日本を守ろう!(2021/10/1)

日本を守る責任の自覚ある政党『自民党』頑張れ、皆で支援しよう
「岸田文雄」新総裁・総理の元、全員野球で総選挙を戦い、一致協力して国難を乗り越えよう

 「安倍晋三」総裁により、平成24年総選挙で「民主党」から政権を奪還して以来、昨年までの長期政権を運営、デフレからの脱却、国際からの信用信頼をもとに世界貢献にも務めてきた自民党政権であった。

 しかし、昨年「安倍総理」の突然の体調不良による辞任を受け、安倍総理を永年女房役「官房長官」として支えてきた「菅義偉」さんを総理・総裁として選任、=国民のために働く=とのスローガンで規制改革や、既得権益の見なおしなどに取り組まれ実を挙げてこられた。

 だがいかんせん、新型コロナ対策で精一杯の感染防止対策を講じながら、国民経済や生活を支えて、両立を図るべく、ワクチンの確保や接種の推進に全力で取り組まれながらも、収束に結ぶ、取り組みの経緯や成果が見えにくいとの批判にさらされた。

 9月末までの自民党総裁の任期を控えて、次期の総裁選挙に出馬の取り組みも始めたところであったが、内閣支持率の低迷などを判断されたのか時期の総裁選挙には立候補しないとやむなく辞退の表明があり、決められていた自民党の「総裁選挙実施要領」に基づき、他の立候補者により、9月17日から9月29日の日程で総裁選挙が行われた。

 「菅総理」には本当に我慢に我慢を重ねながら、誰にも先の見えないコロナとの戦いにいろいろな声を聴き取り組まれたことに感謝の気持ちで一杯だ。こんな世界中の混乱の中の有っても「東京オリンピック・パラリンピック」をやり遂げられ、日本が国際からの信頼を保つ姿勢を守られたと心から敬意を表します。

 野党からは自民党の勝手な都合で国会を開かないのは、国会の冒涜のように批判の声を挙げていたが、コロナ対策などは十分な予算を確保し、予備費も組んでおり、事態の対処には内閣や行政官庁の権限判断で対応できる状況であった。組織の健全性や活性化のためには、役職は任期を決めて改選するのは必須のことで、閉会中に党のことを取り組むことに何ら問題はない。公党でありながら野党のようにいつどんな方法で党の役職が決められたのか、見えないのは有権者へのむしろ冒涜と私は断じたい。

 さらに、自分達が国会審議のボイコットや時間外で質問事項の提出など、行政職員の残業などお構いなしで、無駄な費用や残業・過労を強いるのは国会議員の特権のように思いあがっている議員が野党議員の姿の実態だが、マスコミもそんな実態はほおかぶりして見過ごしているのではなかろうか?

 立法府が自ら、約束事が守れない見本を作っているのだから、社会秩序も乱れるのは当然のことと結びつく。今この国の社会規範は乱れ、国民に安心感が持てなくなってきていると私は危惧している。

 こんな国の姿をしっかりと立て直し、国民の声を聴き生かし、国民とともに将来の希望の持てる社会を築き、お互いの信頼を高めて持続発展する国を作るため、そのリーダーとしての考えや姿勢を党員並びに国民に総裁選挙を通じてオープンにして取り組む、まさに開かれた国民政党としての役割に自覚をもって総裁選挙が実施された。

 「岸田文雄」「河野太郎」「高市早苗」「野田聖子」の4名の候補で戦われ、全国の党員投票と国会議員の投票で、過半数の民意を勝ち取った候補がなく、「河野太郎」さんと「岸田文雄」さんで、決選投票となった結果、「岸田文雄」さんが、257票(60%)「河野太郎」さんが、170票(40%)の得票で、「岸田文雄」さんが、第27代目の「自由民主党総裁」に選ばれた。

 今回は、男性2名、女性2名の4候補の戦いとなったが、女性の活躍も期待されるジェンダーフリーの時代として、従来は派閥の論理と数の論理が優先判断基準だったが、今回はおおむね派閥の論理が主ではなく議員も個人的政策共通点などを判断基準に自主投票で進んだことなどが、従来より大きく変容した総裁選びであったことは開かれた政党活動として一層国民との距離感も近づいた選挙であり、自民党も変わったと大いに評価できる。

 マスコミなどで民意の反映を評価するのに、その場の人気投票のような捉え方をされ、一番の人が当選するのが民意の反映と扱われているが、1対1ならそれも解るが、それ以上複数の場合は1番が50%以上取るなら民主的に過半数としてその民意を優先すべきだが、50%以下なら他の民意の方が強いのだから、正当な民意の反映との判断は危険性もある。民主主義は少数意見にも寛容な対応が求められる。

第100代の「岸田文雄」内閣総理大臣に、国民の命も生活も託されます自民党・政権与党が一体となって、国のかじ取りを!

 こうして選ばれた「自民党総裁」は来る国会で首班指名の選挙が行われ、第100代の日本の総理大臣となる。

 就任最初の仕事は、人事の構成であり、所信の発表である。政治家への志の初心も忘れず、総裁選で示した政治姿勢や政策、この難局を乗り切る覚悟を示して来る衆議院議員の「総選挙」の戦いに臨まなければならない。ひるまずたゆまず必勝に向けみんなの力を結集して頑張りましょう。みんなが心通じてきずなを深め、自らの命や生活を守り、ともに支えあって励ましあって、健全な社会を創るため頑張りましょう。

 我が愛媛県では、1区「塩崎彰久(あきひさ)」2区「村上誠一郎(せいいちろう)」3区「井原巧(たくみ)」4区「長谷川淳二(じゅんじ)」の夫々が、自民党の選挙区支部長として、ともに地方の課題を共に解決に向け取り組んでいます。是非皆さんのご理解とご支援をお願いします。ともに「日本と郷土と国民の命と生活を守るため」に、お力添えとご支援をお願いします。

 今年も秋祭りの「だんじり」「太鼓台」は運行を自粛しますが、一日も早く、日常が戻り、賑わいが戻るよう「神事」でお祈りしましょう。

惻隠の心は仁の端なり

月刊『致知」2021.10月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディングス名誉顧問  數土文夫

『フランシス・ブリンクリーが日本に魅せられた理由』

 幕末から明治末にかけての45年間、日本で活躍したイギリス人ジャーナリストにフランシス・ブリンクリー(1841~1912年)という人物がいます。

 明治維新直前の1867年に、駐日イギリス公使館付武官補として海軍砲術学校や工部大学校で教鞭を執った後、ジャーナリストに転じます。当時の日本人の精神性を正しく理解し、ロンドン・タイムズ紙の通信員として日本の素晴らしさを西欧に紹介しました。

 来日間もない頃に偶然、武士同士の果たし合い遭遇し、驚愕の光景を目の当たりにします。それは死闘の末に勝負がつき、勝者の武士が敵であった敗者の遺体に自らの羽織をかけ、跪き、静かに合掌する姿でした。

 かねて美しい日本の風景や清楚な日本人に接し、感銘を受けていたブリンクリーは、日本人が極限の状態にあっても気高い精神と礼儀正しい所作を示したことに、さらに強く心惹かれたのです。

『水師営の会見に込められた明治天皇の大御心』

 それから33年後の1900年、新渡戸稲造がアメリカで『武士道』(Bushido:The Soul of Japan)を発刊したことをブリンクリーは知ります。

 1905年1月5日、日露戦争の旅順攻防戦において敗北を認めたロシア軍のステッセル将軍と旅順要塞を陥落させた日本軍の乃木希典将軍が、旅順郊外の水師営で会見を行いました。通例として降伏する際に帯剣することは許されないにも拘らず、「将官ステッセルが祖国のため尽くせし苦節をよみしたまい武士の名誉を保たしむべきこと望む」という明治天皇の大御心を受け、乃木将軍は敵将ステッセルらに帯剣をゆるします。

 会見には多数の外国記者や各国観戦武官が参集していました。乃木将軍はステッセル将軍の惨めな姿を撮られることを潔しとしなかったのです。そればかりか、ステッセル以下ロシア代表を招いて宴会・酒肴を供し、彼らの奮闘に敬意を表しました。
 ステッセルもまた、乃木将軍の長男勝典、次男保典の戦死を知り深く弔意し、日本軍の勇敢さを称えました。

 ブリンクリーは日露戦争が始まるとすぐ、ロンドン・タイムズ紙に「日本武士道論」を掲載し、日本人は決して好戦的民族ではなく、その精神は高潔であると欧米に向けて発信します。新渡戸稲造が『武士道』の中で、愛・寛容・他者への同情・惻隠の情はいつも至高の徳、仁であり、民を治める者の必須条件は仁にあり、武士道の中心をなすものと説いていたことをよく理解していたからです。

 明治天皇と乃木希典の他者への思いやりに満ちた仁の実践を、ブリンクリーは世界の人々に伝え、感動を与えました。

 一番重要なことは「惻隠の心」、他者への思いやりではないでしょうか。これなくしては何も始まりません。