これからどうなる日本(2008/11/1)

26年前のバブル期前まで株価も下落、どうなる私達の生活?

 夏には原油価格の高騰で、先行きどうなるのかと心配しながらも、何とか落ち着きが戻ってきっと思いきや、アメリカの金融不安が一挙に世界を駆け巡り、「世界恐慌」かとも言われるほど「株安」となり、幸い不良債権の処理を先行していた日本の円が評価され「円高」となり、日本経済はバブル期前の、26年も前の株価の状況となり、特に輸出にウエイトのある日本経済が大変な状況となっている。

 国家財政も地方財政も、過去の負担で大変なところで、資金的余裕もなく、手の打ちようもなくなってくる。 結局私達一人一人が責任と負担を負わなければならないのであって、逃げ出せないのである。

まずは景気だ!

 ここ一番、しっかりとした国益を守り、国民生活を守る政策が、何より求められるものである。衆議院の解散も先送りし、経済対策を麻生政権は打ち立てるが、当然である。これまでも幾多の国難を切り開いてきたのだ。挙国一致頑張らねばならない。手前勝手なことばかりでは済まされない。避けて通れないとは言え、選挙や政局ばかり気にしている時ではないと思う。

10月は忙しくストレスが溜まった。今月は紅葉でも楽しめる余裕を持ちたい。

 私的なことだが10月は議会に、県の監査委員としての業務に、地方祭に、日本ソフトボールリーグの公式戦の受け入れにと、休む暇もなく生活した。忙しいのは良いが気を休める暇もないほどであったため、疲れが次の日に残るようになってきた。

 依る年並みには勝てない、還暦を迎えたのだ。無理せず頭に新鮮な酸素を送ってリフレッシュしながらの生活リズムを考えるようにしたいな、と思うようになってきた。
 感謝と健康をあらためて考えたい。

乱れた日本の国語と日本人の卑しい発言

― アサヒビール名誉顧問 中條高徳(月刊『知致』11月号巻頭の言葉より抜粋引用)-

「恥の文化の崩壊」

 我が国はその昔より「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ国」(})と言われてきた。言葉の表現に細やかな優しい気配りをして磨いてきた国であった。
 大陸から学んだ漢字に平仮名や片仮名を創り出して表現を豊かにしてきた。千年前の『源氏物語』を読んでも、先人たちの言葉(ことのは)の見事な表現にうなる。

 63年前、戦敗れマッカーサーが厚木に上陸するや、「修身・歴史・地理」は教えてはならないと宣言。表看板は「ザ・ウォーギルト・インフォメーション計画(プログラム)」と掲げたものの、6年8ヵ月の占領期間は、この国を民主化するとの名の下に、我が国の歴史の否定に終始した。国家を潰すに武力はいらない、その国の歴史を消せばいい、との説さえある近現代にあって、まさに実験台の趣があり、見事といってよいほどの徹底さであった。あの共産党嫌いのアメリカは、占領を始めるや政治的拘束をしていた徳田球一や野坂参三ら、日本共産党の領袖たちを野に放ち、各企業に労働組合をつくることを慫慂した。

 自ら勝ち取ったものではなく、にわかに与えられた権利を握った組合指導者たちは、労使交渉の場で「社長!てめぇ!」と乱暴な言葉を使うことが、対等の権利と考えるほどの幼稚なものだった。 教師こそ聖職なりとの価値観が支配的であった教育現場は全て否定され、赤旗を振り回す日教組の独壇場と化した。

 戦前は、生徒は限りなく先生を尊敬し、先生の言葉には素直に従った。戦後は師弟の上下の関係は悪であり、友達言葉で接するのが教師のあるべき姿と論じ、そして実行した。皇居前には赤旗がへんぽんと翻り、「天皇たらふく“めし”を喰い、われら人民腹ぺこぺこ」などの幟が林立していたのが戦後の日本の実相であった。

 近現代に入っての日清、日露戦争は我が国の勝利であり、しかも他国の領土内での戦争であった。人類最初の原爆の洗礼、東京大空襲を始めとする諸都市の猛爆、沖縄戦など、我が国有史以来の数々の惨憺たる体験をした国民は虚脱状態だっただけに、巧妙を極めた占領政策は見事なほどに滲み込んでいった。そして他国に類を見ないほどの縦軸・横軸(『致知』2007年1月号参照)で織り成し、築いてきた「恥の文化」は音をたてて崩れていった。

 民族の誇りでもあった「絆」は切断され、極端をいえば戦前の全てが悪とさえ捉える輩が急増した。

「言語の乱れは心の乱れにつながる」

 筆者の身内でも、言葉の乱れによる不幸が発生した。凛とした若い陸軍将校が、結婚間もなく敗戦となり復員し、両親との共同生活となった。若い夫婦の会話で、「ええ、そうです。」と新妻が返事する。それを聞いた姑さんは、「日本には主人に仕える『ハイ』という立派な言葉があります。『ええ』など友達言葉です。」と。
 今時の若者には理解出来ないだろうが、この件が原因で夫婦は離婚した。実際にあった話である。それから60年たった現在、特に若者たちの日本語の乱れは甚だしい。

 文化庁が実施した平成19年度「国語に関する世論調査」の結果が発表になった。
「国語は乱れていると思うか」の質問に、8割近くの人が乱れていると答えている。
 動物の叫びかと感ずるような若者言葉や、敬語、謙譲語の乱れなど、国語力全体が著しく低下していると感ずる国民が極めて多いことがこの調査で窺える。
 国語の習得は古来、“学ぶ”こと、“習う”ことが基本とされている。しかしこの調査では、子供たちの学習のモデルは86%テレビという結果になっている。とりわけ大さわぎ娯楽番組の罪が大きい。それに国会議員や知事らが出演しているのはいかがなものか。

 この調査結果に次のような例がある。
  「檄を飛ばす」の意味

  1. 自分の主張や考えを、広く人々に知らせて同意を求めること=19.3%
  2. 元気のない者に刺激を与えて活気づけること=72.9%

 1の正しい答えを選ぶ人が2割に満たず、間違った2の解釈を選ぶ人が7割を超えている。このような国語の乱れは数え切れないほど発生している。
国語力衰微の原因は戦後の国語政策にあることは間違いない。経営者も政治家も教育者も全力を挙げてこの課題に取り組まねばならない。
 
言語は心の表象ともいわれる。逆もまた真なり。言語の乱れは心の乱れにつながる。
世のリーダーでもある経営者たちの最近の言動に卑しい発言が多くなったのも、筆者にとって大きな気掛かりである。

 東横インの違法改造問題で、身体障害者の気持ちを踏みにじってまで利潤を拡大しようとする経営者の品位のない発言は聞くに堪え難かった。最高学府に学んだホリエモンこと堀江貴文氏の「投資家にとって邪道かどうか関係ない。ずるいと言われようが合法だったら許される」「誤解を恐れずに言えば、人の心はお金で買える。女は金についてくる。」との発言などはあまりに卑しい。この類の発言が昨今のリーダーたちに多く散見されるのは、由々しい問題である。「人間学」を疎かにし、知識の集積のみに走った、つまり「時務学」のみに走った憐れな結末に他ならない。