今年も残り僅か(2009/12/1)

円高の進行・デフレスパイラルで、寒い年越しとなる!

 いよいよ2009年も残すところ僅かとなったが、昨年秋以来の世界的不況から脱することも出来ず、政権交代でムードのチェンジも儘ならずデフレが進行、寒風吹きさらしの年末を迎えそうである。

 行政刷新会議の「事業仕分け」でこれまでの無駄の排除をと、民主党政権が洗い出しを取り組んだが、ノーベル賞受賞者らが科学技術予算の査定で、仕分け委員の見識を問う勇気と見識ある行動に立ち上がられた。私も同感で評価したい。

 これから政府が国の来年度の予算を組まれるが、国の発展や安定の芽を摘むようなことがあってはならない。民主党のマニュフェスト重視も政権党だから必要だろう。だが、国家を疲弊させ、国民の「貧困層」を一層ふやすことになってはならない。

 結局史上最大規模となるのか?赤字国債の発行を抑制をとこれまで叫んでいながらも、30兆円に抑えるどころか45兆円規模にもなるようにも言われる。

 税収が落ち込むのだから、補いはつけなければならないと予算が組めないのは当たり前だが、景気対策で税収を上げることのほうが優先されなければなるまい。

 何より、デフレスパイラルが進行し、利益が産めないために賃金の抑制や、雇用の削減などで所得が一層減退して消費購買力や、税収が益々落ち込む悪循環は深刻である。

 加えて、リーマンショックでアメリカドルの失墜、ドバイショックでユーロの失墜から、思いもよらぬ「円高」が進行し、日本の輸出産業に大きな打撃が押し寄せている。

 来春卒業する若者の就職率の悪化は、この国の先行きを一層希望のないものにしてしまうだろう。

 足腰の弱い地方や、弱者を救わずして健全な国が維持できるものでもない。甘えの構図も無くさなければならない。受益者負担や相互扶助・互譲の精神をなくして、健全な社会といえるだろうか?

この国の建て直しは民主党でも自民党でもない。挙国一致で取り組むべきだ。

君子に三畏有り

-論語普及会学監 伊與田覺(いよた・さとる)月刊『致知』12月号巻頭の言葉より抜粋引用-

『君子とは何か』

 2千数百年にもわたり多くの人々に読み継がれてきた、中国古典の代表ともいえる『論語』は、孔子の言葉を弟子たちがまとめたものです。世の辛酸をなめ尽くした苦労人である孔子。その言葉は、どの一句をとってみても含蓄(がんちく)があり、読む者の心を打ちます。

  『論語』には、“君子”という言葉が80数ヵ所も出てきます。
  君子とは、立派な徳を成した人、またそうなろうと努力している人、さらには高位の人をもいいます。理解を深めるためにも、『論語』で君子という言葉が出てくる箇所を抜き出して、自身に照らしてみることをお勧めします。君子とは具体的にどういう人のことをいうのか、その輪郭を摑(つか)むことができると思います。
  『論語』に次の言葉があります。

 「孔子曰わく、君子に三畏(さんい)有り。
   天命を畏(おそ)れ、大人(たいじん)を畏れ、聖人の言(げん)を畏る。
   小人(しょうじん)は天命を知らずして畏れず、
   大人に狎(な)れ、聖人の言を侮(あなど)る」

 君子には3つの畏れがある。この畏という字は、普通の恐れと異なり、敬いながら恐れるという意味合いがあります。
  天命とは宇宙根源の働きをいいます。感覚の世界だけで生きている人には、その存在が理解できませんが、君子はこの世の現象を根底で動かす偉大な力の存在を認識して、それを畏れ敬うのです。

  私はいま93歳ですが、これまで病気も経験し、軍隊にもまいり、何度も死線を乗り越えてきました。この年までよく生きてこられたものだとつくづく思います。
  戦友はほとんど亡くなりましたが、なぜ自分だけが生き残ったのか、いくら考えても分かりません。

  重い病を患い、明日の朝まで生き永らえることができるだろうかと案じたこともありますが、朝になると目が覚め、ちゃんと生きていました。本当にありがたいことだと思います。病というものは辛(つら)いけれども、生きている喜びを感じさせてくれ、天を畏れる気持ちを育(はぐく)んでくれるありがたい面も併せ持っていることを実感させられた、貴重な体験でした。

『上士は、道を聞いて、勤めてこれを行う』

 大人というのは天の心、天の働きを身につけている人をいいます。そういう立派な人物というものは、服装のいかんにかかわらず、その人の前に出るとおのずと頭が下がり、畏れの気持ちを抱かされるものです。 

  聖人というのは、大人の中でもさらに突き抜けた存在です。一般の人には分からない声なき声を聞き、形なき形を見て、そこで得たことを自分の内に止(とど)めておくのではなく、世の人々に伝え、世のために生かそうと尽す人です。
  そうした聖人の言葉を書き残したものが『論語』であり、キリストの『聖書』であり、お釈迦様のお経です。そして、そこに記されている言葉を畏れ謹んで実践しようとするのが君子というものです。

  小人というのはその逆で、天命をしらずして、大人には無礼な態度を取り、聖人の言を侮るというのです。
  『老子』には次のような言葉があります。
 
  「上士(じょうし)は、道を聞いて、勤めてこれを行う。
   中士(ちゅうし)は、道を聞いて、在するが如(ごと)く
亡(ぼう)するが如し。
下士(かし)は、道を聞いて大いに笑う。
笑わざれば、以(もつ)て道となすに足らず。」
 
  上士はよい話を聞けばすぐ実行する。中士は「そうだなぁ、あるといえばあるし、ないといえばないし……」と曖昧(あいまい)なまま放置してしまう。下士は「そんなことなどあるか」と言って大いに笑う。そして、下士の人から笑われるようなものでなければ、本当の道とは言えないと老子は説いています。
  己の生きる意味を自
覚し、意義ある人生を送るためにも、天、大人、聖人の言を畏れ敬い、素直に実践する、謙虚な気持ちを持つことが肝要であると存じます。