温かい春を迎えよう!(2025.2.1)

少年よ大志をいだけ!
立春(「少年式」)に、未来を見つめ、これからの社会人としてのあるべき姿、責任者としての自覚をもって、どうあればよいのかを、見つめてみましょう。皆で話し合ってみましょう。
今年の正月は三が日とも穏やかな天候に恵まれ、こんな日常が続いてほしいものだと思ったものです。年末年始が9連休など長い休みを謳歌した人も多かったようです。外国人観光客の入り込みもコロナ禍の前に戻りつつあるようで、愛媛県でも韓国のソウル便とプサンとの直行便が毎日運航され、また台湾直行便も週3便運航されるなど、搭乗率も良く運行され、だんだんと県内各地へも外国の観光客を見かけて迎えるようになってきています。
世界情勢の中で、円安もあり日本人が外国へ出かけることが、まだ以前のように回復していないようですが、徐々には回復基調にあるようです。若い人には特に外国にも出かけ、世界観・人生観も拡げ充実させて欲しいと思います。
豊さ!とは何を求めているのか?いわゆる20世紀のバブル崩壊後の人生価値観に対する考えが、個人の責任と評価される見方が強く、公のあるべき姿とのバランスが崩れ、社会の羅針盤が正常に機能しない状況が続いているのではないか?と、私は憂うところです。
アメリカの大統領にトランプさんが1月20日に再登板就任し、「自国ファースト」が以前にもまして強力に進められ、世界秩序のパワーバランスが崩れ、「窮鼠猫を噛む」のことわざのように、暴動が起きることのないよう、アメリカは「平和を守る」世界のリーダーであってほしいものです。
先の大戦を終局し、平和を維持してから80年を迎えますが、絶対に戦争を起こし、巻き込まれ、罪も穢れもない善良な市民が、犠牲にならないよう、政治が正しい判断とリーダーシップを果たさなければなりません。
根も葉もない偽情報をSNSで安易にとか、意図的に流し、社会を(人心を)不安に貶め、混乱させている事件(事案)が、後を絶たない状況です。事の真偽を見極める判断力を持たなければなりませんが、そんな賢人はいません。公の秩序良俗を守る法の整備と監視は、政治の責任です。早く規制の手立てに取り組まなければなりません。この悪例は選挙の手段としても横行しています。正常善良な判断力の機能する政府(行政府)を作らなければなりません。
目の前のまやかしパフォーマンスで国民を惑すことのない、しっかりした理念と責任感を持った政治活動と、政治家を守り育てましょう。
自民党は責任政党として、反省すべき古い殻を破り、立て直し・出直しに取り組んでいます。
今年7月の参議院「愛媛選挙区」に、自民党は『上野 由佳(ゆか)』(30)最年少「女性候補」擁立します。古いイメージをみんなで払拭し、「未来を拓く新しい自民党活動」にご支援を!
この度、来る7月の参議院議員選挙に向け、愛媛選挙区では候補者の公募を行い、11名の応募者の中から4名を選定委員会(国会議員を含め県連役員9名)で面接審査も実施し、全く清新で「責任政党自民党」の国会議員としての使命感を、これまでの市民活動実績を通じて体現したいとの志に溢れる女性の「上野 由佳(ゆか)」さん、を選考し、愛媛県連の常任総務会で満場一致で決定し、自民党本部に公認申請致しました。
今年5月に30才となり、被選挙権を得られる最年少の候補者となるでしょう。2歳の女児の育児もしながらですが、家族や周辺の理解者の支えにより、そんな厳しい状況を糧として乗り越える信念や、筑波大学では政治学を主専攻し、自民党茨木県連内で学生部を立ち上げ、初代部長も務めた自民党活動の実績、子供のころから政治家を志す信念を貫く志に、選考委員も感銘し選考したとの報告がありました。
自民党の古い体質イメージを全く変えてくれるでしょう。みんなで変えましょう!皆さんと共に「未来を拓く新しい自民党活動」にご理解・ご協力をお願いします。
過てば則ち改むるに
憚ること勿かれ。
過ちて改めざる、
是を過と謂う。
月刊『致知」2025.2月号【巻頭の言葉】より引用
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫

~ 孔子が説く 人物の最高の評価基準 ~
約二千五百年前、古代中国の思想家・教育者であった孔子は人生における人の「過ち」について、弟子たちと真剣な議論をし、考察を行っています。 孔子は日頃、人の真価はその言っていることだけではなく、その行動を観察して問われるべきだとしました。いくら口で立派なことを言っていても、それが実践できていなければ、その人物は評価に値しないということです。
孔子の説くところによれば、「仁」と「義」は人の一生において、死活的に重要ですが、「仁」の基本は「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」であり、「義」の基本はその実践に「利他的な「勇」が伴う、といいます。「義を見て為さざるは勇なきなり」とあるように、「勇」なくして 「義」を口にするのは偽善であり、過ちだと説いているのです。
また、「仁」と「義」を貫いて過ちなく一生を過ごすことは至難ですが、それ以上に自分の過ちを改めることなく繰り返す、これこそが本質的な過ちだとも言っています。
孔子は自分の後継者と確信し、期待していながらも早世した弟子の顔回を人に紹介するに当たって、「過を弐たびせず」という表現で自慢しています。過ちを再びしない、これを人物の最高の評価基準としていたことがその言葉からもうかがえます。
~ 失われた三十年 その過ちの本質は何か ~
ここで現代に話を転じましょう。 一九九〇年前後、日本は世界の羨望の的でした。 国別個人別GDP順位、スイスの有力ビジネススクールIMDによる世界競争力ランキング等で世界一位、二位を争う地位にありました。他国から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称され、煽てられ、日本は浮かれていましたが、急激に失速劣等化して、いまや二〇二四年のIMF統計による一人当たりGDPは三十九位、G7の中でも最下位。 二〇二四年の世界競争力ランキングは過去最低の三十八位という悲惨な状態にあります。
失われた十年、二十年、三十年と言われ続けながら、その失敗の原因が何処にあるのか、即ち我々の過ちの本質が何かを明確にせず、国民的な合意もなされずに、無為に過ごしてきました。「過ち」を「過ち」と認識できない最大の過ちを犯しつつあるのです。
直近の日本の現状、特に世相を見てみると、政治・経済・社会風潮等において明らかに過ちを犯している事例が多数あります。
例えば、政治では 「お金」「派閥」 「世襲」など政党自身が改善や解消を問題提起されながらも進展が見られず、国民を失望させています。政治家の不誠実さ、開き直りまで感じるほどの有り様です。
経済界でも製造業、特に最近まで世界一と自他共に認めてきた自動車メーカーの相次ぐ不祥事には驚かされます。 この現象は銀行に代表される金融業界も同様で、不祥事の連続です。 一方、社会面では弱者、特に高齢者を狙い打ちする詐欺や強盗などの闇バイトが多発し、収まる気配が見えません。
日本人が持っているとされてきた美徳や恥の文化、伝統に培われた倫理観や道徳心はどこへ消えたのでしょうか。もはや「仁」とか「義」どころの話ではないのです。
しかし、僅かながら好ましい兆候も見えてきました。 与野党の枠を超え、最低賃金の大幅是正、基礎控除額の拡大、定期昇給、ベースアップへの積極姿勢、更には減税議論の活発化等は大いに期待できます。スピード感をもって進めてもらいたいと思います。 ここ三十五年間の我々の過ちの一つは、「五箇條の御誓文」の第一に掲げられている「万機公論に決すべし」の精神とスピード感の欠如ではないでしょうか。
世界の変化には、目を見張るばかりです。日本は変化に対して驚くほど慎重で臆病に感じます。過ちの形態も時代の趨勢と共に変化しつつあり、社会や科学の変化に追随できないことが実は最大の過ちになる。いまこそ過ちを改めていく勇気を持つ必要がありますし、それが可能だと信じたいものです。日本人は古来、「義」の国民なのですから。