世の中が大きく動く?(2016/7/1)

EU(欧州連合)イギリスが離脱。追随も起きるかも?

 イギリスは国民投票によりEU(23か国加盟の欧州連合)を離脱することが選択された。1993年から発足したEUが崩れ始めギリシャやスペインなども追随の可能性が高いとも評する人もいて、ヨーロッパや世界経済に与える影響は大きく、一つの時代の「終わりの始まり」となるかもしれない。

 日本にとっても大きな影響が現れ、円高・株安が始まっている。やっとデフレから脱し、安定成長への道筋が見え始めたところへの打撃で、リーマンショック以来のそれよりも大きい経済的ショックだと評する人もいる。
 経済も政治も明日もわからないような事態を発することがあるものだが、今年アメリカ大統領選挙もこれから本選挙となり、行方が分からないと言われているが、いずれの世界各国も自国の課題(大きな負債)を解決するため、他国のことを考えるお人よしはもう許される余裕もなくなっていそうだ。

 自分のことは自分で守り、自国は自国で守らなければ成らなくなって来ているとも言えよう。

参議院議員の選挙で向こう6年間の国の進むべき課題解決能力が示されよう。

 7月10日の投開票に向け、参議院議員選挙が行われているのだが、みなさん必ず投票に行きましょう。

 今回の選挙では、与野党対決が1人区の選挙区で全国的に取り組まれ、安倍政権の経済や政権運営の評価が問われる選挙となると思いきや、野党は「安保法案廃止」「戦争法案廃止阻止」「憲法改正阻止」と空中論争で野合して与党に挑んでいる。民進党と共産党が選挙を戦うためだけで政策の違いを隠しあいながら野合し、国民に不安を煽り、国民を欺いて戦いが進められている。

 結果はわからないが、こんな選挙の在り方で日本の抱える大きな課題、とりわけ財政の健全化と、変わりゆく世界の情勢に対応して、国を守り、国民の安全で安心した生活を守る気概の、積極的姿勢が示されないで、この国の民意とされていものだろうか?
低俗な論争にわが国の民主主義に対する見識の低ささえ感じられてならない。
お互い責任をもって、社会を築こう!

 大きな世界のうねりの中で、夢の中での話でうつつを抜かしていては、日本の明日は世界から置き去りにされてしまうのではないだろうか?
幸い経済界はしっかり対応しているので、沈没の心配はないと思われるが・・。
大きな世界が変わってゆくうねりの中に置かれていることは事実だろう。
さて、どうなるか?どうするか?みんな考えよう。

吾日に吾が身を三省す

月刊『致知」2016.7月号【巻頭の言葉】より引用  論語普及学監 伊與田 覺

『70になって、やっと『論語』がわかってきた』

 『論語』に「曽子曰く、吾日に吾が身を三省す」
(そうしいわく、われひにわがみをさんせいす)という言葉があります。

 孔子の弟子の曽子が、私は毎日自分を三省、つまり度々省みているというわけです。 
「省」というのは振り返って反省するというだけでは十分ではなく、よいところは残し、悪いとことは省いていくことが大切です、 ただ省みるだけで省くという行動がなければ、50点にしか達しません。役所に「省」の字がついているのも、省くという意味合いが込められており、社会の発展に従い物事が複雑になっていくのを省いていくのが本来の大きな役割です。

 一度決まったことや昔からあるものを、変えたり、なくしたりするのは容易ではありませんが、役所も会社も、そして個人も、常に省くということを忘れてはなりません。
 この「省」という字は、人生で最も重要なことを表す言葉なのです。

『心の鏡を澄まさなければ本当の自分は分からない』

 孔子というと、生まれながらにして聖人のような人というふうに思われる方もあるかもしれませんが、本人は随分、迷いながら人生を歩んだようです。孔子の有名な人生訓に、『吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る』
という言葉があります。

 ・十五歳のことを「立志」
 ・三十歳は「自立」
 ・四十歳は「不惑」
 ・五十歳は「知命」
とするものです。

 その中の 「四十にして惑わず」という言葉からも窺(うかが)えますが、特に30代までは迷いに迷っていたのでしょう。『論語』の中で、孔子が自分のことを本当に語っているのはここです。
 悟り というのは、迷いのあるところから生まれるものであり、迷いを持つ人にして初めて悟ることができる、のです。
 実は孔子には、『我に数年を加え、五十にして以て易を学べば、以て大過(たいか)無かるべし』いう言葉もあります。
 五十になって易を学んだらいままでのような過ちをおかすことはない、というのです。「四十にして惑わず」と言っているのに、五十前にして、やっぱり迷い続けている、ということは、孔子という人が絶えず自分を謙虚に省みていたからにほかなりません。自分の顔を映すのに、鏡が曇っていたら、本当のことは映りません。私たちの心は宇宙根源の働きによってできたものですから、本来は澄み切ったものなのです。自分の心を映そうと思ったら、自分の心の鏡を澄まさなければなりません。自分の心が澄めば澄むほど、自分というものが分かってくるのです。
 
 孔子という人は、心の鏡に自分を映して絶えず自分を省みた人でした。
自己反省を怠ることなく、自らを改めていく努力を怠らなかった人であるからこそ、2500年経った今日も、多くの人々を感化し続けているのです。

 自分の心を映そうと思ったら、自分の心の鏡を澄まさなければなりません。 自分の心が澄めば澄むほど自分というものが分かってくる。