選挙必勝!(2023.4.1)

愛媛県議会議員選挙に 7度目立候補、必勝で臨みます。 皆様の引き続いてのご支援をお願いします。

 3月31日告示、4月9日即日投開票で行われる、統一地方選挙での愛媛県議会議員選挙に、今回7期目に向け立候補します。

 今時代は新型コロナ感染騒動、ウクライナへのロシアの軍事侵攻よる世界平和への脅威など、精神的にも大きな脅威を感じざるを得ない状況に置かれており、今後の行方が非常に混迷し見えにくい状況にあり、各々の考えや心境が読みにくい状況にあります。

この春の 統一地方選挙の 戦い方も、これまでとは違ってくるのか?

 このような状況下での選挙の取り組みで、これまでにない世情が見えにくい選挙で、むしろもう社会や政治への関心も薄れているとも思われるような状況で、投票率も益々低くなるのではないかと心配するところです。

 私たち候補者の熱意や取り組みの問題外に、一般世情が無関心といえる状況かとも思えます。ぜひ投票には行って欲しいと思います。ともかくこれまでの経験を活かし、これまで以上に精神誠意の取り組みで、選挙戦を勝ち抜けるよう頑張ります。

 政策や姿勢については、ホームページの諸項目をご覧いただき私の政治姿勢を読み取っていただければ幸いです。

当選を勝ち取って、改めて政策や今後取り組む方針の具体的内容などは示させていただきます。

悠遠なる歴史や日常の暮らしを見直し、本来あるべき生き方を考える

月刊『致知」2023.4月号【巻頭の言葉】より引用 
高千穂神社宮司 後藤俊彦

天地自然を崇拝して生活を営んできた日本人

 年立ちてまづ汲みあぐる若水の
 すめる心を人は持たなむ

 この和歌は年の始めを尊ばれた大正天皇の御製である。昇る太陽も汲む水も常に変わらないが、私共はそれを新年には初日と呼び、若水と称える。年が改まれば天地自然もまた神聖な命が蘇ると信じているからである。

「冬来たりなば春遠からじ」というが、1月から3月にかけて時は瞬く間に過ぎてゆく。日本人が季節の移ろいを感じとる感性が鋭いのは、変化に恵まれた四季の風土に生き、人と自然の間に一線を画すことなく一つの生命体として捉えてきたからだろう。

 キリスト教にもイースター(復活祭)などの四旬節があり、自然を愛し尊ぶ心は世界の人々に共通しているが、それを五節句や年中行事として生活文化にまで昇華させてきたところにわが国の国風のようなものを感じる。

 例えば、花粉が飛散し病気が流行りやすい3月は桃の節句である。わが国では伊邪那岐命が桃の実を投げて黄泉国の悪鬼を迫い払った神話等の記述から、古来桃には邪気を祓うとの信仰があった。平安時代には紙や木片で作った人形で体を撫で、息を吹きかけて身の穢れや禍を落とし、川に流して身を清める“流し雛”であったが、市民文化が成熟してくる江戸時代の中頃から観賞用の立派な雛人形が飾られるようになった。

 5月は梅雨の季節で田植え月である。労働で疲れた身体を病気から守るために、この時期に根が薬用植物である菖蒲を刈り、軒に吊るしたり菖蒲湯に入ったりして無病息災の祈願をした。菖蒲は尚武と音が同じことから、雛祭りに対して男子の節句として定着した。このような行事は季節ごとの農耕生活の節目とも重なり、人々の健康を守り、稲の生育から子供の成長に至る大自然の生生化育に適っているように思われる。

 一方で神社神道は、春は神に対して五穀豊穣を祈り、秋には実りへの感謝の祭りを行ってきた。年中行事は各家庭で行われるが、祭礼は氏神さまに対して地域全体で行われるものである。いまだ人口も少なく、仏教伝来以前で神社建築がなかった時代は山や川、滝や巨石などの自然を祖霊や神の依代として祭祀が行われたから、神道は自ら自然崇拝と祖先崇拝を民族的信仰の遺伝子として持つようになった。そうしてすこしずつ人が群れ、ムラ(村)となり、クニ(国)となって統一国家が誕生した。それを長い歳月をかけて可能にしてものは稲作の普及であったと私は思う。

祈年祭、新嘗祭、紀元節・・・・伝統ある祭礼に再び光を

 今日でも神社神道が大切にする代表的な祭りは、2月17日の祈年祭と11月23日の新嘗祭である。祈年祭は農耕の始めに種籾を神前に供え、稲の無事な発芽と実りを祈るもので、祈年の“年”は稲の“稔り”を意味する。現在では一部の関係者を除き2月14日のバレンタインデーは知っていても、祈年祭を知っている日本人はほとんどいない。バレンタインデーも本来はキリスト教が誕生する以前の古代ローマを中心に、牧畜民族が結婚と豊穣の崇拝したルペルカーリア祭が起源という。

 2月11日の紀元節(建国記念日)も国民的関心は薄い。わが国の建国記念日は明治6年に当時の学者が『日本書紀』を基として、神武天皇が即位された日を太陽暦に直して紀元前660年2月11日とした。世界の主な国々の建国(独立・革命)記念日と比較しても、126代に及ぶ万世一系の皇統を中心に、2683年もの長期にわたり一つの国家が続いている国は例をみない。

 世界の政治家や国家指導者がわが国に強い敬意を表するのはこのためである。国外を含めて私がなにかの機会に日本神話と建国に言及すると、聴く人々の眼が輝き、驚きと感動で会場の空気が一変することを少なからず経験してきた。

 その度に私には悠遠なる上世より“豊葦原瑞穂の国”と称して皇室を仰ぎ、祖先を敬い、自然を畏敬しつつこの国を守り続けてきた人々に、心からの感謝の念が湧いてくる。日本各地で催される祭礼や年中行事は、人々の希望と祈りをこめて人と人が和み、睦び、結びあう場となり機会となった。

 しかしながら敗戦後の日本は、戦前の日本のすべてを封建的価値観に基づくものとして、古典とその中に学ぶべき道徳教育を怠り、家族制に替わって個人主義を学校教育で優先してきた。今や家族の崩壊は地域の崩壊を招き、薄れゆく罪悪感の中からは腐敗や不正が社会の隅々にまで浸透してきている。そしてこの度の3年に及ぶコロナ禍で、伝統ある祭礼や仏事、年中行事等の自粛により、各地でそれらが廃絶となった例も多い。

 今や世界の人口は80億人を超えている。その総ての人々が欲望のままに物質的繁栄のみを求めて海や山や川を酷使してゆけば、地球の自然環境は再生不能に陥るのではないだろうか。「足るを知る」という言葉があるが、私共はここで一度立ちどまり、人として本来あるべき生き方を考えてみる必要がある。

 それは戦前の歴史や私共の日常の小さな暮らしの教えの中にもあるはずであり、冒頭に挙げた大正天皇の御製の「澄める心」に立ち戻ることにも繋がるように思う。


126代に及ぶ万世一系の皇統を中心に、2683年もの長期にわたり一つの国家が続いている国は例をみない