新しい政権がスタートする!?(2026.2.1)

新しい政権がスタートする!?

 高市総理が令和8年1月23日通常国会を開会し、通常なら令和8年度の国家予算案を提出し、慣例として4月1日の行政事務がスタートをできるように、国会に諮り円滑な国家運営に取り組むところなのだが、いきなり招集日に衆議院を解散し、まずは高市内閣を信任するのかどうかを問うとして、何の議案も予算も提案することなく1月27日告示、2月8日投開票の日程で総選挙を決行した。議案の具体的審議テーマもなく、政党や個人の政治理念に基づく高市総理・総裁(自民党)を信任するか?を問う選挙だとしている。

 各政党もいきなりの解散選挙で右往左往の状況だ。そこで野党第1党の「立憲民主各党」と4半世紀にわたり自民党と連立与党として政権の中にいた「公明党」が連立離脱をしたかと思うと、今度は立憲民主党とともにこれまでの政党を共に解散して「中道」という名称の政党を立ち上げ、政権獲得に挑むという。肝心な政策も具体的に明確に示せない中での選挙となった。

 要は「高市早苗」(自民党総裁)を信任するかしないかの「選択肢」の総選挙となっている。結果は選挙後の組み合わせで導いてゆくのだ。経済対策で各政党が「消費税」の扱いを口にしているが、何の公約ともならない戦いだ。

 世界に目を転じるとアメリカのトランプ大統領の「アメリカファ―スト」の横暴のような言動で、自由諸国も足並みが乱れ、中国・ロシアなど全体主義国家も指導者の権力強化が進み、平和維持の空気感が非常に気になる状況だ。こんな世界の動向・空気感の中で「平和を希求する」日本のあるべき姿を、国民が真剣に考えなければならないのが、この選挙の選択肢でもある。

 中国(周主席)が香港を取り込んだ、次は台湾をと進めている戦略の中で日本が原因で誘発を狙うかのように、日本との国交にいろいろな制限をしているが、敵失狙いのような中国の戦略に乗らず自由諸国と連帯しての平和構築外交などの政策に「自民党高市総裁」を支える姿勢を内外に示すことが今求められている、と私は思っている。

 私たちの大切な命を無駄に犠牲にさらされることが絶対にあってはならない。そのためにみんなで結束して平和を守ることのために、一人一人何をすべきかの責任感を持って行動しましょう。

 地球環境の変化で、異常気象を引き起こし、動植物の生態系に変化を及ぼし、各種災害を誘発している。もう後戻りができない程進んでいるようだが、対処方法と共助の心構えをより強くしましょう。

 2月は節分です。暖かな春を迎える準備もしましょう。立春です。人としての志もあらためて「立志」をみんなでしてみましょう。

「一」の心に学ぶ
-初の心、仏の心、まじり気なしの心、全体を見渡す心-

月刊『致知」2026.2月号【巻頭の言葉】より引用
愛知専門尼僧堂堂頭  青山俊董

~「一」という字の 四つの意味 ~

 一というはじめの数にふみ出だす日なり今日なり正しくあらん
            九条武子

 宮中では大晦日に追儀式が行われ、翌日、立春、新年を迎える。 民間では節分と立春、つまり旧暦の正月ということになる。明治維新以後、新暦となったが、九条武子の歌その頃にできたものであろう。

 まずは「一」という字について考えてみよう。第一には「初め」 「初の心」といえよう。 第二には九条武子が「正しくあらん」と詠んでいる「正」の字は、「一」 と 「止」の文字構成。『易経』では「一は天を指す」といい、『老子』は「一は道であり、真であり、善である」と語っている。つまり、天の心、神仏の心、と言いかえることができよう。第三は「純一無雑」 とか 「一筋」と熟語して、まじり気のない姿をあらわす。第四には「一国」「一家」と言って全体を意味する。

~ まっさらな気持ちで「今」に取り組む ~

 第一の「初の心」について参究してみよう。
井義雄先生の詩に、

目がさめてみたら
生きていた
死なずに
生きていた
生きるための
一切の努力をなげすてて
眠りこけていたわたしであったのに
目がさめてみたら
生きていた
劫初以来
一度もなかった
まっさらな朝のどまんなかに
生きていたいや
生かされていた

というのがある。
 正月元旦ばかりではない。時はつねに「まっさら」だ。昔あった時などというものはない。そのまっさらな時に立ち向かうのに、われわれは何とくたぶれた姿で立ち向かっていることか。どうにもならない過去を背負いこんだり、来るか来ないかわからない未来を抱きこんだりして、 二度と来な「今」をとりにがしている。前後裁断しまっさらな気持ちで「今」に取り組んでいきたい。
 
 古人の言葉に「初心忘るべからず」というのがある。「よし、やるぞ!」と立ちあがる。人生の旅路には山も川もある。 柔軟に対応しながら、初心を忘れず歩み続ける。武井哲應老師が「発心百千万発」といい、また「相続は力なり」と言われるゆえんである。

~ 大事なことを択びに択び生涯をかける ~

 第二の「正」について。 「一」は天の心、「道」の心であり、「止」はそこに腰をすえて生きるということ。神仏のよしと言われる生き方といえよう。私の師である澤木興道老師との出会いの一句が「生活の全分を仏様にひっぱられてゆく」 であった。 皮のつっぱりの中だけが自分と思い、小さな自我の思いの満足だけを追わずに、 天地総力をあげてのお働きを一身に頂いて生きている生命にふさわしい今ここの生き方をすることが、神仏がよしと言われる生き方といえよう。

 第三の「純一無雑」について。 ある日、一人の雲水から「自分のような世間知らずは云々」という質問を受け、私は答えた。
「人生は短い。どうでもよいことをやっている暇はない。大事なことだけを択びに択んで、それに生涯をかけよ」と。私も幸いに九十三年、この道一筋に歩むことができても、なお入り口に立つ思い。他所見している暇はない。

 第四の「一国」「一家」の「一」は全体を表す。釈尊は地球上のすべての存在、人間ばかりではない、草木も動物も、皆、一つ生命に生かされている兄妹と説かれた。人類は自分たちの欲望の満足のみを追いかけ、地球環境を破壊しつづけてきた。人種や国境や、動植物の違い等のすべてを超え、宇宙船地球号という一つ船に乗りあわ兄妹としての在り方を、真剣に考える時と思わざるを得ない。