駆け足でやってきた春(2013/4/1)

中村県政折り返しを迎えて「助走から上昇へ」実需を追う

 今年の桜は平年より10日も余って早く、春の彼岸前に各地で開花宣言があり、3月末
までに、満開を迎えてしまった。
春一番も開花前に終えたので、花の日持ちは良いかもしれない。しかし、例年なら4月8日前後の学校の入学式は、満開の花で新入生を迎えるのだが、今年はピンクの絨毯で迎えることになるようだ。
 民主党政権下で、全てのことが停滞気味だったこの3年であったが、安倍政権(アベノミクス)は、季節まで駆け足で春を連れてきたのだろうか?

 愛媛県では中村知事が就任し、3年目を迎えることとなり、これまで県民力を上げるには外貨を引き込み、稼ぎを実感させて生産意欲を向上させる必要ありと、南予での「いやし博」で魅力発信力の向上、みかんや養殖魚(愛育フィシュ)さらには「ひめ桧・杉」など生産量もトップの1次産業製品のトップセールス、東予地域の2次産業の「すご技データブック」を作成しての、受注活動支援トップセールスなどを重ね、種まきと「経営戦略監(部長)」を配して、基盤づくりに取り組んで一定に成果を見通しがついたものも有り、これからは「上昇」機運を一気に作り、国内での道筋はもとより、東アジア・東南アジアにもターゲットを広げて、成果(実需)を求め実感できるよう努める体制に取り組む。
 この知事のトップセールスと牽引力が、愛媛の底力を上げる実需を呼び込む力になるのだろう。さらに県内各市町においても、これらの動きに呼応する体制に取り組まれ、戦略部署を設ける動きがあり、まさに「チーム愛媛」のスクラムが組めるものとなりそうで期待する。

 アベノミクスによる「金融緩和」と「財政出動」は、日銀の総裁と政府との連携によって裏打ちが確実なものとなり、円安・株高がまだ進んでおり、企業も業績の回復や内部留保金の吐き出しにより、給与の改善や3の矢である「民間の設備投資の促進」が進めば、デフレを脱出して税収の確保にもなり、成長路線が確保できる事になる。

気を抜かずスクラムを組もう。そして、美しい日本を取り戻そう

 東アジア(ポイントは北朝鮮)の動向、TPPの推移、ヨーロッパ金融危機など、気を許せない
問題も前には大きくのしかかってくるだろうが、これを突破できる「実力」を期待したい。
その為には、7月の参議院の選挙で安定政権が確立され、外交・内政ともにしっかりと腰を据えた政権を作ることが大切であろう。
小さなことで足を引っ張り合っていてはこの国の安定はない。みんなでしっかり支えよう!なんでもない我がために!我が子のために!孫のために!
「チームジャパン」でスクラムを組もう。

西条市政も何とか船出した。青野市長の舵取りに期待したい

 昨年11月市長選挙以来、初めての12月定例議会で「市長不信任」が議決され、これに対し市長は「議会解散」し、2月に市議会議員選挙があり、初の臨時議会も2日間延会し再提出された「市長不信任案」を否決するなど、西条市議会と市長との関係の、混乱が続いていた状況の中、3月定例議会は当初予算や景気対策の補正予算もあり、市民生活の影響の無いように真摯な討議で正常な可決をと願っていたのであるが、幸い全議案を可決、人事案件でも副市長に「真鍋和年」(65私と高校の同級生で元西条市役所職員)、教育委員に「菊池篤志」(64元校長)・「田辺重義」(59商業)、監査委員に「阿蘇浩造」(61元西条市役所職員)・「徳増達史」(60公認会計士)・「黒河紘一郎」(68議会選出)の各氏が同意され選任された。
 職員の異動と機構についても取敢えずは小幅だった。これで一安堵だ。

 ともかく骨格は整いつつあるようなので、市長の言う説明と対話を深め、市民が安心できる行政の姿を市長が率先して示し、「チーム西条」も「チーム愛媛」とも連携しながら、健全市政の推進を期待する。

巡礼の旅を続ける戦争未亡人の物語

月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=アサヒビール名誉顧問  中條 高徳

『僅か三週間の新婚生活』

 『致知』1月号「巻頭の言葉」に寄稿した「千代子はまだ生きています」に大きな反響をいただいた。
 まずは『致知』の読者のレベルの高さ、活発な動きに感服した。
そして、文面の末尾に、老いた戦争未亡人の率直な切ない叫びとして
 「かく醜き国になりぬれば ― 」という歌を添えたところ、和歌の体を成していないと複数の読者から鋭いご指摘をいただいた。
 『致知』の本社からは、小堀桂一郎氏の著作の中に、
 「かくばかりみにくき国となりたれば捧げし人のただに惜しまる」
という和歌があると資料まで届けてくれた。その素早い対応にも流石と唸らざるを得ない。
しかも小堀氏は、その詠人である未亡人の名は知っているが、彼女の心を忖度して敢えて発表しなかったという。
それだけにかえってこの詠人の無念さが強く伝わってくる。

 『致知』一月号を川北千代子さんにお送りしたところ、写真とともに礼状が届き、ご主人は新婚生活も束の間、ご結婚後僅か三週間ほどで召集され、「インパール作戦」のミャンマーで戦病死されたことがわかった。
 その作戦の指揮官は筆者の士官学校予科の校長・牟田口廉也中佐であった。
同じ部隊の佐藤中将が、アラカン山脈は兵隊が越すだけでも精いっぱいで、武器弾薬・食糧の補給は到底不能と作戦中止を具申したのに聞き入れず、ついに佐藤中将を更迭して強行した作戦だっただけに、千代子さんの悲劇はこの作戦指揮の失敗によってもたらされたことは間違いない。筆者は牟田口中将とは単なる師弟の関係にすぎないが、千代子さんの現実を知れば知るほど心が痛む。

『その生き様が示唆するもの』

 そのミャンマーへの千代子さんの巡礼の旅は、既に二十回に及ぶという。
昨年は旅券が下りなかったので、『般若心経』を書いて亡きご主人の霊を慰めました、とその作品も届けてくださった。
夫婦というのはあまりに短い生活でありながら、心のど真ん中で「夫婦の義」に生きる千代子さんの姿が神々しくさえ見える。

 戦前は親も子も「教育勅語」で「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ―」と、正しく生きる道を深く学んできた。
筆者の年代は戦前、戦中、儒教で「仁、義、礼、智、信」の五常を教え込まれ、特に「仁」は二人を意識し、相手を思いやることを教えられた。
夫婦においては、他人同士が結ばれ、子孫を紡ぎだす「夫婦の義」を説かれた。
 離婚を否定するのではないが、戦後「個の尊重」の強い主張に毒され、「夫婦の義」があまりに軽視されているのではないか。

 水戸光圀は、「義理の筋目、天下にほろびはてば、人に廉恥の心なくなり、互に相欺き互に相掠め、おのづから恐れ憚るところなく、終に子も父を父とせず、大亂に及び申すことにて候」と説いている。
 我が民族が紡いできた「民族の美質」は昨今大きく揺らいでいる。
千代子さんの「生き様」は我われに尊い示唆を投げかけてくれた。