不況の嵐を耐え抜こう(2009/2/1)

アメリカ大統領がオバマさんに代わった。チェンジに期待したい。

何といっても世界のリーダーはアメリカであろう。この世界不況の最大の要因は、アメリカの金融不安が端を発しているものなのだから、アメリカに頑張ってもらわなければならない。アメリカはオバマの呼びかけた「チェンジ」に「イエス ウイキャン」で応えて支持したのだから、国民一丸となって一日も早い安定と発展の道を開いて欲しいものだ。それが世界を変えてゆく力となるのだから・・・。

しかし、アメリカ頼りで我が国も寄りかかっていてはだめだ。たとえアメリカと決別しても、日本の安定や安全は自ら守る気概で立ち向かうべきであろう。

そのためには国内で国民の協力体制が大事なことであるが、いまの国政の状況を見ていて共に国の苦境を乗り切ろうとの、国民の共感を得られる状況にはない。

景況の落ち込みは思いのほか私達の身の回りに迫っている。危機感が大切で、厳しさを耐え抜く方策を常に備えた毎日を過ごす必要があろう。

厳寒を迎えるが、必ず暖かい春は訪れるものだ。
いま固い蕾を緩めてはいけない。

西条高校第81回選抜野球大会出場決定おめでとう。

また今治西高校もおめでとう。ともに健闘を祈ります。

母校の4年ぶりの出場に際し、また、甲子園で同級生に会えることを楽しみにしている。

組み合わせ抽選の結果により、一番最初の試合の終了後、同級生で久しぶりに一時を。過ごそう。

今年は1月1日に5番目の孫も誕生、こころ暖かいスタートが切れた。

看脚下

南無の会 会長 松原 泰道

「日常のその場、その場が禅」

 禅に「看脚下」(かんきゃっか)という語句があります。

11世紀、中国は宗の時代の禅僧・五祖法演(ごそほうえん)禅師の有名な言葉です。

 文字通りに捉えれば、自分の足元を看(み)よという意味になります。しかし、仏教、特に禅の思想はすべて、それを象徴するものに置き換えて表現されるため、その語句が何を象徴しているのかを理解しなければ、意味を?(つか)むことができません。

 この禅語は、法演禅師がある夜、三人の弟子を伴って歩いている時に生まれた語句です。途中、突然風に吹かれて手にしていた灯火が消えてしまいます。いまのように明るい照明のない時代ですので、辺りは一瞬にして真っ暗になります。こういうちょっとしたハプニングを捉えて、禅の教育が始まるのです。

 法演禅師が弟子たちに問います。

「一点語(いってんご)を下(くだ)せ」(自己の悟りの心境を表す語句を述べよ)

これに対して、三人の弟子がそれぞれに答えるのですが、その中で「看脚下」という仏果(後の『碧巌録』の完成者)の答えが法演禅師の心に適ったのです。

 灯火が消えた真っ暗闇では、あらぬものを想像して右往左往し、かえって道を見失ってしまいます。そんな時は、脚下を看るという当たり前のことをしっかり行うことが大切です。

「禅は人々の脚跟下(きゃっこんか)にあり」といいます。

遠いところではなく、自分の足元、いまここに禅はあるのです。禅といえば何か特別なものと考えてしまいがちですが、そうではありません。いま、この場で、何をすべきかを問うものです。

 お茶を飲む時には、ただお茶を飲むことに自分の心を統一していく。履物を脱ぐ時には、履物をちゃんと揃えて脱ぐ。日常生活のその場、その場が禅であり、いま自分は何をどうすべきか、いつもこのように自分を見ていくのです。

 これをぜひ、仕事の上でも実践していただきたいと思います。机の上の電話が鳴ったらパッと取る。誰かが取るだろうなどと躊躇せず、鳴ったらサッと取る。その隙のない状態が看脚下です。

 別の言い方をすれば、いまここで自分がすべきことは何か、と常に自問自答していくことです。そうすれば、他に気を取られながらではなく、本気になってそれをやっていくので、失敗も少なくなります。

「すべてのものには役割がある」

仏教には仏心(ぶっしん)、仏性(ぶっしょう)という言葉があります。いまの言葉に置き換えれば、「万物をして、そのものをそのものたらしめる根源的な心」と言えるでしょう。つまり機能、働きと言い換えることができると思います。

例えば、一枚のティッシュペーパーにも仏心があります。これはつまり、ティッシュペーパーでなければならない機能を持っているということです。電卓がどんなに便利だからといって、こぼれたお茶を拭くことはできません。柔らかい紙だからこそ拭くことができます。仏教はそこを捉えて、一枚のティッシュペーパーにも仏様が宿っていると説くわけです。

すべてのものには固有の役割があります。ものがそうですから、人間一人ひとりにおいてももちろん同じことが言えます。

禅の説く生きがいというのは、少しでも人様のお役に立つことであり、そのことを通して自分の人生、他人の人生を豊かにしていくことです。

自分に与えられた役割を自覚して、自分のための自利(じり)と、他人のための利他(りた)とが一つになっていくような仕事、人生を、ぜひ目指していきたいものです。