日本を取り戻そう(2013/7/1)

暑中お見舞い申し上げます。

参議院選挙を通じ日本を建て直し取り戻すため熱く燃えよう!

 例年より入梅が早く、梅雨に入ってから雨が降らず暑い日が続き、田植えも心配される状況にもあったが、幸い6月末になってとりあえず給水制限は免れる雨があった。もう梅雨明けが時間の問題で、7月1日からの石鎚山のお山開き中に、どかっと雨が降ったら一挙に真夏となる。円も株も上がったり下がったり、まだアベノミクス効果の実需はこれからだろう、世界経済の中で動くのだから、せっかちに判断はできないものだ。

 さて、第183通常国会が6月26日に閉会した。会期最後の日になって、野党は安倍首相の問責決議案を提出、電気事業法や生活保護法の改正など、重要法案の成立を合意していた民主党が土壇場になって、他の野党に引きずられて参議院で首相の問責決議を同調したものだから、とうとう国民生活にかかる重要な法案を廃案にしてしまった。

 参議院で政権野党が多数を占めているいわゆる“ねじれ”のため、1+2の計算ばかりを政治の手段に考えて、国民のために成すべき政治や政策の理念も無い輩に、またこの国をグタグタにされて空白をつくられてしまった。
近隣諸国からも相手にされない状況だ、中国、韓国と首脳が代わっての、首脳外交も地に着いて行えていない。
ともかくこの7月の参議院議員選挙で、政権与党に安定勢力となる力を与え、この国をしっかり建て直し、諸外国から信頼される日本を取り戻し、打ち立てよう。

 誰の責任でもない、国民1人1人の責任だ。その参議院選挙で必ず実現できる道を作るため熱く燃えて戦おう。
自民党も数を作って横着と奢りのないよう、しっかりと国民の命と平和を守る原則をわきまえ、暴走してはならない。

 その他の政党も、どうせ通らない事を解っているのに、悪あがきのポーズばかりとることの無いよう、「チーム日本」のマネジャー役を務めてもいいんだという自覚を持って、望んで欲しいものだ。
ともかく早く国民生活が安定し、心も安定する社会を築こう。

日本国の四月二十八日

月刊誌「致知」の《巻頭の言葉》より抜粋引用=中條 高徳(アサヒビール名誉顧問)

『戦勝国の復習だった東京裁判』

 いまから61年前の昭和27年4月28日。6年余りの占領から解放され独立を果たした日である。
我が民族がかつて経験した事がなかった異民族の支配から離脱し、主権を回復した晴れ晴れとした瞬間であった。
 その間、戦争の歴史が常に語るように「勝者が必ず正義に廻り、敗者が悪者とされる。」
占領が続いていた。
占領軍は国際法を無視し「極東軍事法廷」(東京裁判)を開き、A級戦犯とされる28名を昭和天皇の御誕生日に捕え、旧陸軍士官学校出身の戦犯多くが学び、その入学、卒業の度に天皇が行幸された講堂を法廷に使い、絞首刑の執行は今上陛下の御誕生日にするという残酷さであった。

 しかし、日本政府の行政を許し、国会議員選出の選挙までさせた間接統治方式という巧妙な占領方式を採ったので、長い辛い戦争体験を重ねてきた我が国民は、我が民族が営々として築いてきた美徳を根底から消し去ろうという占領軍の本質を見抜くどころか「干天の慈雨」とさえ思い込む人たちが増えていった。
 主権を回復してから占領の実体が次々と発表された。
 東京裁判に関しても、勝組インド代表のパール博士は全裁判官中、最も国際法に長じた学者であった。
 「東京裁判は、裁判の名を借りた『復讐』であり、占領政策のプロパガンダにすぎない。真の平和と人道を確立する絶好の機会でありながら、それをなさず、法的根拠もないのに日本を『侵略者』と決め付け、多数の個人を処刑することは20世紀文明の恥辱である」と主張され「時が熱狂と偏見を和らげたあかつきには、その時こそ、正義の女神はその秤の平衡を保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」と堂々と述べておられる。
 裁く側の法律の権威の発言だけに、言葉の持つ力の重さは計り知れない。

『ようやく動き出したニッポン』

 占領軍が引き揚げて、我が国が主権を確立して間もなく、瀬島龍三氏を長とする陸士の仲間たちは京都護国神社に、パール博士の像とこの文言をしたためた石碑を奉納し、やがて時を経て靖国神社の遊就館の前庭にも奉納し、いまも参詣する人たちに語りかけてくれている。いまだに自虐史観に立たされている人たちに一日も早く目を覚ましてほしかったからである。

 筆者はあの世紀の一戦と云われる日露戦争から二十二年目にこの世を享けた。
 世界恐慌のあおりで極端に不景気であったが、そして貧乏であったが、明るく凛として生きていた。当時の日本国民の昂揚感が読みとれた。
そして戦後も筆者はひたむきに昭和の時代を生き抜いてきた。勝つと敗けるとでは、これほど違うものなのかと慨嘆せざるをえない。

 主権を回復してから既に六十一年経つのに、自主憲法すら生み出し得ないニッポン。
横田めぐみさんら拉致被害者の問題も、北朝鮮の故・金正日総書記本人が白状しているのに遅々として進展しないニッポン。靖国神社という全くの内政事項であるのに首相が参拝できないニッポン。
 つまり、国民にも選ばれた政治家も「国家主権」の重さを充分認識していないと断じざるを得ない。
 今日初めて天皇・皇后両陛下ご臨席のもと、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開かれた。遅きに失した感があるが、嬉しいことである。一国の命運を担う安倍総理は、この式典をすませるや、ロシアに旅立った。ニッポンが動き始めた。