1年半経過した被災地の訪問報告

自民党愛媛県連「震災対策特別班」 明比 昭治
《実施日程》平成24年8月24日(全国都道府県議会交流野球大会に併せて)
東日本震災その後01
東日本震災その後02
東日本震災その後03
東日本震災その後04

《『心に響いた町会長やご婦人方の話』》

国・県・市へ相談を投げかけるが、回答や反応に時間がかかり見通しも立ちにくい、ここにユーゴスラビアからの支援による集会施設・アメリカ合衆国からの公園整備などが出来上がったのだが、NPOによる支援が、幸い発災当初から速やかな手配で進み住民に喜ばれている。
また生活見回り用品が手に入りやすいよう、スーパーの社長に早期再開をお願いしたら、最速で開店にこぎ着けられ、都度々に地域の各種コミュニティ活動に協力もいただいており、民・民の絆は深まっている。
政治家は、忙しそうにはするが、今では遠巻きで見ていることがほとんどで、あまり期待できない。(=このことは最大の注意点と、胸が痛くなった)
【HANA荘にて交流と支援出来た施設の様子】(写真)

東日本震災その5
東日本震災その後06
東日本震災その後07
東日本震災その後08

次に、牡鹿半島の狐崎(女川原発の反対側に位置)で、カキ養殖を行っている方々の復興漁業部を訪ね、ここではホタテ貝の殻に種付けをするのであるが、貝の中心部に筏につるす針金を通す、2ミリ程度の穴開け作業を手伝う作業を、他にも先に来られていたボタンティアの方とともに体験させていただいた。
また津波で流されまいと、山の中腹の広場に作業場がつくられていた。これも知恵だ。
ただ見たり聞いたりするばかりでなく、実際に体で体験する支援を求めて今回の計画の目的に添うようにと、10人の参加者全員張り切って作業し、山と積まれていた貝殻を、半分以上崩すことができた。日程の都合で2時間程度の作業であったが、いい汗を流すことが出来た。
品質の良い牡蠣の産地として、またフランスから里帰りの種が支援されたと、話題になっているこの地域のカキ養殖であるが、このところ3年連続の不作続きで、漁業者は廃業もとの悩みを抱えているとのことであったが、頑張ってほしいものである。
ここへ行くための道路は、途中まで女川原発へ行く道路ともなっているのだが、原発方面へ行く道路と別れると、道路も復旧状況が悪くなり、県道から漁港までの道となるとなおさらまだ地震による段差も残る状態であった。
漁港の休憩所は、ボランティアにより材料を調達して立てられたそうだが、壁に描かれた絵が何となく、つらい気持ちも和らげてくれる。
【狐崎漁港での牡蠣の養殖準備ボランティアの様子】(写真)

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東日本震災その後12

 1994年1月に設立され、クロアチアやセルビアに現地事務所を開設し、内戦による難民・避難民の支援を開始し、最終的には生活と社会の自立が確立されるまで10年にわたり支えてきた。
これらの支援・援助のノウハウを生かし、世界各地で活動している。
東日本震災復興のため現在石巻市に連絡事務所を置き、昨年度の実績では国内外からの寄付や助成金により、約17億円で被災者の日常生活用品の配布や、コミュニティ支援、漁業支援、商店街復興支援、ボランティアの受け入れなどを行っている。
〈現地事務所はTEL0225-25-5611 FAX0225-25-5612〉