御代替わりの年スタート(2019/1/1)

新年あけましておめでとう御座います本年も善き年でありますように!

 いよいよ本年4月30日に、今上陛下が退位され上皇となられ、翌5月1日に新天皇が即位され、新元号のもと日本国の象徴として民心を平穏に導くお務めをいただく事になるという、国家的一大行事が行われる年のスタートです。

 今上陛下には、自らの御意志でその道を決断された固いご決心、なにより国家の平安を祈って務めて戴いた神道国家としての各種御祭祀、災害に際しては国民の痛みを労っていただく各地へのご訪問、全国をご巡幸いただき自分の目で国民の暮らしぶりを確かめられ、国民との心を結んでいただきました。

 何より悲惨な戦争を繰り返すことの無いように、国家のために命を殉じた方々への慰霊を重ねられ、平和社会の実現に繫いでいただいていることは、何より有り難く、直接政治に意を挟まず、宗教を強要することもなく、国家の象徴としての「平和・友好」の在り方のみに意を配られてきた、この天皇様をいただいていることに誇りさえ感じるものである。継がれる天皇様もよく今上陛下の足跡を見つめられて、引き継いでいただくことだろう。

 国民等しくこの誇りを一にして、平和で安定した国家を守り抜かなければならない。
自分のことを中心にした尺度で、勝手な言動を繰り返し、むしろ世の発展の足を引っ張るようなチッポケな議論に終始することが、最近特に目につくこの国の有りようだが、陛下のお心づかいを倣って、心を一にして支え合い、困難な問題にも立ち向かわなければならない。今年の御代替わりで発進されるパワーをいただき、転機にしようではありませんか。

 世界の情勢もアメリカ大統領の言動、EU諸国の足並みに乱れ、ロシアのプーチン、中国の習金平ら巨頭の覇権勢力伸ばし、中東情勢の混乱、等々めまぐるしく動いている、韓国・北朝鮮の動きも看過できないことが起こっている。
こんな時こそ軸のぶれない、確固たる信念で、平和と発展を築く「百年の大計」を見据える大局観をしっかり持たなければならない。

今年4月7日投票日は、統一地方選挙(県議会議員)があります。

人口減少社会にも希望ある地方創生に、「明比昭治」(6期目に)
たゆまずチャレンジします

 さて、今年は先に述べた「歴史的御代替わり」の国家的大行事もありますが、4年に一度の統一地方選挙の年でもあります。

 先の9月21日に実施した、私の「県政報告会」の際、後援会の皆さんから次期選挙への出馬要請をいただいていたところですが、12月議会を終え、12月19日に県政報告会を開催し、後援会幹部の皆さんからも、次期来春の選挙に後援会一丸となって取り組む決定もいただき、幸い私の健康状態にも不安がないので、27歳で「西条市議会議員」初当選以来、もう44年を経過し、途中県議会への挑戦の際「次点に泣く」という苦い経験も、良薬として味わせて戴き、その後、県議会議員として当選後、すでに5期を務めさせていただき、皆さんに支えて戴きました。

 ご支援いただいている皆様の誠意に背くことなく、なぜか見過ごされ弊害となっている問題や、未来に展望の道を開く地域課題に、誠実に・果敢に取り組ませていただきました。私自身に悔いもなく満足していますが、この道を引き継いでくれる志を持つ後継者を配慮しつつ活動してはいるものの、今まだ見つけられないのは申し訳ない、食いついてきてくれる誠実な人の「なり手不足」も現実の課題です。

 幸い私自身健康に不安もないので、人口減少問題が一層深刻で地方の存亡にかかる現実を見据え、未だ仮想の夢ばかり追い現実との乖離で働く意欲も希望も若者が失うことなく、土の匂いを大切に、足元の資源に磨きをかけて、家族や身近な仲間で助け合う人間としての営みの大切さを生かし合う、「温かい心かよう地域社会」づくりの原点を問い直し、発展させる仕組みづくりに、これまでの政治経験も生かしながら、終生の御恩返しの気持ちで尽くしたいと決意致しております。どうか皆様のお知恵や、ご意見もお聞かせください。

 1月19日に「後援会総会」にて機関決定をいただく予定です。

皆様のご支援ご協力を、引き続き賜りますようお願いします。

我が友・浅利慶太さんのこと

月刊『致知」2019.1月号【巻頭の言葉】より引用 
牛尾治朗(ウシオ電機会長)

『劇団の支援を通じて地方の振興に貢献』

 7月にお亡くなりになった劇団四季創設者の浅利慶太さんとは、その生前に50年近くにもわたり親しく交友を重ねてきました。

 初めてお目にかかったのは昭和44年。私が日本青年会議所(JC)の会頭に就任した年でした。
芝居好きだった石川六郎さん(日本商工会議所元会頭)からお誘いいただいたパーティーに浅利さんも出席されていたのです。

 浅利さんはちょうどフランスの哲学者・サルトルの作品を上演されており、私自身も学生時代にサルトルやカミュなどの実存主義に傾倒していたため、たちまち意気投合しました。しかしながら当時は、浅利さんの追及する崇高なテーマがなかなか一般の理解を得られず、とりわけ地方興行では会場の空席を埋めることにいつも苦慮されていたのです。

 浅利さんの志に共感した私は各地のJCメンバーに協力を仰ぎ、その活動を全面的に応援しました。団員の皆さんとチケットを売ったり、屋外に設置した会場で雪かきをしたりしたのも良い思い出です。

 そうした活動も一つの支えとなり、かつてチケットを捌くのに苦労していた演劇集団が、いまや日本を代表する人気劇団へと成長したことは誠にうれしい限りですが、私自身も四季を応援する過程で各地の志ある経営者と強い絆を結ぶことが出来、さらには地方の経済・文化の振興に貢献できたことは望外の喜びでした。

『日本を世界に冠たる文化国家に』

 浅利さんは、人との繋がりを大切にする人でした。
 私もしばしば食事やゴルフを共にしましたが、その交友は文化人に留まらず、政界、財界など各界に及んでいました。

 チケットをたくさん買ってくれた人にはお礼に食事に誘い、歓談するうちに相手はその人柄にすっかり魅了され、人間・浅利慶太のファンになるのでした。

 そうした浅利さんの人柄は、組織運営にも存分に発揮されました。劇団の仲間に向かって自分の理想を語り続け、人間を動かしていく、日本では珍しいタイプのリーダーであり、経営者としての力量も極めて高い水準にあったと私は見ています。

 劇団四季が目覚ましい発展を遂げたのは、リーダーである浅利さんの目的が単なる利益追求に留まらなかったことが大きいと思います。浅利さんは、演劇を通じて日本は世界に冠たる文化国家を言われるようにしたい、という大きな夢を持っていました。

 浅利さんがその布石として世界一大きな稽古場をつくろうとしていた折、私はたまたまある大手企業の運動場が遊閑地になっている話を聞きつけ、同社の幹部に相談に伺いました。
結果的に、単なる投資の話ではなく、浅利さんの壮大な夢の為に牛尾さんが一肌脱ぐというならと、快く運動場を譲っていただくことができました。劇団四季の一大拠点でもある横浜市の四季芸術センター建設は、一人の人間が抱いた夢が共感を呼び、実現に至ったのです。

 こうして振り返ってみると日本にミュージカル文化を根づかせ、また劇団の進出を通じて地方に活力をもたらした浅利さんの功績の大きさを改めて実感させられます。日本は今、先の見えない大転換期の最中にありますが、浅利さんのような人物が現れることによって、道は必ず開けていくはずです。

 次代を担う若い世代から、大きな夢、理想を掲げ、社会に貢献していこうとする志の高い人が多数現れることを、私は願って止みません。