鬼退治を!(2023/2/1)

携帯電話で支配し、振り込め詐欺・凶悪強盗事件が・・日本の治安大丈夫?犯罪もDX対応時代に・・・。

 このところ日本各地を舞台に、凶悪な強盗事件が発生しているが、その手口がわかってくるにつけ驚愕の事態だ。

 「闇バイト」をSNS上で誘われ多額な借金を抱えたり、ギャンブルなど遊興費欲しさに、自分の顔写真や運転免許証などの画像も含め個人情報を書き込み応募、先に逃げられないように囲い込まれて犯罪集団に引き込まれ、逃げられないとの恐怖心まで摺りこまれた上で、スマ-トフォンから指令され、その場で組織された仲間と凶行に及んだ事件が起こっている。

 我が国で起こる犯罪として益々手口が高度化している。まさにDX新時代に犯罪の手口も入っていることに、別の意味で恐怖感をおぼえる。

 今やアナログな手口の犯罪などはもう古い、電波で支配され人間味などが全く無い犯罪手口に質的高度化が進んでいるのだ。残念でならないし、恐怖を覚えるばかりだ。

 こんな世の中・・・。日本社会になっていることが残念でならない。どうしてこんなに人間本来の「心」を失くす社会に、日本がなってきたのだろう?道徳など微塵も感じられない。

 ネット社会はSNSで自分の姿を見せないで、相手がどう思うだろう等との配慮の欠けらもない書き込みで、チクリの社会状況を生み出している。チクリ話題をネタに、野次馬の有権者の関心を呼び込み、国権の最高議決機関の国会議員となり国会に出席することもなく外国で暮らし、国民の血税の中らの歳費を受け取っている議員を作り、それらを統括する政党まで存在する知性も理性もない残念な国になっている。

 自由とは民主主義とは?どんな姿であるべきなのだろう?もう今や訳もなく言いたい放題、やりたい放題を許し認めるのが自由で民主的な社会と思わされているような状況だ。
これが進めばやがて暴動の無秩序社会となり、平和など程遠い社会になると危惧を覚えます。

 新型コロナ感染症対策も3年余を経過し、まだまだ収まる気配はない。しかし、弱毒化の傾向を踏まえ、社会経済の回復のために行動規制を伴う規制の扱いを、新型インフルエンザと同等の扱いとする基準を2類から5類に、5月8日から変更すると日本政府が示している。

 コロナに対する扱いや見解も、評論家が多くてなかなか国民理解として統一しがたい状況だ。何より自分の命・健康を守るため、自分の責任を自覚したうえで、社会でいろいろな苦労をされているみんなが、手当てを受けられるような状況を創るための相互扶助と相互理解の精神で、病気に対応できる社会環境を作ろうではありませんか。
 
 最も身近なところでご苦労が迫られると感じているのは、身近な「かかりつけ」の医院や病院でしょう。そこのお医者さんとも話し合ってみてください。

 これから国会でも、県議会でも、市議会でも、新年度の予算も審議する重要な議会となります。当面のまだ収まらないコロナ対策、物価の高騰や資材不足対策、更には頻発する災害対策や防災対策、将来不安の人口減少対策や、経済自立対策などなど課題の多い現状から将来展望を踏まえての議論を深め、国民住民が落ち着いてみんなで取り組めるような、真剣な姿勢と視点で議論を重ねたいものです。

 さらにその先では、4月には統一地方選挙もあり、あわただしい環境の中での議論ともなりますが、「誰のために」、「何のために」、の原点の姿勢を忘れず取り組みたいと思います。

 皆様も関心をもって、取り組みの監視もお願いします。

廉恥心は少年の教育において養成せらるべき最初の徳の1つであった
―――新渡戸稲造『武士道』

月刊『致知」2023.2月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫

『「不名誉」な地位に甘んじ過ぎている日本』

 2003年、台湾元総統の李登輝氏(1923~2020)は、敬愛する新渡戸稲造の『武士道』の精神を日本人にいま一度喚起せんと『「武士道」解題』を発刊しました。

 新渡戸が『武士道』を発刊したのは1899年、37歳の時でした。英文で書かれた同書の原題は『BUSHIDO,The Soul of Japan』。ドイツ語、フランス語、ポーランドごロシア語、イタリア語、ハンガリー語に翻訳され、世界的大ベストセラーになりました。

 発刊から104年を経た名著に、李登輝氏が再び光を当てた『「武士道」解題』には、日本の伝統的精神、文化に対する並々ならぬ理解と、日本の現状への失望、それでも止まぬ好意と激励が示され、日本国民への強烈なメッセージとなっています。

 同書の発刊時に李氏は既に引退していたとはいえ、一国の元トップが他国民へ向けてこうした書籍を発刊することは極めて異例のことでした。

 2003年頃の日本といえば、それより10数年前のIMD国際競争力ランキングで3年連続1位から転落し続け、20位以下に低迷して回復の予兆すら見えない頃でした。日本の国際的地位、評価は種々の指標で低落傾向を示しつつあり、「失われた10年」という造語も流布し始めていました。

 世情も不安定でした。少年少女の非行・犯罪や、企業・企業経営者の不祥事が頻発し、政治への不信が募り、かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と謳われた頃の輝きは完全に失われていました。

 李登輝氏は『「武士道」解題』で、日本人について次のように指摘しています。
 日本人は「廉恥心」を失った。
 日本人は「名誉」を口にしなくなった。
 日本人は「徳」を口にしなくなった。
 さらに続けて次のようにも述べています。
「世界に誇るべき『日本国憲法』は、その冒頭で、『国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う』と高らかに宣明しています。にも拘らず、最近の日本はあまりにも『不名誉』な地位に立たされすぎているのではないでしょうか」と。

『廉恥心・名誉・徳なくして国家は成立しない』

 新渡戸稲造は『武士道』の中で次のように強調しています。
「廉恥心は少年の教育において養成せられるべき最初の徳の1つであった」

 この一文は極めて重要です。「笑われるぞ」「体面を汚すぞ」「恥ずかしくないか」などの言葉は、過ちを犯した少年を正す最初の切り札であり、人間の高潔さに対するいかなる侵害も恥とされると説いています。日本人はこの廉恥心を1945年、戦争に敗れるまで、伝統的に幼少期から徹底して教育してきたのです。

 江戸末期、武士の子弟を教育する藩校や私塾は、全国に約270校。庶民の教育の場である寺子屋は全国に約1万5千もあったといわれています。こうした教育環境に支えられ、当時の日本の識字率は一説では約70%にも達していたといいます。これは、同時期のイギリス、フランスの10~25%より相当高く、来日する欧米人を驚かせました。

 明治5年から9年にかけて福澤諭吉が刊行した『学問のすゝめ』は、約340万部の大ベストセラーになりました。当時の日本の人口が約3400万人であったとことを考えると、これは同書の反響の大きさと共に、日本人の向学心、好奇心、識字率の高さを如実に表しているといえます。

 福澤は本書で、「賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによりて出来るものなり」、つまり皆がよく知っている『実語教』の通りです、と訴えています。

 『実語教』は、平安時代から伝わる漢字480字からなる年少者用、寺子屋用の道徳を主とした教材です。現在の大学生、否、企業の経営者、政治の方々といえども十分認知されているかどうか。国家枢要の重職、法務大臣が、自ら犯した罪や過ちのために、ここ3年くらいの間に2人も辞職する国は、途上国でも聞いたことがありません。いま一度『実語教』に学んでほしいと思います。

 廉恥心・名誉・徳は、本来は幼少年時に学んでおくべきものであり、これらと無縁では国家の再生も、独立自尊も決して成立しない。私たちは、このことを固く肝に銘じておかなければなりません。

 廉恥心・名誉・徳は、本来は幼少年時に学んでおくべきものであり、これらと無縁では国家の再生も、独立自尊も決して成立しない