「高市早苗」女性首相誕生(2025.11.1)

「自民・公明」の連立が解消され、「自民・維新」の連立で新しい政権与党体制を組み、「高市新政権」スタート!我が国の憲政史上初の「女性総理」の誕生に、色々な期待感も高い。内外共に厳しい政治課題が多い中だが、世界からも信頼される「日本国」、平和で安心できる国づくりに、新しい感性を取り入れながら、勇気ある決断と実行力を発揮して頑張ってほしい。
昨年の衆議院選挙・今年夏の参議院議員の選挙で自民党所属の議員の議席を大幅に減らし、衆議院でも参議院でも過半数を割り込んだ。政権運営が厳しく混乱が続くため、9月に「石破茂自民党総裁」が辞意を表明、昨年の就任から1年で2年の任期途中での辞任となり、自民党では総裁選挙を10月に5人の候補によって実施した。「高市早苗」候補と、「小泉進次郎」候補の決選投票となったが、「高市早苗」さんが、勝利し自民党史上初の「女性総裁」の誕生となった。更にこれを受け石破総理は辞任し、10月に実施された衆参両議院の首班指名の選挙でも「高市早苗」さんが、総理大臣に選出され、我が国の県政史上で初の「女性首相」が誕生した。
ここで29年間連立を組み政権与党として取り組んできた「公明党」が、高市さんの靖国神社参拝や軍事力強化などの発言の経緯と姿勢を評価できないとし、連立政権を離脱、それに代わって「日本維新の会」が、政策連携による閣外協力を表明、その他保守色の議員や会派の協力を得て、かろうじて衆議院・参議院とも過半数超えの首班指名投票を得て、「高石内閣政権」のスタートとなった。
就任後の組閣や、政策発表を見て積極的な取り組みが評価され、内閣支持率は70%を超え、若い人からの支持が高いようで、イギリスの「サッチャー」元女性首相を尊敬し見習う姿勢も好感を持たれ、新しい自民党の取り組みとして期待が高いスタートとなっている。就任後所信表明演説を行ったが、質問の論争がまだ行われず、ASEAN会議やトランプ大統領の訪日を受けての日程など、外交デビューが先となり、これらもしっかり彼女のカラーも出しながら高評価で推移しているようだ。
大阪万博も当初は心配されたが、最終的には予想以上の来場者もあり、無事納め閉幕され、未来に繋ぐ成果を収められた。これから経済対策と税対策、外交課題など、国会で真正面から取り組む姿勢をしっかり示され、国民からの政治に対する信頼禍福にしっかり取り組んで欲しと思って、私も期待し評価し、ともに市民目線で納得できる政治の姿の実現に取り組みたい。
さて地元の西条市で、高橋市長の取り組みや活動行動姿勢について、議会への協議や説明もなく国への補助金申請を行ったことに対し、議会は市長の行動への猛省を促す決議がなされ、市役所内部の職員との間でも業務遂行に対し暴言やギクシャクの状況がみられるとパワハラなどの疑惑に対し、弁護士を加えた調査が行われていると報道されています。
市民として市政の円滑で合理的な遂行が行われていないのであれば、非常に残念です。最も身近な行政とのかかわりである市民に、信頼を失い不安に陥れることがあってはなりません。私も西条市選出の県議会議員として、市政とも密接に取り組まなければなりませんが、事前に相談も報告も受けていないので、内容は事後に、報道などで知り尋ねる状況で、直接の対応は市議会議員の皆さんに頼るところです。
さて、先の10月には地元の氏神様の「伊曾乃神社の秋季例大祭」の大祭委員長を務めさせていただき、無事斎行納めさせていただき、地域の平安・発展の祈願をさせていただきました。神縁にも感謝の限りです。
11月に入り一挙に気温が下がり、秋を疾走して冬を迎えるのではないかと思うような季節感となっていますが、皆様ご自愛の上、日本の秋を楽しみましょう。
算多きは勝ち、算少なきは勝たず。
而るをいわんや 算なきにおいてをや。― 「孫子」始計篇 ―
月刊『致知」2025.11月号【巻頭の言葉】より引用
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫

~ 勝負は何によって決まるか ~
約二千五百年前の古代中国は春秋時代末期、斉の人で呉に仕えた軍事思想家・孫武による兵法書として名高い『孫子』は、現代でも国家や企業の経営に、さらにはスポーツチームの戦略・戦術立案にまで応用されています。
経営学を標榜する『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌は一九二二年の創刊以来、『孫子』を幾度も教材として取り上げています。どの国であれ、政治家や企業経営者など組織の長として一流を目指すのであれば、『孫子』は必読必修の書とされてきました。
さて、表題の趣旨は以下の通りです。「勝敗の見通しは、開戦に先立って平常から検討されていなければならない。勝つか負けるかは事前の分析、評価にかかっているのだ。勝利の見通し、確率が高ければ勝ち、あやふやであったり低ければ勝ちは覚束ない。ましてや事前に彼我の分析を行っていないのであれば、何をかいわんや、勝てるはずもない」
『孫子』は敵と戦う前の情報収集とその分析を殊の外重視しています。古来、兵法書ローマ字は数多世に出ていますが、この点で『孫子』は他に類を見ません。
『孫子』は全十三章で構成されていますが、最終章を「間」とし、これを強調して締め括っています。 「用間」とは何か。「間」(問者・間諜) を「用」いることです。 敵の機密情報を集めること、つまりスパイです。
一九一八年、第一次世界大戦に敗れたドイツ皇帝ヴィルヘルム二世が、「自分が二十年前に『孫子』を読んでおれば、敗れることはなかったろうに」と後悔したエピソードは有名です。周辺国及び敵対国、世界の情勢分析に関して決定的に不足、未熟だったことを敗戦後に痛感し、愕然としたのです。
~ 「スパイ防止法」がいまだにない日本 ~
江戸幕府は鎌倉幕府や室町幕府と比較し、圧倒的な長期安定政権で、二百六十五年続きました。隣の中国五千年の歴史を見ても、 ところで現在の日本。世界中から奇異に二百五十年以上続いた王朝は、唐=二百八十九年、宋=三百十九年、明=二百七十六年、清=二百六十八年くらいのものです。
徳川家康は服部半蔵を重用し、忍者や間者を常設して全国大名を監視し、また鎖国政策を採りながらも諸外国の情報を長崎出島などから継続的に取得していました。
例えば、一八五三年のペリー来航についても、江戸幕府はオランダから毎年提出される『オランダ風説書』を通じて、既に一年前から来航の目的や黒船の装備などを確認済みでした。感じられていることがあります。 「スパイいま一つ、間宮海峡を発見した探検家・間宮林蔵が、最も優秀な幕府の間諜・スパイだったことはあまり知られていません。彼はシーボルト事件と石見浜田藩の密貿易事件の告発者です。 シーボルト事件の告発では、伊能忠敬らにより作成された「大日本沿海輿地全図」の海外持ち出しが阻止され、シーボルトは追放になっています。徳川家康は『孫子』の研究者で、その遺功もよく継承されていたということです。
ところで現在の日本。世界中から奇異に感じられていることがあります。 「スパイ止法」がいまだにないことです。G7の中で「スパイ防止法」がないのは唯一日本だけといわれていますが、スパイ行為を厳罰に処することで、機密情報の漏洩を防ぎ、国家の安全を維持し、広く国益を守ることは、当然の世界常識です。 ヴィルヘルム二世、徳川家康、間宮林蔵がいまの日本の実情を知れば、何と言うでしょう。
スパイ防止法に反対する意見は日本国内根強くあり、その理由は国民の言論・表現の自由、取材・報道の自由への侵害の恐れがあるなどのようです。しかし、日本以外の国ではこのような理由は成立していません。国際情勢は我々の意に反し、ますます複雑化しています。 主権国家として機密を守るための法制度は、国際的な信頼を得るための基本的要素でもあります。
「算多きは勝ち、算少なきは勝たず。而るいわんや算なきにおいてや」
二千五百年にわたり組織の戦略・戦術に示唆を与え続けてきた稀有なる兵法書 『孫』の金言をいま一度心に刻み、禍根を残さないためにも、真に国の将来に資する判断を下さなければなりません。

