今年は騒々しい師走だ(2012/12/1)

西条市長に「青野勝」さん 当選!
大接戦、現職「伊藤宏太郎」さん を122票差で制す。

 平成の大合併で、西条市、東予市、丹原町、小松町が合併し8年を経過した。
旧市町での諸制度にも多少の違いがあったものの、サービスは高い水準に、負担は低い水準にと均一化を求めながら、適正化を図り、地域差をなくするよう取り組む方針で、行政運営に市長も議会も気を配りながら取り組まれたと思われる。
旧役場も残し支所方式で、住民と行政が遠くならないようにとの配慮の方式もとられているのだが、どうしても職員の数も支所務めの人は少なくなったので、取り残された気分も起こりがちだろう。
そんな合併効果を評価され、修正しながら西条市としての住民のわだかまりをなくし、一体感のある郷土意識を高め、厳しい地域間競争に打ち勝つ、自立力のある西条市創りを、私は全体評価としては、まあよく頑張りうまく行っていると思っていたが、やっぱり中心部での立ち位置で見たのと、周辺部での立ち位置で見たのでは違いがあったのだろうか?

 最初から今回の選挙は旧西条と周桑との地域間対立になるなと危惧していたのであるが、案の定その通りの展開で進んだ。
しかし、結果は出た、これを蒸し返しは出来ない。一日も早く一体感を醸成し、問題があるなら新しい視点で、よりよき西条を創っていただきたいものだ。
ただ、市庁舎の建設問題は、市議会の審議を経て、予算や契約議決も成立している。既に着工しているのに、見直し市民の意見を問い直すと、新市長は選挙で訴え支持を得て当選されたのではあるが、市議会の議決を無視する暴挙に突っ走ってはならない。今後、契約し施行している業者から、賠償などの請求もあるだろうと危惧するが、泥沼に突っ込む事になる。

 どうも選挙が済めばノーサイド、とは行かないことになる要素が非常に強いが、勝てば官軍の話では収まらない案件だ。事を構えるばかりが正義ではないが、慎重にされたいものだ。

師走の選挙の行方は?

 先の臨時国会で党首討論に臨み、総理が消費税法案を通すための、3党合意を結ぶ際に発した「近いうちに解散」の言質の追及を受け、とうとう「バカ正直」が信条だと野田総理が解散を実行した。
一日も早く民主党政権には政権を放してもらいたかったが、ここまで経済が冷え込んできたのでは日本が立ち直れなくなる、経済へのてこ入れが今は大事だ!とのジレンマを抱えながらの解散選挙となり、準備も十分でなく、みんなあたふた、人気取り政策をちらつかせ新党を起こし、離合集散めまぐるしく、選挙対策ばかりが優先され、一体この国をどうするつもりで選挙に臨んでいるのだと言いたい。

 やっぱり3年前の「烏合の衆」の二の舞を踏む事になるのだろう。こんなに課題山積のとき、失業対策のように代議士を目指されたのではかなわない。
 益々この国はどうしようもなくなるように思えてならない。
企業は外国へ移転しなければコスト競争に勝てない、農業などはTPP自由化で安い遺伝子組み換え商品なども入って、ますます離農する、健康が犯される。
仕事が無くて生活が成り立たない、結婚などさらさら出来ない。人口も激減せざるを得ない・・・。

 ああ年末に暗い話で今年も暮れるのか残念。
来年はどうがんばればいいのだろう。先に光を見せてほしいものだ。

明なれ ども察に及ばず 寛なれども縦に至らず

月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=ウシオ電機会長 牛尾 治朗

『楽観主義と悲観主義』

 「密林の聖者」と謳われたシュバイツァー博士は、極めて困難な現実に直面しながら、「私は楽観主義でありたい」と言いました。
 楽観主義とは、困難な現実の中でも最後まで達成する意志を捨てない人の生きる道を示しています。しかし、いささか現状認識が甘く、状況把握の詰めが足りないという欠陥もあります。
 一方、悲観主義者は困難な現実、厳しい未来を正しく透視する冷徹な目を持っていますが、未来への目は暗く、具体的に挑戦する意志に乏しいともいわれています。
 リーダーは、楽観主義と悲観主義のよい面を併せ持ち、シュバイツァーのような確固たる意志を持って人を導いていかなければなりません。

 政府系調査機関の統計によると、社会をいくつかの層に分けたとき、「中の下」「中の中」「中の上」に属する中産階級の意識を持つ人が、この三十年変わらず90%以上を占めています。
 厳しい環境下でもとりあえず衣食住が確保でき、自分の個性やポリシーに沿って人生を展開していける自由があれば、当面は何とかやっていけるでしょう。しかし国民の多くは、未知の未来に対して不安を抱えており、国や自分の属する組織のリーダーがこれを解消してくれることを期待しています。
 「今日のことは自分たちで何とかする。だから未来のことはあなたに頼みましたよ」
 これが国民と政府の関係であり、従業員と経営者の関係と言えるかもしれません。
ゆえにリーダーはその自覚をもとに器を磨いてゆかなければならないのです。

『明にして寛』

 外寛内明という言葉があります。
 他人には寛大に接し、自分に対しては明晰に、厳しく省みるという姿勢です。
 楽観主義者は寛大なリーダーになることが多く、部下に対して放縦な結果を生むことがあります。悲観主義者は明晰なリーダーとして現状を的確に把握する能力を発揮する一方、部下の動静を厳しく管理し過ぎると息苦しさを与え、組織の活力を奪ってしまうことがあります。
 
帝王学の書『宋名臣言行録』には、
「 明なれども察に及ばず
  寛なれども縦に至らず 」
と説かれています。物事はすっかり分かっていても、細かいところをあまりとやかく言い過ぎてはいけない。また、寛大であっても締めるところは締め、放縦に任せてはならないという戒めです。明にして寛、まさにリーダーが刮目すべき教訓といえましょう。

 日本の未来のためには、リーダーばかりでなく国民一人ひとりも自覚を高めてゆかなければなりません。
 これまでの日本人は集団の秩序を重んじることで成長を実現してきました。しかしこれからは、秩序を守りつつも多様性を認め、
主体的に行動する人が求められます。
実際、そういう社員が連帯し、切磋琢磨している企業は、この厳しい時期においても着実に収益を上げています。

 時代は新しい局面に差し掛かっています。私たちは現状を甘く認識し過ぎたり、あるいは、細部にとらわれ過ぎて今後の大局を見誤らないように留意しなければなりまさん。
「明なれども察に及ばず 寛なれども縦に至らず」
この訓戒をもとに的確な判断を下してゆけば、道は必ず開けてゆくはずです。