またスキャンダルで政治家の信頼失墜!(2014/11/1)
目玉の女性閣僚辞任で、再び政治家の資質が問われている!
自民党が民主党から政権を奪還して、1年余り安倍内閣が政権をになって何よりデフレ脱却のため経済の立て直しに取り組み、いわゆるアベノミクス効果で、民主党時代の決まらない政治から何となく明るい空気が持ち直し、着々と成果を積んで国民から期待を得て安定していた安倍政権だが、内閣改造で女性が活躍して社会で輝く社会づくりを目指そうと、5人の女性閣僚を登用したが、1月余りで小渕優子経済産業大臣と松島みどり法務大臣が辞任に追い込まれ、女性への期待感に水を差されて、男性も女性もない政治家の倫理観をまたぞろ問われるような状況になっている。
政治資金規正法や公職選挙法の抵触問題については、今日指摘されて知らなかったというような問題ではない。
これまで度重なって問題にされ、耳にタコができるほど聞いている話であり、立法に関わる議員が法を知らなかったでは済まされるものではない。議員となるものはそのことを知りわきまえ、周りの人に範を示す人格とか倫理観を持っていることは当たり前のことで、そのわきまえがないものまた悪意に利用する者は、指摘を受ければ潔く辞任するなり、自らの身の潔白を堂々と証明説明責任を果たす潔癖さこそ必要だ。
それにしても政治活動資金と、個人的生活費との区別もわきまえられないのは全く情けない。区別がつきにくいものは個人の支出とする態度が正しかろう、李下に冠を正さず!と謂われがある。私はそうしている。また、議員としての活動か?党務としての活動か?政務としての活動か?判別の付きにくいものも一杯あるが、示されているマニュアルに照らすなり、議会事務局や政党事務局に確認してもらうなり、常にチェックを怠らないことが必要だ。
実際このように報告するために資料をそろえたり、調査をしたりすることにもかなりのエネルギーを必要とするのだが、これは公に明らかにすることを求められている立場にある者は、その責務があるのだから、その手間をないがしろにするから間違いが起こるのだろう。
こんな基本の入り口でつまずきばかりするような、次元の政治感覚の状況を早く抜け出し、無駄な時間を費やして国民のためにする大事な政治課題を疎かにするのはいい加減にしよう。
「中村時広」愛媛県知事が2期目の立候補
さて、愛媛県知事の任期は11月30日までであるが、10月30日告示、11月16日投票・同日開票に日程で、知事選挙が今行われている。
中村時広現職知事と、共産党新人小路貴之さんの2人の立候補で、一騎打ちの戦いである。
共産党は「原発反対」を柱に訴えているのだが、「エネルギー資源」(原発を含む)はそもそも国政政策の問題であり、知事に決定権はない問題だから議論のぶつかり合いになる問題ではない。
いずれにせよ「中村知事」の信任投票のような選挙戦になるのだろうと思われる。そうなると投票率が問題となってくる。
前段で述べたような政治不信感が漂う中にもあり、前回は県平均で約49%の投票率だったが、先の8月にお隣の香川県でも、同じような形の選挙戦だったが、約33%だったようだ。
前回45万票も余って獲得し、歴代知事の最高得票で当選された中村知事だが、今回は投票率もかなり下がると予測され、得票数も大幅に減らすことになると思われる。
我が自民党では今回も「中村時広」さんを、推薦して応援している。
投票率を上げることにも、みんなで力を入れましょう。
主権者の1人として、選挙に責任を持ってかかわることが、自らの意思を示すことであり、それが社会の方向性を築く基になるものだ。
日本の未来を明るく
月刊『致知」2014.11月号より引用 鍵山 秀三郎 ( 日本を美しくする会相談役 )
『人口減少よりも重大な課題』
日本の人口の減少と高齢化が大きな課題となって、行政や有識者が議論を重ねています。しかし、一向に好転の兆しは見えず、国民の意識にも変化が生じるという徴候もないまま、 只いたずらに月日が過ぎていきます。人口問題を重大な課題として取り上げてから今日までの時間は一体何だったのでしょうか。
国家を生々発展させていくためには、たとえ微増であっても増えて いくことが望ましいのは確かなことです。しかし、いまの日本には、 人口の減少よりもっと迅速に対処しなければならないことがあります。 それは日本人の資質の低下を止めて、向上に転ずることです。
いまのままで仮に人口が増えたとしても、国力の増強には繋らないと思います。 自分勝手で人の役に立とうという気持ちに欠ける人や、国の名を貶めてしまうような人が多くなれば、却って大変なことになってしまいます。
ブラジルワールドカップの会場でゴミ拾いをしてくださった方々や、東日本大震災という極限状態の中でも秩序ある行動を取られた被災者の方々は、いずれも世界の称賛を浴びました。このような方々は日本人の誇りであります。
しかし、残念なことに、こうした立派な方々は少数派であり、反対に〝私さえよければ〟という人が増えています。増えているというより急増しています。
例えば、歩行中に自分の持ち物をぶつけても平気な人や、狭い道を並んで歩いて対向者の邪魔をしても平然としている人、また取るに足らない些細なことで相手を罵倒したりする人など、数え上げればキリがないほどの世相となりました。
『国民、一人ひとりの才力を鍛える』
昔の日本ではこのような行いは恥とされていたものです。吉野弘さんの詩に”私はこういう人が嫌いだ、自分の持物を自分の体の一部だと思わない人を”とあります。吉野さんの言う嫌いな人は、誰もが嫌いで好きな人はおりません。人に嫌われるようなことをする人が増えて、国家が発展することはあり得ないでしょう。
いまから百二十年前の日本の人口は四千万人強でしかありませんでした。それでも新しい田畑を拓き山の手入れをして、広い国土をきれいに保って国力を充実させてきたのです。
いまの人口はその当時の三倍であり、且つ学歴は比較にならないほど高くなっています。それにもかかわらず、国土を荒らし膨大な借金を残し、道徳に反する人が多くなりました。このような有り様では祖先に対して、また子孫に対しても申し訳のないことです。
終戦時七千万人になった人口が、二十五年後には一億人に達し、国力は世界の奇跡とまで言われ、世界一の発展を遂げました。その当時の日本国民は、日本の将来を信じ、真面目に働けば子孫の幸せが保証されていると確信していました。
たとえ過酷な労働に従事しても、貧しい中にも一家団欒があり、子供の将来に明るい希望を持つ家庭が多かったのです。子供を育てる希望と楽しみが、辛さを凌いでいたのです。
いまの日本は、政治も行政も国民の信頼に応えることをしていないために、国家への信頼を持つことができません。未来への希望が持てないために仕事に苦痛を抱くようになってしまいました。また、かつての実直で勤勉な性格を失い、国家に依存する人が多くなりました。その活力を失うのと時を同じくして、人口の増加は止まり減少に転じました。
国家は人口が減少したから国力が低下するのではなくて、国民力の低下が国家の衰退を来し、人口の減少を招くのです。日本国民、一人ひとりの力を鍛えましょう。