急に冷え込み始めた(2020/11/1)

秋の深まりは冷え込みを連れてきた
コロナやインフルエンザの感染予防に最大の注意を払おう

 各地での秋祭りも蜜を避けるように配慮し、縮小しながら疫病退散の祈りも込められながら、社会や家庭の安泰と平安を願って納められたことと思います。その後は急に朝夕が冷え込み、行楽の秋を駆け足で迎えました。

 今年はコロナ禍で大変ではありますが、大きな台風など自然災害がなく、コロナで外出を控えていた皆さんも、GoToキャンペーン、GoToEatキャンペーンに後押しもされ、行楽の秋を楽しむ人の動きも回復の兆しが出始めています。

 外国人旅行者のインバウンドがまだ見られないため、昨年までの人の動きは見られませんが、コロナやインフルエンザの感染拡大に細心の注意を払いながら、人々の元気を取り戻してゆきましょう。

菅政権「国民のために」頑張れ!

 さて、先月発足した「菅政権」は『国民のために働く』を旗印として、行政の縦割り・既得権益の見直し・前例主義の打破・行政改革や規制緩和を進め、地方を元気にとの決意表明をもとに、国会でも所信表明がありました。

 これまでの政権のように「国家のビジョン」を示すようなスローガンでなく、具体的な実態の課題に取り組む姿勢が示され、デジタル社会への取り組み、行政手続きでの押印文書管理の合理化などで、スピード感にも取り組まれます。

 唯一「2050年までに温室効果ガスの排出をゼロにする脱炭素社会の実現」を宣言されました。このことにより産業構造や経済社会の変革をもたらし、大きな社会の成長につながるとの発想の転換も求めるとしています。

 長期政権の安倍政権を基本的に引き継ぐとのことから、諸課題もあろうが、これを引き継ぎ課題も熟知している中での取り組みであるから、まずはスピード感をもって「やってみなはれ」とエールを送りたい。

 皆さんも政策の取り組みを見守り、忠告や提言は良いが、建設的でない批判ばかりに終始することなく、課題には一緒に汗をかいて解決に取り組もうではありませんか!

政局も、コロナ騒動も、経済活動も、安定こそが今は大事だ

 マスコミの次の関心事は、衆議院の解散時をめぐっての政局の動向になると思われるが、この窮状をどう乗り切り経済活動を活発に導くかが大切な時期であり、煽りにならないよう慎重に扱ってほしものだ。

人を思う気持ちは国を越え宗教を越え、頑なな人をも揺り動かす力を持っている

月刊『致知」2020.11月号【巻頭の言葉】より引用 
千 玄室(茶道裏千家前家元)

『三杯目のお茶に込められた思い』

  何かよくないことが起こった時、人は誰しも自分や自分に近しい人でなくてよかったと思うことは、自然な気持ちの発露であろう。そして次に、その当事者への気遣いが生まれる。これも人としての情があれば当然の流れである。それにも拘らず、今回の新型コロナウイルス感染症の折にも詐欺行為が多発していた。本当に嘆かわしいことである。

 夏目漱石は『草枕』の中で「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とにかく人の世は住みにくい」と書いている。世の中にはいろいろな人がおり、その中で折り合いをつけて生きているのだ。しかし、この考え方は日本人の情から来ているのではなかろうか。何も外国の方々に情がないと言っているわけではないが、島国で神の存在を崇めてきた文化に培われていると思うのである。もともとのインドから中国、そして日本に入ってきた文明が、日本独自のものとして成立したことなのだと思う。
 
 しかし、他者を思う心は誰にでもあるのだ。『スリー・カップ・オブ・ティー』という実話の本がある。

 俗にK2といわれる山に挑戦し遭難したアメリカ人青年のグレッグを、地元のパキスタン人が手厚く助け一杯のお茶を振る舞った。当然山奥の地であるから教育施設が整っていない。そこで青年はこの地に学校を建てようと決意したのだが、村の長老たちからは「私たちには古い伝承がある。人を贅沢にし、楽をして暮らそうという近代文明の思想など必要ない。自然がすべてを教えてくれるのだから学問はいらない」と退けられたそうだ。その考えの中には、特に女子には学問は不要だという古い考えがあったであろう。資金を集めるのも大変なことだったと思う。

 それでも諦めずにこの村に通ったそうだ。そして二杯目のお茶を出されるようになり、ついに学校が建てられた時には三杯目のお茶を振る舞われた。この地では「一杯目のお茶は他人。二杯目のお茶はお客。三杯目のお茶を出す相手は家族」と言われているそうだ。ついに熱意が認められ家族として遇されるようになったということである。人を思う気持ちは国を越え宗教を越え、頑なな人をも揺り動かす力を持っているということであろう。

『人が人として生きるということ』

  未だに女子に教育はいらないという考えは残っている。私が親善大使をしているユネスコの会議でも、女子が差別をされ高等教育が受けられない現状を訴えたスピーチが、幸運にもユネスコの援助で教育の場を得られた少女からなされた。国や地域によっての教育格差は、そのまま貧困の格差となる。どこでも平等に教育を受けることは、権利であるにも拘らずなのであるが。

 しかし平等を掲げるかの大国での人権差別は、一向に解決されていないようだ。差別撤回の要求が、暴徒化してしまうことは論外のことではある。一見弱腰とも思える非暴力主義を貫き、一九六八年に「私には夢がある」との有名な演説を残し、一九六八年に三十九歳という若さで凶弾に倒れたキング牧師は、未だに人々の胸に強く刻まれている。活動は暗殺されるまでの短い間だったにも拘らず、地道に行った運動の結果、これも、暗殺されたケネディ大統領に代わり当時副大統領から大統領になったリンドン・B・ジョンソンがキング牧師と共に強く推進し、その政権下、一九六四年に「公民権法」が制定された。この功績によってキング牧師はノーベル平和賞を受賞しており、人種偏見は終わりを迎えたことになっているが、現状はいかがなものであろう。

 先の見えない感染症の蔓延により人心が不安定になり、そのはけ口が弱者へと向かうことは常なることではある。しかし、それを抑えてこそ、人が人として生きるということであろう。

 常に申し上げているように、国、地域、人種、宗教を越え同じ人間という立場でこの地球上に住まわせていただいていることを心に留め、感謝を持って日々を過ごしていきたいものである。

 同じ人間という立場でこの地球上に住まわせていただいていることを心に留め、感謝を持って日々を過ごしていきたいものである