暖かい春の日差しを待ち望む(2013/3/1)

暖かい春の日差しを待ち望む

 青森では515センチの積雪の観測記録を更新する大雪が降り、また北海道でも積雪で列車が何十時間も立ち往生するなど、雪により列島が震わされた。東日本では大震災から2年を迎えるのだが、まだまだ生活が取り戻せず、悲惨な状況が続いている。

 政権交代し安倍政権が矢継ぎ早に各種手だてを実行、期待を込めて明るい兆しが何となく見え始めた事が感じられ、早く実態として動いて欲しい。その為に国会においても補正予算で、さらに平成25年度の当初予算でと切れ目なく事業が実施でき、まずは景気回復に即効性のある公共事業で経済を刺激し、雇用を安定確保の道を開こうと審議され、可決される見通しである。

 地方においても、愛媛県議会ではさる2月8日に臨時議会を開いて、約267億円の補正予算を組んだ。今、定例県議会においては、平成25年度の当初予算が一般会計で約6000億円と、これまで縮小、縮小を続けてきた予算規模も、対前年を若干上回る予算を組んでいる。

積立金などに余裕がない厳しい財政事情にはなるが、景気を回復させ税収を上げることに務めなければならない。正念場で綱渡りの要素もあるが全力を上げ、知恵を絞っての取り組みが必要だ。

西条市では市議会議員の選挙があり、2月24日には「新選良30名」
が選ばれた

 市長不信任の議決があり、それを受けて青野市長が市議会に解散を通知した事により、通常改選期を2ヶ月早まった選挙となったわけだが、市民は議会の混乱や、対立のパワーゲームを望んではいない。早く混乱を収拾し、予算の成立や、役所の組織体制の確立も急務だ。市政発展のために尽くそうではないか、と呼びかけたい。
 
 その為にくすぶった火種を残さず、正々堂々と議論も討論も重ね、市長の責務、議会の責務を互いに確認しあいながら、市民に信頼される関係の構築を目指し、一日も早い正常な機能が発揮できる関係を築いて欲しい。

私達も傍観者や野次馬ではいられない、主権者の自覚をしっかりわきまえて、正常化への協力をしよう。

二十一世紀の新しい文明を創る

月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=ウシオ電機会長  牛尾 治朗

『現実味を増す‘予言’』

 かつて大ベストセラーとなった『日本沈没』をはじめ、数々の意欲作で人気を博した作家の小松左京さんは、本名を小松実といい、私の旧制三高時代の同級生でした。
 中学時代、学校の自治を考えるために立ち上げた神戸自治連盟の活動を通じて知り合い、ディベート大会で意見を戦わせるなど大変親しくしていましたが、異なる大学に進学したため、久しく交流が途絶えていました。再会を果たしたのは、私が経営者になってからのことでした。
 既に『日本沈没』は大変な話題になっており、私も同書を含む作品群に感銘を受けていましたが、本名と異なる筆名が用いられており、また、かつてガリガリに痩せていた小松実さんが、太って顔も丸々としていたので、筆者の写真を見てもそれらが自分の同級生が書いたものとは思いもよりませんでした。

 ある雑誌から小松さんとの対談話を持ちかけられ、会場で「久しぶりだな」と声を掛けられた時の驚きは今も忘れられません。
小松さんのことを思い起こしたのは、昨年刊行された『日本の自殺』と言う本にその名が記されていたからです。
 同書は、小松さんが日本沈没の可能性を、単に地質学的レベルで存在するだけでなく、政治学的、経済学的、社会学的、心理学的レベルでも存在し得ることを指摘していると主張し、日本に社会的衰退のムードや社会病理現象が散見されることを警戒しています。
 これは昭和50年に学者達が「グループ1948年」の名前で発表した論文ですが、朝日新聞が昨年の1月10日付で紹介したことを受け、復刊されました。文明の没落は、社会の衰退と内部破壊を通じての“自殺”に近いものがある、と当時の日本に鋭く警鐘を鳴らしており、そこに記された“予言”が、発表から40年近く経った現在、いささかも色褪せることなく、逆に一層現実味を増していることが憂慮されたからです。

『文明は内部から破壊する』

 『日本沈没』では、プラトンの説くギリシャ没落の原因についても触れられています。
それは欲望の肥大化と悪平等主義とエゴイズムの氾濫にあり、道徳的自制を欠いた野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埓とを通じて社会秩序を破壊させていったといいます。
また、歴史学者のトインビーの主張も交えつつ、あらゆる文明が外からの攻撃によってではなく、内部からの社会的崩壊によって破滅すること。諸文明の没落は宿命的、
決定論的なものでなければ、天災や外敵の侵入などの災害によるものでもなく、「魂の分裂」と「社会の破壊」による「自己決定能力の喪失」にこそあるとも記されています。

 日本の社会がまだ上り坂で民主主義を謳歌していた当時、活力ある社会を復活させるため、厳しく個人の自立を促した著者の勇気と見識には目を見張らされます。
21世紀に入り20年。日本はいま大きな岐路に差し掛かっています。これから私たちが築いていくべき新しい文明とはいかなるものか。政治、経済、文化と、すべての分野で真剣に議論する時代に入ったことを認識しなければなりません。