは「耐える」ということを忘れてはいないでしょうか。