早くも入梅 (2008/6/1)

平年より15日も早く四国・九州は入梅した。
ミャンマー・中国の災害を悼み、教訓にしよう。

 まだ鯉のぼりの泳ぐ姿が目に残っているのに、今年は入梅が5月28日に出された。地球温暖化の影響か、気候の変化が激しく感じられる。

 それにしてもミャンマーで起きたサイクロン被害、中国「四川省」での地震といずれも10万人を超えるような死者を出す災害が5月に発生したが、私達も危機意識を深めなければならないのではないか?

 近い将来といわれる南海・東南海地震は確実に近づいていると予測される。中国でのプレート移動(地震)のエネルギーは必ず太平洋プレートにもエネルギー移動がなされてくると思わなければならない。

 被害に対して援助をとの思いは、世界中から寄せられているにも拘らず、両国ともに国の体制からまだまだ外からの支援をスムーズに受け入れる体制に無く、善良な国民が犠牲になって命を失っていることは、慙愧にたえない。
 

 わが国もこんな時にこそ、損得を抜きにした人道支援を貫くべきと思う。一部ではあるがすばやい対応を政府も示されたことは、評価できる。願わくば受け入れ側の正常化である。

 このことを教訓にわが国自身、1人1人が危機意識を強め正常なナショナリズムを醸成しなければならないと思う。特に両国には正常化を求めたい。

 次にこれらの背景が、今後一層世界のあらゆる影響を与え、私達の生活に大きな影響を経済的にも与えてくるだろう。ガソリンの値上がり、農産物の値上がり、鉄鋼や諸資材の値上がりと、私達の生活は一層厳しくなってくるが、これらの対策を政府はしっかりと立てなければ、外国への支援どころか、世界に救済を求めなければならない国になってしまうのではなかろうか?

 家の政治の正常化が何より大切な時である。

今月から、月刊誌「致知」に掲載されている『巻頭の言葉』を引用して掲載しますので、道標として、お互いに考えて、実践に役立てようではありませんか。

「常識、良識を取り戻す」鍵山秀三郎(イエローハット相談役)著(要約)

日本の民主主義は勝手主義になる

 30年位前に「日本の民主主義は、いずれ勝手主義になる」とおっしゃった方がありました。今の日本を見ると、残念ながらその言葉通りになってしまったという印象を持たざるを得ません。

 法律に反していないからともっともらし理屈をつけて、周囲の迷惑も省みず自分勝手な振る舞いを平然と繰り返す人が増えました。法の隙間をたくみについて違法スレスレのところをうまく渡って行くような生き方をする人、さらには、仮に法を犯しても、人に知られさえしなければ犯罪にはならないというような人が増えています。

 社会的にも重要な地位についている人の中にも、そういう行為をする人が見受けられることは誠に嘆かわしいことです。法律や規則はどんなにきめ細かく作っても隙間が出きりものです。その隙間を埋めてきたのが、常識、良識だと思います。

 日本人も半世紀くらい前までは、法律など知らなくても、法律より遥かに遠いところで自らを律して生きる人が数多くいたように思う。私達は今1度こうした姿勢を取り戻さなければならない。

当たり前ではないことを、当たり前にしていないか

 法律の隙間をつくような生き方をしていて、人生も事業も決して全うすることは出来ません。一時的にうまくいったように見えても、すぐに行き詰まり、破綻を迎えてしまいます。無知、未熟であるがゆえに犯してしまった過ちはカバーできます。

 しかし、知っていて犯した過ちは回復不可能なくらい大きなダメージとなって跳ね返ってきます。会社でも、新入社員、若手社員の行いで大打撃を受けるようなことは殆どありません。

 逆に、経験をつみ物事をよくわきまえたベテランが過ちを犯せば、壊滅的な打撃を受けることがあり得ることを、しっかり自覚しておかなければならない。今会社がそのような危険な道を歩んでいないかどうかを確認する方法が有ります。

 それは、当たり前ではないことを、当たり前にしていないかということです。本当は常識に反するようなことであるにもかかわらず、いつの間にか普通になってしまっていないかということです。

  例えば、通路に本来置くべきでない荷物を置いたところ、いつの間にかそれが定位置になってしまっていたことなどよく有ります。1つひとつは些細なことでも、危険な道をまっしぐらに突き進んでゆくことでもあります。

 私は1人でも多くの方が、勝手の日本人の常識、良識を取り戻し、法律や規則など意識せずとも、自らを律して生きてゆかれることを願っています。そのような姿勢で生きることが、人生を安泰にし、事業を長く維持する最も有効な道なのです。