梅は咲いた、桃も咲いた、菜の花も咲いた、桜はまだか(2009/3/1)

ボックス 三寒四温の天候の繰り返しで、いよいよ花も土筆も芽を出し、蕾をほころばせる気候となった。
  世の中不況の嵐の真っ只中にあるが、自然は関係なく、今日も明日も今年も、何時ものような繰り返し繰り返しの、営みである。この悠々とした営みと比べ、人間社会の営みとありようは、いかにもせせこましい限りである。

 選抜野球大会。頑張れ!西条高校!今治西高校!決勝戦で会おう!!

 3月21日からは、第81回選抜野球大会が新しくなった甲子園で始まる。今年は四国代表として愛媛の2校が出場する。西条高校は昨年秋の神宮大会ではベスト4と大健闘、今治西は3年連続出場と常連校 ともに優勝候補と評判が立っている。いずれも頑張って欲しい。願わくば決勝戦で戦って欲しい。 
 高校野球の爽やかさは何よりで、人気がある。ここで頑張る姿は全国民が注目するため、地域にとっては何よりの宣伝となり誇りとなるものだ。

 麻生総理、いい加減で引きざまを考えたら!

 世界的不況の真っ只中にありながらも、国会のありようは国民の誰もが信頼していない。これではいくら予算を組んでも効果が発揮でき無い。
 世界でもっとも多くの金をつぎ込んで経済対策を講じている(75兆円に、まだ追加が言われている)国として、効果が無かったでは済まされない。これがやがて後年度負担として国民に重くのしかかってくるのだ。早くごたごたの幕を閉めて欲しいものだ。 

 いよいよ年度末です。片付けるものは片付け、整理をしよう。

新しい年度に向けて、気分一新のスタートが切れるように準備もしよう。

 定年を迎える皆様長い間、ご苦労様でした。

『十八史略』が教える人物登用法

― ウシオ電機会長 牛尾治朗(月刊『致知』3月号巻頭の言葉より抜粋引用) -

『変わらない人間の本質』

 安岡正篤(まさひろ)さんの解説した『十八史略』(じゅうはつしりゃく)に、李克(りこく)という人物の逸話が出てきます。これは約2400年も前の話ですが、いま読んでもまったく古く感じられません。人間の本質というものは、これだけ時代を経ても変わらないものなのです。

 魏(ぎ)の王である武侯が国の宰相を決める時、幕賓(ばくひん)の李克に、どんな人物を選ぶべきかと相談をします。これに対して李克は次のように答えます。

 「居ては其(そ)の親しむ所を視(み)、

  富みては其の与うる所を視、

  達しては其の挙ぐる所を視、

  窮(きゅう)しては其の為(な)さざる所を視、

  貧(ひん)にしては其の取らざる所を視る」

(平生どういう者と親しんでいるかを見る。

 お金ができた時にどう使うかを見る。

 出世して地位が上った時にどういう人物を抜擢、登用するかを見る。

 困窮した時に何をするかではなく、何をしないかという点を見る。

 貧乏している時に何を取るかではなく、何を取らないかという点を見るべきです。)

 この五つの観点から、李克は魏成子(ぎせいし)という人物を推薦しました。

 これを不服とする??(てきこう)は、「私のどこが魏成子に及ばないのだ。そもそもお前をいまの地位に就けたのは私ではないか」と李克に詰め寄ります。しかし李克は平然と答えます。

 「いま国の政(まつりごと)を担っている子夏、田子方、段干木は、いずれも魏成子が推挙した人です。彼はあれだけの地位にありながら、収入の9割まで費やして優れた人物の発掘に奔走しています。あなたは国のためにどれだけのことを為してきましたか。せいぜい私を薦めたくらいではありませんか」

 翟璜 は恥じ入り、黙って引き下がったといいます。

 

『かつての精神性を取り戻す』

 最近、この逸話を改めて読む機会があり、いまくらいこの話が当てはまる時はない、と実感しました。

「居ては其の親しむ所を視」

日本をリードする立場にあるいまの政治家、経営者はどのような交友を重ねているでしょうか。君子は交わりを慎め、といった先人の戒めもあります。よき人物との交友を通じて人間性を高め、この厳しい時代に道を切り開いていかなければなりません。

「富みては其の与うる所を視」

松下幸之助さんは生前、「お金の使い方を見れば、その人物がすべて分かる」とおっしゃっていました。そして自らは、「物心両面の繁栄により、平和と幸福を実現していく」という志を実現するため、松下電器がまだそれほど大きくない頃に会社の利益を投じてPHP運動を立ち上げ、さらに後年、私財を投じて松下政経塾を立ち上げました。

「達しては其の挙ぐる所を視」

言いにくいことを直言してくれる部下、大局に立って意見してくれる人物は敬遠されがちです。

 また、安岡さんは『宋名臣言行録』(そうめいしんげんこうろく)をひいて、君子と小人(しょうじん)が喧嘩をすれば、必ず小人が勝つとおっしゃっていました。君子は戦うのが馬鹿馬鹿しくなり、途中で山に引きこもってしまうからだというのです。

 したがって上に立つ者の一番重要な仕事は、真に優れた人物を見極め、しかるべき地位に就けることなのです。

「窮しては其の為さざる所を視」

この言葉から思い起こされるのは、戦後公職追放に遭った父のことです。

 戦前は電力会社の社長や銀行の頭取を務め、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をしていた父でしたが、脂の乗り切った時に活躍の場を失い、失意のどん底に沈みます。

 しかし、安岡さんからお手紙で「随所(ずいしょ)に主となる」の言葉をいただいて立ち直り、裏千家の老分(ろうぶん)を務めるなど、文人としての素質を開花させ人生を心ゆくまで楽しむようになりました。頼まれて財界活動や社外取締役などを務めることはあっても、再び経営の一線に立とうとはしませんでした。

 60年に満たない人生でしたが、父はきっと満足だったと思っています。

「貧にしては其の取らざる所を視る」

貧しい時にはその人の人間性が最も表れます。浅ましい、貪(むさぼ)りの心が頭をもたげてくるものですが、いかに取らないかということが大切なのです。

 世界はいま、かつてない不況に直面しています。この危機を乗り越え、新しい世界を築いていく上で力となるのは、人間の精神性だと私は思います。

 終戦後の日本人は、お互いに助け合い、支え合って貧しい生活を乗り越えてきましたが、高度成長を通じ、そうした清く美しい心にも曇りが生じてしまいました。我々はここでいま一度、かつての心を取り戻し、李克のいうことが当たり前となるような国になることが求められます。それこそが、我々が新しい時代を切り開く鍵になると私は考えています。