病は早めに封じ込めよ!(2009/5/1)

病は早めに封じ込めよ!

 4月末から俄かに、メキシコで死者が出たことを発信源とする、新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)の発生と感染がクローズアップされ、世界がこの対策で注目している。
新型なのでまだ威力などよくわからないこともあるが、いずれにしても早く封じ込めることが必要で、変形したりウイルスそのものに力をつけさせてはいけない。
WHOを中心に世界の連携が期待される。

 私も、先月腹部大動脈瘤(右足つけ根部)の手術をした、昨年MRIの検査で発見、どんなにしても、ふくらみは小さくすることは出来ないとの医者の説明を納得し、どうせなら早い内の手当てで安心できるので今回、カテーテルによりステントグラフト挿入手術をお願いした。幸い経過も順調で、これで無理をしなければ少なくとも15年は大丈夫かな?との自身ともなった。
何事も『大難を小難に、小難を無難に』済ませられるよう神様にも見守って欲しいし、自分も努力が必要だ。

新緑が清々しい、この命の息吹を取り込もう。

喫茶去

-南無の会会長 松原 泰道(月刊『致知』5月号巻頭の言葉より抜粋引用)-

『全力を尽している限り人生に無駄はない』

 中国は唐の時代、禅僧・趙州和尚(じょうしゅうおしょう)のもとに、一人の修行僧が教えを請いにやって来ました。趙州和尚が、
 「あなたはここへ初めてきたのか?」
 と問うと、僧は答えて、
 「はい、初めて参りました」
 すると趙州和尚は言いました。
 「喫茶去(きっさこ)」(お茶でも召し上がれ)
 趙州和尚は、別の訪問僧にも同じことを尋ねました。その僧は、
 「いえ、以前にも伺ったことがあります」
 と答えましたが、趙州和尚は同様に勧めます。
 「喫茶去」
 このやり取りを見て、不思議に思った寺の住職が趙州和尚に尋ねます。
 「老師は、初めて来た人にも、以前来たことがある人にも、同じに『喫茶去』と言われました。これはどういうわけですか」
 すると趙州和尚はまたしても、
 「喫茶去」
 と答えたのでした。

禅の思想は極めて象徴的で、言句(文字や言葉)を表面的に捉(とら)えると解釈を誤ります。
喫茶去というからお茶にとらわれてしまいますが、趙州和尚は、ここへ初めて来たのか、以前ここへ来たことがあるのかと、未来でも過去でもない、「いま、ここ」を問題にしているのです。「いま、ここでお茶を召し上がれ」と。

  お茶を飲むということは、日常のありふれた行為です。しかしその日常の行為が、実は禅そのものなのです。お茶を飲むことだけではありません。ご飯を食べること、衣服を着ること、そうした日常のすべてがそのまま禅なのです。

  多忙な現代人は、食事もお茶も、他のことをしながらいただいて「ながら族」になりがちです。しかし、何事も「ながら族」ではいけません。お茶を飲む時はお茶を飲むことだけに徹する。ご飯を食べる時も、衣服を着る時も、ただそのこと一つに徹してすることによって、人生の受け止め方も違ってくる。喫茶去とは、そのことを説いているのです。

  自分は回り道をしているとか、自分の本当の仕事は別にあるとか、何事も一時の腰掛のつもりで手を抜いてやっていると、必ず悔いが残ります。しかし、どんな仕事であれ、その時に全力を尽してやったことは、後で必ずプラスになって返ってくるものです。全力を尽して取り組んでいる限り人生に無駄はない。これは、私の長い人生から得た持論です。

『自分のことだけでなく人様のしあわせを願う』

 茶は日本人の間で大変愛されてきました。
室町時代、珠光(じゅこう)によって創始された茶の湯の作法は、長い時をかけて洗練されてきましたが、ただ一つ貴重な無駄が遺(のこ)されています。柄杓(ひしゃく)で茶碗(ちゃわん)に注いだお湯の残りを、わざわざ茶釜に戻すでしょう。そこに込められた意味を教えてくれるのが、道元禅師の逸話です。

  道元禅師は、毎朝永平寺の近くの川まで水を汲(く)みに行くのですが、柄杓で汲んだ水を必ず半分くらい川に戻してから寺に帰られました。川には水が潤沢に流れていますから、わずか半杓の水を戻したところでそれが何になると思われがちです。しかし道元禅師はその行為を通じて、下流の人に福がもたらされるように願っていたのです。
自分のものを分かち合うことで、人様のしあわせを願う思いやりの行為だったのです。

  お茶からはいろんなことを思い出します。

  私の従弟(いとこ)は、縁あって私の寺で出家をし、弟弟子になりました。ところが、彼は私もお世話になった岐阜の瑞龍(ずいりゅう)寺で修行中に、陸軍の召集令状を受け取ったのです。

  昭和19年秋、名古屋の師団から訪れた従弟(おとうと)の出(い)で立ちを一目見て、私は彼がこれから出征することを悟りました。果たして従弟が口にしたのは別れの挨拶(あいさつ)でした。

「長い間お世話になりました。これでお別れでございます。どうか兄さん、お体を大事にしてください。」

  上京の途中で空襲がひどく、到着するまで時間を費やしてしまったので、すぐに帰隊しなければならないというのです。それではあまりにも寂しい別れです。たまたま彼がお茶好きだったことを思い出し、「急いでもらい合わせの精茶の玉露(ぎょくろ)を淹(い)れるから、詰めていきなさい」と、彼の水筒を引き寄せようとしましたが、彼は「結構です」と言う。私は寂しくなり、
「兄弟がこれで別れるという時に、遠慮なんかするものじゃない。水筒を出しなさい」
と命じると、
「兄さん、自分は衛生兵です。衛生兵の持つ水筒は、私用に飲むためではありません。怪我(けが)や病気をした戦友のために預かっているのです。傷病兵には冷たい水や濃い緑茶の類(たぐ)いは毒です。いただけるのでしたら台所に残っている番茶をお願いします。」と。

  それが今生の別れとなりました。彼が出征したサイパンは、9月18日に玉砕したのです。

  たとえ自分の持ち物でも、自分のしあわせのためだけに使うのではなく、人様と分かち合う。そうしたたしなみが、かつての日本には軍隊にまで浸透していました。

  私たちも、こうした相手を思いやる気持ちを持ちたいものです。これは人にお茶を勧める時も同様です。ただ形式的にするのではなく、相手のしあわせを念じてお勧めしてこそ意味があるのです。