耐える力を育もう(2022/11/1)
コロナ禍が子供たちの不登校やいじめをさらに増加させている。総力を挙げて対策が必要だ。
2019年に新型コロナウイルスが中国で発生、2020年には瞬く間に世界中に広まり(パンデミック)。この制圧を目指して世界中でいろいろな取り組みがなされ3年にも及ぶ状況である。
世界ではこれまで6億人を大きく超える罹患者を発生し、日本国内でも累計21万人を超えている。未だ感染の収束は見えず、私たちの日常生活にいろいろな制約が求められ精神的にも経済的にもリズムが狂い社会的な疲弊度が深刻になっている。
いわゆる精神的に孤立が進み、子供たちの心にも元気や活動の目標が失われ、小中学生の不登校が24万5千人と急増している(愛媛では小学校で678人、中学校で1560人、高校では545人)。
さらにいじめも急増していると、文科省から発表があった。この急増の背景はやはり新型コロナの影響が大きく学校行事や活動が制限され、さらに休校による生活リズムの乱れ、友人との交流の機会減少もあり登校意欲が戻らないことが大きく影響しているようです。
次代を担い社会を支える力の源泉である子供たちが、こんな状況で孤立化が進み社会人としての資質が育成されない状況にしておいてはなりません。
学校で担任の先生や、一部の相談員(カウンセラー)などに対処を求めてばかりでは、余りにも過重負担となり手も回りません。
社会全体の問題として、今国を挙げ全力で取り組まなければならない問題です。来年度から「子ども家庭庁」が設置されますが、少子化問題を含め未来社会を支える人の育成が、「国力づくり」と捉え最大の注力が必要です。
世界秩序の中で平和を守るために。経済・生活の安定を守るために。
覚悟有る努力と取り組みが必要。
ロシアのウクライナ侵攻の暴挙も未だ収まらず、世界を巻き添えにしながら益々世界の平和を守る秩序が崩れる深みに嵌ってゆくことが危惧されます。
イギリスの首相交代・イタリアの首相交代・アメリカの中間選挙などの動きの報道を見るにつけても不安定で安心していられる状況ではない。
世界の貿易バランスが崩れ、物価高や生産体制の変動を余儀なくしており、貿易立国の我が国はその影響が非常に大きい。円安は何十年も時代を巻き戻す状況になってゆくような状況です。
外国に依存するばかりでは、政情不安に襲われると道が断たれてしまいます。幻想を求め、あらぬ夢を求めてばかりでは立ち行きならない状況です。
課題を先送りで逃避することなく現実をしっかり把握し、次代の先を見つめながらも確実・的確な対処能力を発揮して耐え、挙国一致で総力を結集する時ぞ今の気概で結集しましょう。
平和な社会を守ることはもちろんだが、平和で穏やかな日常生活が安定し守られる経済的自立が最も大切です。愛する人を守り、家族や日本を沈没させないよう大和魂を取り戻しましょう。
愛媛県知事選挙。関心をもって参加し、期日前投票も活用し、必ず投票に行こう。
11月は愛媛県知事選挙があります。「中村時広」現知事が4期目に向けて、当面のコロナ対策や、デジタル技術の活用・導入はもとよりですが、引き続き政策の3本柱である
① 防災・減災・国土強靭化
② 人口減少対策
③ 地域経済の活性化
を軸として、『みんなでつくろう、愛顔(えがお)あふれる愛媛県』をスローガンに、県民力さらなる実需の創造・向上を追い求めて、引き続き取り組む決意が示されています。
相変わらずコロナ対応に追われる中での、現職故に公務と兼ね合わせての選挙日程が組まれるのですが、理解してみんなで協力応援しましょう。
私たち「自民党愛媛県連」でも推薦決議、一丸となって応援・運動を推進してまいります。一番心配されるのは、投票率がとんでもなく低くなることです。投票は政治関心の民意のバロメーターでもあります。国民理解の高い民意で社会を守りましょう。
愛媛県ではコロナ感染対策の指針として、「感染特別警戒期」として県民に行動の注意要請をしてきましたが、『西条・新居浜市圏域』は秋祭りの余波もあってか引き続き「感染特別警戒期」での取り組みを要請、その他の地域については「感染対策期」として一段下げて活動制限を緩めることにされています。
しかし、これから冬場に向かい、換気も悪くなりコロナ感染の第8波が心配されています。くれぐれも安易に受け止めず、予防対策・行動に気を付けましょう。
夫れ事は 独り断むべからず 必ず衆と与に宜しく 論ずべし
「十七条憲法」(『日本書記』)
月刊『致知」2022.11月号【巻頭の言葉】より引用
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫
『日本は神代の時代からその精神において民主主義だった』
本年7月、参議院議員を選ぶ国政選挙が実施されました。憲法改正が論点の1つと関心が高まっていたといわれながら、投票率は全体で52.05%、特に10代の18歳、19歳では34.49%であったといいます。10代の若者の65%以上もが国政参画することを自ら放棄していたことになります。
いまの憲法の概念といえば、聖徳太子の「17条憲法」が想起されます。『日本書紀』によれば、推古天皇12年(西暦604年)「皇太子、親から肇めて憲法17条を作りたまふ」とあります。
特筆すべきは、日本国の憲法でありながら和漢混淆文ではなく、全文純粋な漢文であることです。これは、大陸の隋王朝、朝鮮半島の高句麗や、新羅、百済等との複雑な国際環境を見据え、日本の先進性、優位性を対外的にアピールする意図があったのではないかと思われます。
その概略は、和を以て貴しと為しに始まり、三宝を敬え、詔を謹め、相手に対する敬意を忘れるな、それぞれの職務、任務を第一にせよ、信義はすべての根本、同僚に嫉妬するな、古の良典に学べ、庶民、ことに農民を大切にせよ、大事に当たっては広く意見を聞き、熟議、熟慮して臨め等です。
特に最後の17条の、
「夫は事は独り断むべからず。必ず衆と与に宜しく論ずべし」
(大事なことは独断で決めずに、必ず皆の智慧を集めて評議・検討して決めよ)
は、平凡なように見えて傑作だと思います。内政はもちろん、国際政治をも考慮した外交上の重要なシグナルでもあったのではないでしょうか。
日本は神代の時代から八百万の神が一堂に会して意見を交わし、ものごとを決めてきました。明治新政府が基本方針として定めた「五箇条の御誓文」の「万機公論に決すべし」も、欧米の影響を受けて突然出てきた条文ではなかったように私は思います。
万機公論に決するには、参加資格のある者が八百万の神々よろしく全員会議に出席し、意見を開陳しなければなりません。これは、八百万の神々の義務と権利であり、現代の選挙権の行使ともいえるでしょう。「17条憲法」によれば、日本は古代からその精神において民主主義だったのです。
『一段次元の高い解を導き出す意志と知性が求められる』
いまの日本人は、相手の立場に配慮しつつ創造的に議論、折衝する技術に長じているとは思いません。否、拙劣でさえあります。対立する意見について忌憚なく論評し合い、両者が納得し得る一段ステップアップした解を導き出す意志と知性、弁証法的思考法が現代ほど求められる時代はないのでしょうか。
これについては、ぜひとも記憶に留めておきたい事例があります。
1917年、ロシアから独立したフィンランドと隣国のスウェーデンは、両国間に位置するオーランド諸島の帰属問題で争いになりました。国際連盟の事務次長としてその裁定に臨んだ新渡戸稲造の仲裁案は、オーランド諸島はフィンランドに帰属するとしながら諸島を自治領とし、かつ公用言語をスウェーデン語とするものでした。これはもちろん、オーランド諸島住民からも歓迎、感謝され、紛争解決の模範例とされています。
落語で有名な江戸時代の大岡裁き、「三方一両損」の噺も弁証法的課題解決の模範例といえます。大工の吉五郎が落とした三両の金を、左官の金太郎が拾って届けたものの、吉五郎は「一度落としたものは受け取らない」と突っぱね、押し問答になります。この争いを裁くことになった名奉行・大岡越前守は、件の三両に自身の一両を足して両人に与え、三者が平等に一両ずつ損をする形をつくって互いを納得させ、一段高い次元で事を治めたのです。まさにこういう知恵が、緊張の高まるいまの国際関係にも求められるのではないでしょうか。
そのためにも我われ日本人は、1400年前の「17条の憲法」の精神をいま一度学び直すべきだと私は思うのです。人はそれぞれものの考え方、見方が異なるのは当然です。この差(ダイバーシティ)を認めようとする雅量と積極性、知性が肝要なのです。
「17条の憲法」は21世紀以降も国際的に十分通用する高邁なものであり、10代20代の若い方々には、その精神を継承すべき日本人としての自覚のもと、各々の立場で政治への関心を高めていただくことを期待します。若者の政治離れは亡国の兆しであり、国政選挙の忌避、棄権は弁解の余地なき愚挙であることをご理解いただきたいのです。
対立する意見について忌憚なく論評し合い、両者が納得し得る一段次元の高い解を導き出す意志と知性が求められます