実りの秋を!(2013/9/1)

今年の夏は暑かった(熱かった)。厳しさを乗り越えたのだから、立派な実を結ぶ環境を守り、実りを享受できるようにしよう。

 今年の夏は連日30度を超え、高知の四万十市で41℃を記録する暑さでもあった。
7月には参議院議員の改選選挙で、熱い戦いを繰り広げたが、結果は無責任な発言や結束力のない野党の自滅の趣にも助けられ、自民党が10年来悲願の衆参のねじれを解消することができる選挙結果となり、景気回復や外交の手薄さに手を入れるべく、安倍総理が率先して行動、政権が落ち着いて取り組まれ、一応の安心感で国民が見守っている状況だ。
政権交代した、中国・韓国の両政府ともに、日本政府の外交の手薄さに乗じ、歴史認識の問題などと、これまで既に解決済みの問題も蒸し返し、自国民向けに自己主張をして、自らの政権に気を引きようとしているのだが、安倍政権は真正面から挑発に乗るような事をせず、周辺諸国や国際世論の支持が得られるよう、外堀を埋める外交に今のところ注力しているが、私はこの政権の行動を支持するものだ。
中国も韓国も日本との経済関係を含め連携がなければ、国際的に自立できる信用力は気の毒だがまだ出来上がっていない。もう両政権ともに気が付いていることだろう。
熱湯の中に手を入れてやけどする必要も無い。機は必ずやってくる。

地域行事に誘い合って参加し、『絆』を深めよう

 さて、9月は運動会、敬老会など地域行事も多い。これらの行事にみんなで誘い合って参加し、地域の連帯感、すなはち「絆」を深める機会としたいものだ。
先のお盆の時期に西条市内で、おそらく病死したものと思われるが、母親が亡くなったのだが葬式を出すにも金がないと思ったのだろうが、同居の息子が、ボストンバックをリサイクルショップで買い、このバックに母親をいれ、市内で道ぶちに遺棄し、何日間も警察が捜査にかかり全国にニュースが流れる、実に悲しい事件と言うか出来事があったのだが、近所の人にも相談できない、内緒にしたい、まさに社会との関わりを否定するような気持ちの人が、身の回りにいるのだということを真剣に捉えたいものだ。
まさか?では済まされない状況に、今の社会は進んでいるのだ。
これほど災害対応のためにも、ご近所の助け合いが大事だと、声を大にして呼びかけているように思えるのだが、あまりにも形式的に過ぎていないか?プライバシーの問題もあろうがもっともっと踏み込まなければなるまいと思う。
田舎でも最近は「家族葬」などとの傾向もあるが、少なくなった家族、縁が薄くなった親戚、などなどの状況もあり、いっそう社会との関わりから避ける傾向に向かっているように思えてならない。
みんなもっと地域に関わろうではないか、みんなの知恵があれば成らない様な事でも何とか成ることが一杯ある。それが人間社会だ。
彼岸には、ご先祖様に手をあわせて供養し、ご先祖様にもご加護をいただけますように!

而学の心で活力を取り戻す

月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=ウシオ電機会長 牛尾 治朗

『而学会を立ち上げる』

 佐藤栄作総理の秘書を務めていた楠田實さん、評論家の伊藤肇さんとともに、安岡正篤先生を囲む勉強会「而学会」を立ち上げたのは、昭和47年、私が41歳の時でした。
 安岡先生とは祖父の代からご縁をいただいており、私も父の勧めで就職の相談に伺って以来、折に触れてご指導を仰いでいました。

 会のメンバーは、昭和2年生まれのセゾングループ代表・堤清二さんが最年長で、京都大学教授の高坂正堯さん、NHK解説委員の山室英男さん、大蔵事務次官の西垣昭さん、評論家の江藤敦さん、海外大使の岡崎久彦ら、昭和12年生まれくらいまでの若手約15名が名を連ねました。現在の一線で活躍している人は少なくなりましたが、当時は安岡先生を囲む会の中でも最も若い世代による勉強会でした。

 勉強会の名称に用いられた「而学」という言葉は、安岡先生が有名な佐藤一斎の言葉から引いてくださったものです。

 「 少而学  則壮而有為
   壮而学  則老而不衰
   老而学  則死而不朽  」

「 少なくして学べば、則ち壮にして為すこと有り
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず  」

 学び続ける事の大切さを見事に表現した名言といえましょう。
この言葉を勉強会の名称にしてくださった安岡先生の見識には深く感服させられますが、先生の人生もまさにこの言葉に貫かれたものでした。
 致知出版社から発刊された安岡先生の本がいまだに版を重ね、多くの人々を感化し続けているのはその証左になりません。

『忘年の交わりの大切さ』

 「而学会」は会場の福田屋で夕方の4時から始まり、6時に勉強を終えて食事を始め、8時にお開きというのが大まかな予定でした。しかし安岡先生のお話が予定通りに終ることはなく、会場を後にするのは深夜の10時ぐらいでした。
 テキストには『宋名臣言行録』などの中国古典が使われましたが、先生はお話の途中で何かに触発されると、そこから脱線してどんどんお話を展開していかれました。
そのため、6時間ご講話いただいてもテキストは僅か4ページしか進まないということも珍しくありませんでしたが、一度も聴いたこともないような珍しいお話が次々と出てきて、先生の底知れぬ教養の深さと、真理に対する飽くなき探究心に圧倒される思いでした。

 途中からお酒も入り、お話の内容も次第に柔らかくはなりましたが、先生はいくら飲まれても乱れず、その端然とした佇まいはいまも脳裏に焼き付いています。いま思えば実に豊穣な時間でした。
 「而学会」は、文字通り学び続けることの大切さを心に刻む勉強会であるとともに、概ね30歳ほど歳の離れた安岡先生と我われとの「忘年の交わり」の場でもありました。
 「忘年の交わり」とは、世代を超え、利害を超えた人間同士の交わりをいいます。而学会では我われが安岡先生から貴重な学びを得たばかりではなく、安岡先生も若い我われから刺激を得られ、交友を心から楽しんでおられました。
 日本はいま大きな岐路に差し掛かっていますが、一人ひとりが学ぶ意欲を高め、世代を超えて活発に忘年の交わりを重ねていくことによって、活力を取り戻していくことを願ってやみません。

少なくして学べば、則ち壮にして為すこと有り
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず