コロナ禍の克服を!(2022/4/1)

桜も満開、さわやかな風もそよぐ新年度が始まりました。
早くコロナ禍を克服し、出たり引いたりではなく、当たり前の平常の生活を取り戻しましょう。

 桜も満開で風にそよいで散る花びらに、何とも言えないものを感じ、そのあと息吹く新緑が、命の尊さを教えてくれる季節となりました。

 4月といえば新年度の始まりで、正月とは違う気持ちの引き締まりを感じる月です。
学生にとっては、新学年で新しい友達や先生との出会いがあり、特にわくわく感もあろうかと思います。

 だがみんなマスク姿で、本当の顔全体を見ることがなく、何年か後、マスクを外した姿で会った時、これまでのような友達感が湧くのかなと、余分なことを考えてしまいます。

 早くコロナ禍を克服し、マスクを外して会話のできる日常を取り戻したいものです。まだまだ気を引き締めて感染拡大防止に取り組みましょう。

 またコロナ禍との戦いは、経済活動や日常の生活スタイルにも変革が求められ、一方では新しい社会システムの芽生えを呼び起こしています。

 効率化を求められていますが、やはり共助の精神の充実があり、制約があっても自分本位に陥らず、身近な人とともに支え合う豊かな心が通う社会になってほしいものです。

「狂気の専制君主(プーチン大統領)の暴挙は許されません。
未だ収まらないロシアのウクライナ攻撃戦争での、何の罪もない痛ましい犠牲者は見るに堪えられません。

 一方的軍事侵攻(戦争)を仕掛け、無差別な大量殺戮が行われ、更に生物・科学兵器や、核兵器の使用も危惧されています。平和を打ち崩す許されざる暴挙です。

 これを阻止するには国民の命と平和と民主主義を求める国家や国民が結集して行動することこそが大切です。覇権主義の暴行を見過してはなりません。

 皆で手を共に携え、ともにその声を政治の力に反映させ、絶対に罪なき人を犠牲にする「戦争」に進ませず、安全・安心・平和な社会を守り築きましょう。

冥冥の志なき者は、昭昭の明なく惛惛の事なき者は、嚇嚇の功なし                            『荀子』勧学篇

月刊『致知」2022.4月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディングス名誉顧問  數土文夫

『21世紀に重視される唯一のスキル』

 21世紀に入って、人々のごく身近に喫緊の2つの課題が出現していると感じています。
 
 1つは、私たちの生活の糧を守る手段、仕事・職業の寿命がどんどん短くなっていることです。情報技術(IT)、人工知能(AI)、ロボット、これらを総合したデジタルトランスフォーメーション(DX=ITによる変革)があらゆる職域、社会システムに入ってきて、人の働き方に大変革をもたらしつつあり、その加速度を増していることです。

 いま1つは、人の寿命が80年を超え、人生100年という感覚が普通になりつつあることです。20世紀後半まで、人は定年後10年から15年くらいがせいぜいと考えてきました。100年もの人生を与えられた私たちは、生涯をどう楽しく働き、健全に生きたらよいのでしょう。未曾有の難事です。

 古来、「国家100年の計」という言葉があります。国の興隆を実現するための遠大な国策のことです。しかし、人の寿命100年が現実味を帯びて目前に迫ってきたいま、「国家100年の計」と「人生100年、終身の計」が重なってきます。これはかつてない出来事であり、国と企業、個人が共通して認識すべきです。

 現代経営学の祖にして、未来学者とも呼ばれたピーター・ファーディナンド・ドラッカー(1909~2005年)は、20世紀末に近未来の21世紀を予測して次のように言っています。
「21世紀に重視される唯一のスキルは、新しいことを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共に廃れていく」

 慧眼だと思います。いま、私たちが携わっている仕事、業務は10~20年後には消滅している確率が非常に高く、この言葉に納得せざるを得ない状況になっています。ドラッカーは、最近言われ始めたリスキリング・リカレント(新しいスキルの習得、学び直し)の必要性を正確に予測していたのです。

『小流を積まずは、もって江海を成すなし』

  ドラッカーの研究の基本的関心事は、「人を幸せにすること」にあると言われてきました。その主張は組織の中の人間という観点から論じている場合が多く、人間学が感じられ、親近感が湧きます。彼の「新しいことを学ぶスキル」について言えば、1人ひとりが独立自尊の心で、忍耐力を持って継続的に学ぶ努力を言っているのです。ドラッカー流の「学問のすゝめ」です。

 『学問のすゝめ』といえば、福澤諭吉が想起されます。明治維新の文明開化に際し、欧米の新しい実学(スキル)を習得することが国の発展、人生の成功に繋がると説きました。当時、340万部売れ、国民の10人に1人以上の割合で読まれた空前の大ベストセラーです。ドラッカーは諭吉の『学問のすゝめ』を読んでいたのではないかと思うほど主張の本質は似ています。

 2300年前、古代中国に15歳で学に志した、孔子の直系を自認する「勧学」の思想家がいました。「性悪説」「出藍之誉」の故事で知られる荀子(荀卿)です。荀子は自ら著した『荀子』の中に勧学(学問のすゝめ)篇を設け、次のように説いています。

「冥冥の志なき者は、昭昭の明なく
 惛惛の事なき者は、嚇嚇の功なし」

 志をもって目に見えぬ努力を積み重ねない者には、素晴らしいことが訪れるはずはない。また、目につかぬところで手を抜く者には、輝かしい成果が上がるはずはない。

 荀子は中国古代では珍しく、学ぶに際して忍耐力、実学を重視した思想家だと思います。次のようにも言っています。

 「蹞歩(足元の1歩)を積まずは、もって千里に至るなく、小流を積まずは、もって江海(大河、海)を成すなし」

 人の寿命がかつての30年から100年に伸びても、社会の変革がいかに激しくなっても、孔子、荀子、諭吉、ドラッカーをはじめとる幾多の先哲が一様に説いた学ぶことの重要性、学問のすゝめ、勧学こそは、国に対しても、企業、個人に対しても光明への王道なのでしょう。

 私たち1人ひとりが永い人生を独立自尊の気概を持って学び続け、その晩節に「昭昭の明」「嚇嚇の功」を得ることは、国を隆興へと導いていく道でもあると考えています。

 志をもって目に見えぬ努力を積み重ねない者には、素晴らしいことが訪れるはずはない。また、目につかぬところで手を抜く者には、輝かしい成果が上がるはずはない。