聖火リレーも始まった(2021/4/1)

2020東京オリンピックの開催で、日本を元気に?

 昨年からギリシャで採火され、日本に到着していた「聖火」だが、いよいよ先月の3月25日に、待ちに待った東京オリンピック・パラリンピックの平和・友好・復興の願いを込めた「聖火」が、7月23日のオリンピック開会式まで、福島県のサッカー場Jビレッジをスタートし、国内の聖火リレーが始まった。

 コロナウイルス感染拡大騒動で、世界中が混乱する中、本来昨年開催実行されるべきであったが、1年間の順延を国際オリンピック・パラリンピック委員会が決定しているものである。

 コロナ騒動がまだ収束していないものの、実施の方法・要領については検討すべき問題が残されてはいようが、実施は決定されていることであり、是非みんなで歴史あるオリンピック精神による大会の実行で、世界中に元気と希望を与えてほしいと私は願っている。

勝手な行動を慎み、正常な早く日常を取り戻す行動をしよう

 学校の卒業・会社に転勤などの時期を迎え、コロナウイルスの感染は、変異株も含め再び感染拡大の傾向が進み、大都市圏で「緊急事態宣言」を発していたにもかかわらず、歯止めがきかず第4波と思える感染拡大が、地方都市を含め広がってきている。

 愛媛でも松山の飲食街を中心にクラスターが発生、若者を中心としているので中々囲い込みにも手間が要っている。

 いろいろ注意の呼びかけが、行政・医療機関などなど各方面から行われているのだが、マンネリ化と受け止められているのか、緊張感が薄れてしまっているようだ。こんな勝手な社会風潮の節度無い国となり下がってよいものか?お互いよく考えてみようではないか。

 今は緊急事態だと言うことをしっかりわきまえよう。ここを乗り切るためには1人1人が自覚をもって、蜜を避ける行動、マスクの着用、手洗い・消毒の励行、を基本的な行動規範にしよう。

ワクチン接種が始まる。市役所からの通知にしっかり対応しよう

 4月に入れば新型コロナウイルスの「感染症対策ワクチン」の接種が高齢者から始まる予定です。

 市役所から通知が来て、自分が受けたい病院や接種の日時の打ち合わせが必要です。ためらわずに相談しながら受診しましょう。

 2週間後にもう1度と、2回に接種が必要のようですが、自分の健康と命を守るため、何より家族の命や健康を守るためにもぜひ接種しましょう。

自由(無秩序)社会と専制国家社会の対立が進むのか?

 日米同盟を主軸に我が国は国家社会の体制を戦後歩んできたのだが、戦後も70年余を経過し、大きな争いもなく平和を保ち、何より経済生活の向上を目指して各国も取り組んできたのだが、自由主義国家群では、経済の発展は心の荒廃につながってきたように思えてならない。

 一方社会(共産)主義国家群では、権力の集中が一層進み専制国家の方向に進み始めているようだ。

 アメリカのトランプ政権がその流れを一部問題視する行動を起こしましたが、アメリカの大統領が民主党のバイデン氏になってから早速、中国の周政権の専制国化に着目し、さらにはロシアのプーチン大統領の専制化にも自由主義諸国の連携を深めて取り組み姿勢を鮮明に打ち出している。

 日本も同盟国として東アジア情勢の安定を図るために、緊密な連携が求められており、菅総理が同盟国で一番最初のアメリカ大統領との直接面談対話を、ホワイトハウスで行うことになっている。

 またミサイルの発射を繰り返す北朝鮮の動向・中国の尖閣諸島や南沙諸島での海洋でのふるまいなど、日本もアメリカ任せにするわけにはゆかない主権を守る行動が必要で、求められているところだ。

 コロナ対策を含め内憂外患、波の高い中にあり、みんなで平和を守る自覚と責任ある判断・行動が求められている。

人を知る者は智なり 自ら知る者は明なり

月刊『致知」2021.4月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディングス名誉顧問  數土文夫

『熾烈な対人折衝を活写する応対辞令の事例集『戦国策』』

 先知先賢の説く君子の命題の一つに、「応対辞令」というものがあります。

 応対辞令とは、文明社会における多様な人間関係にどう対処していくか、その対処法であり、人間学そのものともいえます。古典の随所で論じられ、人々の心に刻まれてきた言葉ですが、昨今の国家リーダーの発言、国会での論戦、一部メディアの論調、SNSのコメントにはほとんどそうした意識が窺えず、私は大変危うさを感じています。

 四年間の執務を終えたアメリカ前大統領のトランプ氏にしても、評価すべき点は多々あったものの、その発言は時に相手への慮りに欠け、自分自身すら見失っているような印象を受けることもありました。結果として多くの人を敵に回してしまったことは、決して同国の国益に適うものではなかったと思うのです。同様のことは、他の主要国リーダーにも感じられることです。

 日本の国会に目を転じると、野党が一所懸命に政権を問い詰めるものの、一向に支持が上がりません。応対辞令についての認識に乏しいことも大きな要因ではないでしょうか。

 二千年以上前から伝わる中国の著名な古典の一つに『戦国策』があります。秦、魏、趙、斉、韓、楚、燕の七か国がその覇権と存亡をかけて競い合った、戦国時代の熾烈な対人折衝を活写している歴史書です。

 同書には、各国の王、宰相、武将はもちろん、一介の遊説の徒、説客をも交えた権謀術数が対面形式で詳細に描写されており、彼らが常人には想像し得ない奇想天外な発想、巧みな論理構成、比喩を駆使して交渉を行う様子に引き込まれます。

 有名な「漁夫の利」の故事もその一例です。趙国が燕国を攻めようとした時、燕の昭王はこれを阻止するため、重用する説客・蘇代を趙の恵文王の説得に当たらせました。

蘇代は恵文王に「シギとハマグリが争っているところへ漁夫がやって来て、やすやすと両方とも捕らえてしまった」という寓話を用いて、いま趙と燕が争えば強国・秦が漁夫となって両国を平らげてしまうだろうと恵文王の侵攻を思い止まらせたのです。

 当時の説客の卓越した見識と胆力が窺えますが、こうした逸話を収めた『戦国策』こそは、相手の置かれた立場、心情を理解した人間学の核心を成す対応辞令の事例集なのです。

『見識と胆力を備えた謙虚さこそ応対辞令の基本』

  『戦国策』で共通しているのは、説得せんとする相手に対して、真っ向から反対したり、誹謗中傷したりする場面がほとんどないことです。相手の立場を理解し、常に敬意を表しつつ、相手も納得し得る道理、事例を示し、「ご賢察を」と利害得失を覚らせる。このことが、賢くあらねばと自意識十分な相手の心に鋭く迫り、説得を成功に導くのです。

 いまは情報の溢れた時代です。このため、自分はいっぱしの物知りになったという錯覚に陥りやすく、安易な言動に走りがちになりますが、これは危険であり、有害にもなります。

 また、人は自分を過大評価し、自分を見失ってしまいがちです。社会的地位が高くなるほどその傾向は強くなり、やがて悲惨な結末を迎えます。歴史を繙けば、織田信長、そして大東亜戦争に臨んだ日本軍部と日本国などは、その端的な実例といえるでしょう。

 これに対して中国戦国時代の説客たちは、相手の置かれている状況を鋭く正確に分析し、また自らの実力、他者からどう見られているかまでも検討し尽くして説得に当たりました。
 
 かの老子は説いています。
「人を知る者は智なり。
 自ら知る者は明なり」
(人を知ることは智者に過ぎない。自分自身を知ることを最上の明とすべきである。)
 
 他者について知ることは重要ですが、自らについて知ることはさらに重要であり、難しいことでもあります。

 老子とほぼ同時代のギリシャの哲学者・ソクラテスは、「知る」とは「知らないことを知ること」と喝破しています。

 老子やソクラテスが説き、そして『戦国策』に描かれる見識と胆力を備えた謙虚さこそ、応対辞令の基本です。人間学の核心とも言える応対辞令を学ぶことが、この困難な時代に道を拓く鍵になると私は考えています。

 他者について知ることは重要ですが、自らについて知ることはさらに重要であり、難しいことでもあります。