水が欲しい! (2008/9/1)
この夏は雨がなく、四国では各地で渇水状況である。私も毎日眺める加茂川にも水がなく、夏休みに楽しみにしていた、子供たちの水遊びや「キャンプ」にも不便をきたしていた。
遊びはともかく、地下水位が下がり、自噴はもとより、飲料用の地下水ポンプが空回りするところも加茂川べりでさえ出る状況である。窮状を察しかね、「黒瀬ダム」に放流してはどうかと連絡をしてみると、40年も前に設定した規定の流量は確保しているので流せないとの返事。これまでの経験上、せめて武丈堰を越える流量があれば、西条の地下水は何とか凌げてきたのだが、今年は武丈堰まで水が到達していないのである。
河床も上がって流れの様子が変わり、40年前とは違ってしまっているのだ。
流域の住民の生活のことより、ダム管理の規定が優先されるほど「水」はしっかり管理しなければならないことを教えられた。
「黒瀬ダム」の水に期待している問題が取りざたされているが、これほど「水」の権利は大事なのだということを、肝に銘じて今後も対応しなければならない。
自然の水も枯れてきているが、心の潤いも枯れ、生活の犠牲を法の建前に市民に負わせるのは如何なものか?これが正常な社会にありようなのか?
残念である。
松山でも給水制限など大変な状況のようであるが、共に水の大切さと、厳しさを考えなければならない。
経済の安定を!
景気が一層下降線をたどっているようであり、対策が望まれる。
ガソリンも9月より多少価格が下がるようであるが、全てが上がってしまっており、なかなか元には戻らないだろう。私は何より若い人たちに定職・生業が失われていることが気になる。行政も企業も社会の責任として、国民の生活基盤を確立する使命を忘れてはならない。人が滅んで国が成り立つ筈もない。人を生かしてこそ国が成り立つのである。
「気づき」が人生の勝負を決める
― アサヒビール名誉顧問 中條高徳(月刊『知致』9月号巻頭の所感より抜粋引用)-
「真剣に生きる場に 神仏は気づきを与える」
先頃、吉野の金峯山寺千日回峰行を果たした「塩沼亮潤」師の講和を聞いた。
千数百年の歴史の中で、この荒行を行ったのはたった2人という。9年間続ける行の間の挫折は、病気であろうが、怪我であろうが、死を意味するという。当日は、自刃のために携行する短刀も持参された。演壇にその時のままの姿で登場され、目は限りなく澄んで若々しく、崇高な雰囲気が漂っていた。
平成3年5月3日蹴り発熱に襲われ文字通り死出の旅立ちを覚悟したという。「どんなに辛くとも、苦しくとも、岩にしがみついても、砂をかむような思いをしても、立派になって返ってきなさい」との母の言葉が耳の底に聞こえてきて、挫折せずに行を全うできたという。また、塩沼師はこの荒行の後「四無行」に挑まれた。『眠らない、食べない、飲まない、横にならない』行である。特に水を飲まないことが苦行中の苦行であり、生命の危険まで伴う。人間は一定の水分が体内に無いと血液濃度が著しく濃くなり死にいたる。医者がついているわけではない。身を守るのは自分しかない。師は生き抜く為には小便すら1日に2度しか許されないと気づく。真剣に生きる場には、必ず神仏が「気づき」を与えてくれるものなのだ。
国、民、富を著しく積むも、国を守ることを忘れ、仁義地に墜ち、礼破るるの現身の危機すら全く気づかぬこの国の姿が気になった。
「「ひとりよがり」から「お客様がすべて」へ」
戦前の日本のビール業界を支配していた大日本麦酒は、占領軍に分割された。キリンは小なるが故に分割を免れた。分割の破壊力はすさまじい。私がアサヒビールの指揮を命じられた頃はシェアが10%を切っていた。この状況を見て世界の権威ハーバード大学は6割を超えたキリンビールのトップの座は絶対ゆるがないと説いていた。アサヒは業界の限界企業として喘いでいた。自分から言うのも憚れるが、あたかも死地に赴く指揮官のおもむきだった。塩沼師の荒行とは比較すべくもないが、すさましいまでに苦しかった。切ないまでの日々であった。その苦節の日があったからこそ「生ビールなら勝てる」と気づくことができ、それまでの「ひとりよがり(プロダクト・アウト)」から、「お客さまがすべて(マーケット・イン
」を気づかせてくれた。この心が師の称える「人生生涯小僧のこころ」に通ずる。
人生を歩んでいると、挫折の日はしばしばやってくる。その挫折の苦しみから逃れようともがくのではなく、「挫折は成功の母」くらいに明るく生き抜いて欲しい。
師の著書『人生生涯小僧のこころ』は優れた指南書といえる。