謹賀新年(2010/1/1)

 昨年は夏の衆議院選挙で民主党が圧勝し、50年余営々と築いてきた、自民党からの「政権交代」が実現しましたが、早く混乱から脱し、真の「新」を期待します。

 『国民の生活が第1』『コンクリートから人へ』とマニュフェストを掲げ、国民の支持を得たのだが、1昨年秋からのリーマンショックを受けての、世界的不況からの脱出は儘ならず、デフレスパイラルに巻き込まれ、国民の所得も、国の財政も収入が落ち込みアップアップの喘ぎ状態が続いている。何より景気対策が必要だ。
 
 政治家(国会議員)だけが光って見えても何にもならない。

 景気のいい話が聞かされたのは、本人もどうなっているのか解らないという、数字や経済音痴の、鳩山総理兄弟の毎月1500万円の母親からのお小遣いの話や、小沢民主党幹事長の西松建設などからの政治献金で、東京都内にマンションを何軒も持って蓄財をしている話や、600人も引き連れて中国詣をした話くらいのものだ。

今年は 7月に参議院選挙がある。

しっかり候補者や政策を見定め、誤りのない選択をしよう。

 鳩山政権は過去最大の92兆3千億円余の一般会計予算を組み、過去最大の44兆3千億円国債発行で、国債依存度が48%と過去最大の不健全体質の来年度の予算を組むようである。

  自民党を「ずたずたの焼けの原にする」と小沢幹事長が豪語して、これまでの自民党支持層にあてつけの予算組みが随所に見られるが、自民党(国民生活を支える政策)を潰すために、将来如何に国民が疲弊しようとも、選挙勝つための誘導策を、今をチャンスと、ごり押しすることでよいのだろうか。

 「地上の楽園」の瞑想でいざない、取り返しの付かない地獄へ落とし込む危険すら感じるが、よくよく考えなければならないと思う。

 生活苦で自殺する人が増えてもいるが、私達1人1人のやがては命に関わる問題であり、
しっかりと見つめて、行動しなければならない。

「自民党」や「民主党」の党利党略に翻弄されず、安全・安心を築き、真に「県民に信頼される政治」に、誠実に努めます。

今年は「希望」を活動のテーマにします。 -明比昭治-

  私も県会議員としての任期の最終年度を今年は迎えますが、このようなかつて経験のない政治状況の中にあって、中央(国家権力)の支配強化に屈することなく、地方の自治権を守り、県民が「希望」を失わないで未来に展望が開けるような地域(愛媛・西条)を築く為に、渾身の努力を傾けたいと決意も新たにしています。

 そのためには厳しい現実を見つめ直すことを忘れず、守り生かすべき大切なものは何かを、新たなチャレンジ精神をもって取り組みたいと思います。

 これまで2年間に亘り、県の「監査委員」として県行政の細部に亘っても見させていただいたことを一層生かしながら、県民の目線で県民が納得してより地域づくりに参加して、信頼関係が強固になる仕組みを大切にしたいと思います。

 県知事選挙もやがて取り組みが必要になってきますが、愛媛の「希望」を切り開いてゆく勇気と信念のある「知事」の選択も、皆さんとともに考えてゆきたいと思います。

 ともあれ、大切なことは政治家のメンツのために政治があってはなりません。基本である国家の安定と平和の維持のため、国民の信頼をずたずたにする犠牲を負わせず、信頼され協力を得て「希望」生み出せるが社会を守る政治が大切です。

 =希望は未来を展望するための行動指針と同時に、挫折を含む過去を想起し、現実を受止めるための想像力の源泉でもある。ときに効率性の尺度すらスルリと乗り越える希望は、幸福の追求や行動を喚起させるための「物語」である。
=(東京大学社会科学研究所より発刊の『希望学』より。)

 

逆縁に散った若桜たち

-アサヒビール名誉顧問 中條高徳 月刊『致知』1月号巻頭の言葉より抜粋引用-

『尊い犠牲によってもたらされた平和』

 我が国は60数年も戦争のない時代が続いた。輝かしくもあり、尊い我が民族の歴史である。戦争は人類にとって極めて残酷なものであり、一切の容赦の倫理を許さない。
  したがって人類にとって戦争はあってはならないものである。だが、残念ながらしばしばに起こる。

  長く平和を享受(きょうじゅ)してきた我が国民の中に、平和を口にさえすれば自(おの)ずと平和がくるものだと安易に考えている人たちが多い。
  しかし、今いただいている平和の時代も、二百数十万余の尊い犠牲者によってもたらされたものであることを片時も忘れてはならない。

  世に「逆縁(ぎゃくえん)」なる表現がある。
  仏道に入る縁を指すのだが、一般的には年上の者が年下の者の供養をすることをいう。人生は不思議な道程(みちのり)である。賢者名僧といえども寸秒先の己の命脈を知り得ないし、生まれた順序のとおりに死の時がやってくるとは限らない。

  ところが、戦争はこの「逆縁」の大量生産の場なのである。つまり、たくさんの若者が戦場に赴(おもむ)き、後に遺(のこ)る親、妻、子供、恋人の平安を祈りつつ、この世を去っていくのだ。しかも春秋に富んだ若者であるのに、己の命脈の果つることを覚悟して戦場に赴いて行った。

『二人の遺書』

 「見よ落下傘」(空の神兵)の軍歌で有名なパレンバン降下作戦の指揮をとったのは陸士38期の甲村武雄少佐であった。
  甲村少佐は、昭和21年3月16日モロタイ島において戦犯として銃殺された。
時に41歳であった。
  某部隊がオーストラリア軍の捕虜を死刑にした事件に連座して死刑の宣告を受けたものであった。

遺書 ― 夢にだに思はざりき

一、大東亜の聖戦も敗戦に終りしは誠に一大痛恨事にて、罪は一億国民斉(ひと)しく御奉公の至らざりしに依(よ)るものにして此の点国民深く反省すべきものとす。小生七生報国(しちしょうほうこく)を期しあり。子供達にも克(よ)く言ひきかせ被下度(くだされた)し。

二、全く小生の職務上の連座事件にして、直接の関係者にあらず、自分の良心の呵責(かしゃく)全く無く明鏡止水(めいきょうしすい)の心境なり。この点子供達によく話し、父は全く正しき武人たりし事を知得(ちとく)せしむると共に、職務上の責任に依り止むを得ざりし事と知らしめ、今後子供達教育の資たらしめ将来共正しく直(なお)く明るく成長せしむる如く教育せよ。

三、戦争犯罪者として濠(オーストラリア)軍より遇せられあるも何も罪を日本国家に負ひしものにあらず。正しく日本国の為全能力を発揮して奉公せしも敗れたるを如何(いかん)せん。小生軍人の一生を顧み初一念(しょいちねん)を貫き、御奉公の一端を到せし事特に其の最後に於て参謀として終るは満足なり。

四、小生なき後子供の教育につきては一入(ひとしお)ご心労多き事と存ずるも子供をして眞の日本人として生長に努められ度(たく)。子供達の今迄(まで)の順調なる成長を見、将来を刮目(かつもく)しあり、而(しこう)して教育には柔剛並行教育を肝要とすべく厳格なる父親の役目を忠夫兄に依頼せよ。

五、其の許殿(もとどの)(妻のこと)十有余年間小生に到せし誠に対し愛敬と感謝を捧ぐ。

君のため捨つる命はおしからず
        モロタイ島の露と消ゆとも
           ※

 また、海の落下傘部隊メナド降下作戦の指揮官の堀内豊秋中佐(海兵50期)もまった
く同じ運命をたどり、オランダの軍事法廷で銃殺刑に処せられた。堀内中佐の遺書の一部を紹介する。

 一誠よ、その子供達よ。父は国家の犠牲となって散るのだ。桜花よりも清く少しの不安もない。兄妹力を協(あわ)せ母上に孝養尽せ。不幸な妻よ部下の散ったメナドで白菊の如く美しい態度で散るのだ。年寄った母上様、どうか先立つ因縁を許して下さい。

 このようにして終戦時、千名余の若者が、まともな裁判すら受け得ずに、「逆縁」の運命を恨むこともなく、後に遺る者たちの幸せをひたすら祈ってあの世に旅立ったのだ。
今、平和を享受する国民のすべてが、この英霊たちに報恩感謝の誠を捧げることを怠ってはならない。

合掌