平成最後の師走(2018/12/1)

「中村時広」愛媛県知事3期目スタート

 11月18日の投票・即日開票で行われた県知事選挙は、中村知事の過去2期の実績を評価し、実質的には信任投票のような選挙戦で、残念だが投票率が39.05%と、前回(42.93%)よりも下回り、中村候補が397,369票を獲得、他の2候補(和田宰33,929票、田尾幸恵16,708票)は中村候補の得票の1%にも及ばない状況であった。

 先に行われた(8月26日)香川知事選挙は、投票率が29.34%と、現職浜田知事が3選を果たされたのだが、これも現職知事の実績評価で、圧倒的支持があり信任投票のようなことだと思うが、それにしても30%を切るような投票率は、民主制度を守る上でも、みんなで責任を持って考えなければならない。憂うるべき状況と受けとめたいものだ。

 愛媛でもこの知事選挙は、松山市長選挙とダブルで実施されているために、何とか35%以上を保っていると思われる。(今回は7月豪雨災害の復旧復興のための政治的期待感も現実的な政治課題として期待感有り、投票行動に結び付いた面もあっただろう。)やはり、中村知事も言うように、選挙ではしっかり公約を示し、有権者に判断を求めるよう立候補者にも責任がある。

 時としては一転集中の政治課題もあるかもしれないが、少なくとも4年の任期の先行き、さらには10年、20年先の時代を見据えた大局感の有る課題に取り組む姿勢と、これまでの姿勢の実績(新人にも社会活動実績はある)で、総合評価して、有権者は投票行動に、さらには支持する人に信頼感を持って応援することが、真の民主制度を守る基本行動だろう。

 立候補をする側も、応援支持する側も、しっかり責任感を持って取り組もう。
ともかく先に向かい、人口減少の大きな流れをシッカリつかみ、もう一極集中に偏らない仕組みを、地方もしっかり取り組む必要がある。中村県政と一体となって、愛媛と郷土西条の進むべき道をシッカリ取り組みたいし、政策の心柱をシッカリ立てて取り組みたい。

国会の審議をもっと慎重誠実に!新しい時代の幕開けを希む

 第4次の安倍内閣が10月2日改造され、12名の新任閣僚が誕生し、女性が1名「片山さつき」地方創生担当大臣が就任されたが、次々と金銭疑惑などが取りざた、「桜田義孝」オリンピック担当大臣も、説明やら答弁がおぼつかなく失笑を買うような場面が続き、さらに臨時国会が開かれても提出された法案の内容が煮詰まっていなくて、走りながら繕ってゆくような状況で、残念で仕方がない。全員野球と言いながら、安倍総理の独走状態のようで危ない。

 内閣も官僚も与党もしっかり連携を取って、非常な状況のこの国の有りようを慎重ながらも果敢に未来を切り開く取り組みがなされなければならない。

 与党が自滅点を与えるものだから、野党がなぜかしっかりしているような錯覚にさせられる。今の野党に政権担当能力など全くないのだ。このまま与党が次の選挙で大敗するようなことになれば、この国は沈没してしまうだろう。

 犠牲となるのは国民の生活や命なのだ。みんなで責任を持って新しい元号に移る来年こそ、この国のしっかり御旗をたて、世界に信頼される国家としようではないか。神々のご加護もいただきながら・・・。

掃除が秘めている不思議な力

月刊『致知」2018.12月号【巻頭の言葉】より引用 
鍵山 秀三郎(日本を美しくする会相談役)

『社会運動に発展した掃除の実践』

 平成5年、僅か35人の有志で立ち上げられた「掃除に学ぶ会」が、今年25周年の節目を迎えました。おかげさまで現在、会は全国、そして海外にまで広がり、10万人以上が参加する社会運動へと発展しております。これまで運動に携わってくださった方々には、ただただ感謝の言葉あるのみです。

 私がトイレ掃除を始めたのは、昭和36年にカー用品販売のロイヤル(現在のイエローハット)を創業して間もない頃でした。まだ経営の基盤がぜい弱で、社員に十分な労働環境をを提供できない中、せめて職場を綺麗に掃除して、荒んでいる皆の心を少しでも穏やかにしたいと考えたからです。

 最初は私一人で実践していたのですが、10年たったころから1人、2人と社員が自主的に手伝うようになり、これが会社に広まるにつれて社員の人間性が変わり、社風は格段に良くなっていきました。

 この活動が社外へ波及していく転機となったのが、東海神栄電子工業社長(当時)田中義人さんとの出会いでした。忘れもしません、あれは平成3年11月23日のことでした。ある催しでトイレ掃除の話を少しだけお話させていただいたところ、経営にいろいろな課題を抱えていた田中さん1人がこれを真摯に受け止められ、すぐに自身の会社で実践されました。それに伴い、社員さんの心が穏やかになり、不良品が出なくなるなど、それまで抱えておられた問題が次々と解決し、会社が見違えるほどよくなったのです。

 掃除の素晴らしい効果に確信を持たれた田中さんは、平成5年に有志を募り、地元岐阜県の大正村にある公共駐車場のトイレ掃除を実施されました。これが「掃除に学ぶ会」の記念すべき最初の活動であり、その時に参加された方が各地でこれを広めて下さったのです。

 しかしながら、それは決して容易な道のりではありませんでした。当初は掃除する施設の確保すらままならず、せっかく実施が決まっても「余計なことをするな」「掃除をする業者は決まっている」と、直前になって中止を余儀なくされることもしばしありました。
 
 それでも会の皆さんは諦めることなく、幾多の障害を乗り越え、地道に活動を積み重ねてくださいました。中でも田中さんは、時に体の不調を押して海外へ赴かれるなど、文字通り命懸けでこの運動を推進してくださいました。田中さんをはじめ、今日まで25年の間にこの運動に関わってくださったすべての皆さんのおかげで、掃除に学ぶ会の活動は社会運動までに発展したのです。

『掃除の尊さを教え信念を与えてくれた両親』

 掃除は意義や価値の低い作業であり、他に取り柄のない人がやるものだという認識が根強くあります。しかし掃除が秘めている並々ならぬ不思議な力を発見し、今日まで欠かさず実践を続けてきました。私にとって掃除は、人生全てといっても過言ではありません。

 私に掃除の尊さを教えてくれたのは両親でした。私が幼い頃、一家は東京で裕福な暮らしをしておりましたが、戦争で岐阜の山奥へ疎開してからは貧しい生活を余儀なくされることになりました。しかし、こうした中でも両親は決して掃除を欠かすことなく、そのおかげで私は、貧しさの中でも決して決して惨めな思いをすることがなかったのです。

 後年、私が勤めていた会社の厚遇をなげうってローヤルを創業したのは、志が低く、粗野な業界を変えたいという思いからでした。自転車一台の行商を始めた当初は、元同僚や部下であった人たちから散々揶揄され、家族にも随分心配をかけましたが、この業界を変えるんだという私の信念は、良いと信じたことを貫き通した両親から受け継いだものに他なりません。

 創業当時の当社にとり雲の上の存在だった同業者の中で、現在も経営が継続しているところは数少なくなりました。かつて勢いのあった会社が長続きしなかった半面、掃除に学ぶかいが25年も継続し、なおも発展を続けていることを鑑みるに、物事に携わる人の思いや姿勢の大切さをつくづく実感させられます。

 ゆえに私は、これからも掃除の実践を通じて、人の心の荒みを少しでも和らげていくとともに、世のため、人のためという善意の輪を広げてまいりたいと願っているのです。