東京オリンピック開幕!(2021/7/1)

いよいよ東京オリンピックの開幕だ!
無事に成果を上げることができる大会となることを祈る!

 いよいよ7月23日には、1964年(昭和39年)に開かれた「東京オリンピック」から、56年ぶり(新型コロナウイルス感染症の蔓延のため1年延期となったので57年ぶりだが)に、2度目の東京オリンピック大会が開催される。

 コロナ禍が今もって完全に収まらず、新たな変異ともなって拡大の側面もあり、全く不安な要素がなく開催できる状況にないため、議論もかまびすしいところだが、無観客となろうとも協議の開催を実施し、日本の責任を果たせるよう願うばかりだ。

 確固たる姿勢で事故のない大会運営に取り組み、面目を果たしたいし、選手のオリンピックにかける情熱に応えられるように、組織委員会を挙げて頑張っても欲しい。現場の臨場感はなくても、映像を通じても選手の頑張りは伝わることだ。

 まあこれほどまでにいろいろなことに対し、ああだこうだと百家争鳴で、結果がまとめられて前進するのなら良いが、どれもこれも結論や結果をもとめられずのなし崩しで先送り、挙句の果てはうやむやでくたびれもうけ、社会に充足感など皆無で、信頼感もモラルさえ失われるようで、残念な方向に今我が国は進んでいるように思えてならない。

 国会でも議員のモラルが問われるようなスキャンダルな話題が、議論の中心に扱われることが度々だが、弥次馬たちの井戸端会議でもあるまい、国益とは何か、国民の安全安心をどう守るのか、国民にしっかり示してほしい。

 連日尖閣諸島でも中国海船が領海を脅かし、日本の漁船を脅かす事態に、竹島の近海で韓国が軍事演習を繰り返していることに、日本海や北方の漁業資源を根こそぎ荒らされていることに・・・・国会で国の意思をしっかり示し、国際に訴えるべきだが、腰の引けた犬の遠吠えのような姿勢でいいのだろうか?国民も自らの命を守るための権利と義務をしっかり問い直して、意思を示さなければならない。

 こんな世相とコロナ禍の中で、声を出そうにも声も出せないであえいでいる人が沢山いるのだ。かつては子供たちの中で「いじめ」があり、内向的にとらえる子が不登校や引きこもりにつながっていたのだが、今や子供たちどころではない、大人になっても引きこもりが社会問題となって「8050問題」と言われる問題もあり、国内で150万人以上の引きこもり者がいると想定されており、昨年来のコロナ禍を背景に、女性の失業など経済生活破綻からから引きこもらざるを得なくなった人も相当数が増えていると想定される。

 これがやがては自殺に結びついたり、犯罪に結びついたり、悲しい方向へ向かってゆく要因となることも想定される。こんな残念な社会状況を早く正常化する必要がある。これはとりもなおさず社会全体の責任であり、お互いの責任である。

次の総選挙に向けては、国の立て直しを取り組もう

 今年10月には衆議院議員の任期満了となり、現下の状況ではオリンピック・パラリンピックの国際的行事が国内で開催されることから、9月から衆議院選挙が動くのだろうと思うが、是非今度の選挙では、世界の動きの中で日本のこれから(その中での地方のこれから)持続的発展をするためには、どんな政党や政策を選ぶべきかをしっかり考えましょう。

 もう他人任せではいられません。これから目に前のハエを追うようなことばかりの議論ではなく、自分たちに負担(税)が重くのしかかってくることの責任感や、子供や孫たちを苦しめない社会システムの構築を改めて見つめましょう。

 選挙の度に所属政党が変わったり、離合集散に走り、有権者への信頼を裏切る、無責任野党の候補者の行為が、今の混乱社会を作っていると言えます。

県立新居浜病院の建て替え工事がこのほど完成し(全体完了は来年の3月見込み)、8月1日から新診療病棟がオープンします

 西条・新居浜・四国中央の東予の圏域の中核病院として、地域周産期母子医療センター・急性期医療や救急救命センターなど3次救急で県民の命を守る使命を持って取り組んでいます。

 この建て替え事業は2017年2月の定例県議会の自民党の代表質問として当時幹事長を務めていた「明比昭治」が要請し、2019年から本格工事に取り組まれていたものです。

四維張らざれば国すなわち滅亡す
        -『史記』管晏列伝

月刊『致知」2021.7月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫

『旺盛なエネルギーを失った日本人』

 この頃、日本人から旺盛なエネルギーが感じられなくなったことに、私は強い危機感を抱いています。それは、必ずしも長引くコロナ禍のせいばかりとも思えません。

 『ジャパン アズ ナンバーワン』で知られる社会学者エズラ・ヴォーゲルは、敗戦から僅かな期間で奇跡的な復興を果たし、世界第二位の経済大国に上り詰めた日本を研究し、勤勉で忠誠心が高いこと、好奇心に富み学習意欲が高いこと算数や理科が得意であることなどの特徴を紹介しました。

 同書が出版されたのは、いまから四十年以上前。躍進を続ける日本のよさを分析し、自国アメリカに教訓をもたらそうと考えた。ヴォーゲルの姿勢には感服させられます。

 日本からその頃の迸るようなエネルギーが失われてしまったのは、こうした美点が徐々に損なわれてきたことに加え、読書の習慣が急速に薄れ、他国に比べて特に情報(諜報、インテリジェンス)やDX(デジタル・トランスフォーメーション)で後れを取っていることなども、大きな要因ではないかと私は見ています。

『民の安定こそ国家繁栄の礎と考えた管仲』

 さらに時代を遡り、先賢の英知に照らして現状打開のヒントを探ってみましょう。
いまから二千五百年以上の中国春秋時代の斉の桓公に仕え、四十年以上にわたり宰相の任を務め、弱小であった同国を中原の覇者へと導いたのが管仲(管子)です。

 列強が覇を競い合っていた当時は、民衆から可能な限り搾取し、軍備の充実を図るのが常識でした。これに対して管仲は、民衆の生活を充実させることこそが国の繁栄に繋がると考え、経済重視策、まさに「経世済民」を実践し、見事にその理想を実現したのです。

 古代中国の思想家たちが対象としたのは支配階級であり、一般大衆は彼らの思慮の対象外 でした。管仲がそうした高邁で抽象的な思想家たちと大きく異なるのは、国家最高の実務家でありながら、民の安定こそ国の発展の礎と考えていたことです。政治家として破格の人物であった所以です。

『組織や個人の支えとなる四本の綱』

 しかし、管仲は単に経済政策ばかりに没頭し、それを政治の終極の目標としていたわけではありません。これらはあくまで手段で、目的はそれによって倫理・道徳意識の高い国家・世界を構築することでした。

 管仲は、次のように説いています。
「国に四維あり。一維絶ゆれば則ち傾き、二維絶ゆれば則ち危うく、三維絶ゆれば則ち覆り、四維絶ゆれば則ち滅ぶ」
「何かを四維と謂う。一に曰く礼、二に曰く義、三に曰く廉、四に曰く恥」(『管子』牧民篇)

 四維とは国を四方から引っ張って支える四本の綱であり、これを失えば国が滅ぶと説いています。そして礼・義・廉・恥の四本の綱について次のように解説しています。

 第一の礼は、節度を守ること。富や権力を独占し、貧者に思いを致さなければこれを失います。

 第二の義は、自己宣伝をしないこと。「義を見てせざるは勇なきなり」ですが、正義を行うことは当然であり、ことさらに自慢することではないのです。

 第三の廉は、自己の過ちを隠さないこと。企業も自社の不正を隠すようでは先がありません。

 第四の恥は、他人の悪事に引きずられないこと。コロナ補助金の不正受給や、検事と新聞記者による賭博事件、振り込め詐欺などは、まさしくその典型例といえます。

 四維の重要性については、『史記』の「管晏列伝」にも、「四維張らざれば国すなわち滅亡す」とあり、『貞観政要』においても、唐の諫臣・魏徴が皇帝の太宗に「前王朝である隋が滅びた理由を一日たりとも忘れてはならない」と諫める際に言及しています。

 日本の安岡正篤師も戦後の指導者に対して強く訴えています。名だたる先賢たちが国家(組織)の繁栄には忠考よりも四維がより重要であると説いていることは刮目に値します。

 そして国家ばかりではなく、地域も企業も個人も四維の有無が盛衰を決めることを心に刻まなければなりません。

 人類はいま、格差の拡大や気候変動など、世界の存亡に関わる諸問題に直面しています。その一方で、AIやロボットなど、人知を超えるスピードで進化し続ける科学技術に翻弄されています。盛衰の岐路に立ついまこそ、私たちは礼・義・廉・恥に代表される人間の倫理・道徳に立ち返ることが重要であると私は考えます。

 国家ばかりではなく、地域も企業も個人も四維の有無が盛衰を決めることを心に刻まなければなりません。