日本の原発が全て停止中となる(2012/5/1)

先進の技術と勤勉忠実な日本は何処へ行くのだろう。
世界から「日本を倣え」の羨望の明かりは消えて行くばかりか・・・。

 昨年の東日本大震災は、この国に弱り目にたたり目の大きな試練を与えている。
我が国の経済は俗にアメリカからのリーマンショックに端を発し、円高・デフレで、国際的にも競争力を失い、雇用不安を増幅し、国や地方の税収は落ち込み、一方では社会福祉経費は増大するなど、負のスパイラルが続くなかで、回復基調が見出せない中で、この大災害で復旧復興にも莫大な費用がかかる。

 加えて東京電力福島第1原発の事故は、目に見えない放射能放出により、住民の移転を余儀なくするなど、周辺地域の生活の全てを奪っており、回復力の前に大きくはだかっているのだ。
この試練を乗り越えるために、国民一丸となって苦難に立ち向かい問題点の早期解決を図らなければならないのだが、政治力によるリーダーシップが機能せず、逆に足を引っ張る結果になっているともいえる。
このようなことでは、これまで培った世界の誇るべき「日本」は技術も、知能も国外へ流出したり、弱体化の一途だろう。

 逆境こそ強いとした「日本」を世界から見習いたいと、注目されていたのであるが、その陰りが見え始め、落日へ向かうのではないかと危惧される。

このままで良いのか?これで良いのか?「日本」

 日本国内にある原発54基から、福島第1原発の4基が廃炉となり、残りの50基が、5月5日をもって全て定期点検による稼動停止中となり、再稼動のためには政府・電力会社の絶対的責任と信頼が確立された、地元民や国民の理解を得られなければならない。

 国内の産業や国民生活のエネルギーとしても、電気は絶対に欠かせないものだが、節電や停電を覚悟しても、国民の理解を得られない原発の再稼動強行は、政府を潰すだけではなく、国際社会からも信頼を失い、この国を潰すことの火種に着火する事になりかねないと私は思う。
ここは国民の心が1つになることが大事だ。
これまでも大きな試練を、色々な犠牲を払いながらも、この国はしっかり立ち直ってきた。ここも乗り切ろう。
その舵をしっかり政治が切り、国民が転覆しないバランスをとる必要がある。

目に青葉を養おう!心に余裕を持とう!

未来をコーディネートせよ
   ― 我が国が視野を広げ、高い志を持ってアジアをリードしていく ―

月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=ウシオ電機会長 牛尾治朗

『情熱と志で切り開いたコモンマーケット』

 ギリシャに端を発したヨーロッパの金融危機は、アメリカや日本、さらには中国や南米まで飛び火し、世界経済全体が不安感に覆われています。
 しかし、私は、この危機は苦しい局面を体験しながら必ず打開出来ると思っています。それはEUの立ち上げには高い志があったからです。

 現在27カ国が加盟するEUですが、その発端は1957年、フランス、西ドイツ、イタリア、ベネルクス三国の6カ国によってスタートしました。アメリカのように急成長した国や、これから新興勢力として登場する日本などと伍していくためにも、長い戦争の歴史を乗り越え、ヨーロッパ各国が力を合わせてコモンマーケット(共同市場)を創り、大きな市場を形成することによって世界における経済の競争力を高めていこうと考えたのでした。
 しかしながら、話し合いの期限を迎えても6カ国の足並みが揃わず、時計の針を3日間止め、3日遅れでようやくEEC(当時)設立にこぎ着けたというぐらいに難産の船出でした。
 この動向は日本でも大きく報道され、その後、日本生産性本部の尽力で二つの視察団が現地へ派遣されることになりました。

 私はそのうち、青年会所から選抜した若手チームのメンバーとして35日間にわたる視察の旅に出向いたのです。
1962年、31歳の時でした。
メンバーにはもう亡くなられましたが、木暮剛平氏(電通会長)、小谷隆一氏(イセトー名誉会長)、井関昌孝氏(井関農機社長)などが名を連ね、さらにアドバイザーとしてシカゴ大学でフリードマンの理論を継承した新進気鋭の経済学者・内田忠夫氏(東京大学名誉教授)が就きました。いま思い返しても懐かしい顔ぶれです。

 ベルギーのブリュッセルにある本部に赴いて感銘を受けたのは、発足に尽力してきたハルシュタイン委員会のメンバーがいずれも40代前後と非常に若かった事です。
彼らは民主主義と自由経済を柱に議論を重ね、それまで戦争の繰り返しであったヨーロッパに、共同市場の想像を通じて自由と平和をもたらそうという志に燃えていました。利を求めて手を組んだのではなく情熱と志に基づく結束であり、その火種が残っている限り、ヨーロッパはこの危機を必ず乗り越えると私は信じているのです。

『日本はリーダーシップを発揮せよ』

 57年前からこうした取り組みをしているヨーロッパに、我われはもっと学ばなければなりません。
例えば、いま日本には、インドネシアやフィリピンから毎年300人もの人が日本の看護師や介護士資格を取得するために訪れています。彼らは実習で各地に赴き、その誠実な姿勢が高く評価されていますが、試験は日本語で受けなければならず、合格率は10%にも満たないそうです。アジア共通の看護や介護の資格設置は10年以上も前からの懸案ですが、いまだに実現していません。医療業界の深刻な人手不足の打開策として、各国の資格取得者がアジア圏内で自由に活動できるよう早く手を打たなければなりません。

 同様に、大震災後のエネルギー政策についても、日本一国で考えるのではなく、アジアエネルギー共同体というものを視野に考えるべきです。
 ヨーロッパでは、風の強い北欧で風力発電、ほぼ毎日晴天というスペインでソーラー発電に力を入れるなど、各国が地域の特性を生かした電力発電に努めており、お互いが電力を融通しあっているため、環境の変化に左右されず安定的な電力供給が可能になっています。
 こうしたヨーロッパに学び、将来的にアジア共同体を実現していくためには、日本がリーダーシップを発揮していかなければなりません。

 長らく経済の停滞が続き、そこに大震災の打撃も加わってかつてのような元気を失っているとはいえ、いまだに日本のように豊かで、国民の助け合いの精神によって支えられている国はありません。
 50年代にベルギーに集まった志ある人々がヨーロッパを動かしたように、日本もぜひとも若い人に立ち上がっていただきたいと切望しています。
 ヨーロッパが各国の思惑を超えて1つになった背景には「未来をコーディネートしよう」という考えがありました。
 きょう対立している問題は問題として認め、5年後、10年後の未来を一緒に計画し調和させていこうという信念を持って取り組んだのです。
 グローバル化の趨勢はもはや止めようがなく、ITの発達によって今後一層加速していくものと思われます。
 我が国が視野を広げ、高い志を持ってアジアと共存しリードしていくことを願って止みません。