5ヵ月後の東日本大震災被災地への視察報告

《実施日程》 平成23年10月25日~27日(県議会「環境保健福祉委員会」視察)

 「福島オフサイトセンター」「東北電力女川原子力発電所」の状況調査のため、5ヶ月ぶりに福島・宮城の両県を訪問した。
先ず最初に、福島県庁で「災害対策本部原子力班」の『福島第1原子力発電所事故への対応状況』について、今日までの取り組みの説明を頂き、国が避難指示を発した警戒区域(20K圏内)には約78000人の人口があり、放射線量の高かった飯館村など計画的避難区域(約11000人の人口)の指定や解除の状況、現在(10月初現在)でも県内に1000人余、県外に57000人余の住民避難が続き、今も9町村が役場を区域外に移転しており、住民の動向の把握や、情報伝達に苦労している事、さらには非難区域が解除されたが、『除染』の課題がまだこれからの問題だとの悩み・苦労が聞かされた。
また、オフサイトセンターは原発近くに設置されていたが、避難指示区域内であり、県庁内に設置され、今も総勢150人ぐらいの各分野にわたるスタッフでごった返していた。

 愛媛では八幡浜市内にオフサイトセンターがあるが、松山に設置するのが適切だろうと思われる。(松山の原発本部にも同時中継施設はある)。
また、日頃より分かりやすい放射能の知識などの、資料配布や学習の機会も必要性が痛感された。

 次に女川原発は、福島第1と違って、備えもよかったが非常に幸運もあったと痛感した。敷地は津波の想定水位は9Mであったが、14Mで造られていたので、ギリギリ浸水も免れた。また送電網も5回線の内1回線が正常を保たれたため、非常電源の発動もなく、冷温停止し収められた。何と2号機は3月11日の午後2時に定期検査後の起動を開始し、45分後に自動停止したのも奇遇である。
女川町でも多くの住民が被災したが、幸いにも原発内の建物施設が無事だったので、近隣地区の住民を避難施設として受け入れ、6月6日まで最多時には364名が避難していたという。(ニュースでも流れた)
その後も、安全対策や訓練を重ねられていると聞き安心感を持ったが、福島との明暗の差がやるせない。
 この原発関係調査の過程を利用して、石巻市街の被災状況と南三陸町の震災津波状況を視察した。
5ヶ月前と比べ、車や船があちらこちらにひっくり返っている様子こそあまり見当たらないものの、復興が緒についているとは全く思えない。ガレキが分別してうず高く積み上げられているだけだ。
このガレキは被災地で3000万トンも余るといわれ、10年経っても現状では片付かない。
特に石巻市街はひどい、建物が建っていても窓や壁が崩れ落ち、人が住めない住宅が何百戸も見られ、水産関係の工場も随分あったと思われるが、復興操業のかけらも見られない。

 南三陸では観光協会が「語り部」活動を通じ、あえて被災の話をし、災害の恐ろしさの体験を風化させない事も大切との認識で、案内してくれた。
落ち着いた日常を取り戻すには何年かかる事やら・・・。痛みを国民みんなで分かち合おう。
「がんばろう 日本!」

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石巻市住宅街
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南三陸防災対策庁舎
(遠藤未希さんが放送中被災)
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南三陸町立戸倉小学校跡