厳しさも峠を越えるか?(2014/2/1)

頑張って、力を合わせ、温かい風を呼び込もうではないか!

「福は内!鬼は外!」
 早いものでもう2月だ。
2月は伊予路では“お椿さん”があり、これを過ぎれば一挙に春の日差しが強くなり、暖かな風に揺られて、木の芽が膨らみほころび始める。今年は2月6日から8日までが、お祭りのようだ。

 このように景気も世間の空気も暖かくなって欲しいものだが、我が国の経済状況がデフレに向かってからもう20年にもなり、一挙に回復という訳にはいかないところまで進んでおり、安倍政権で脱出を試みるも、アクセルとブレーキを同時に踏むようなことで、なかなかうまい調節が図れないで、喘いでいるのが実情だろう。

 円安で貿易収支で利益を生んだのは、概ね輸出関連大企業だろう、一方原油高など輸入による原材料費・原油は値上がりし、コスト高に喘ぐ事になったのは一般国民であり、国内の労働市場もほとんどを占める中小零細企業だ。
 公共事業でも景気不要のアクセルを踏むが、これとて負担を先送りする事になり、真のアクセルではない。
大企業の利益をいかに国民に配分するかが、国内の景気を引き上げる大きな鍵だ。

 早くあまねく日本の隅々まで、元気回復のエネルギーを与える手を打つべきだろう。
これまで企業立地も順調に進み安定発展が期待されていた、西条市だが立地している大手企業の撤退ニュースは、非常に辛く厳しいニュースだ。
その他企業も連携して地域経済の落ち込み防止に、手を携えて頑張る必要がある。
何より気は風を起こす。くじけてはならない。頑張ろう。明るい風も呼び込もう。
気概と誇りを持って私も頑張る。西条(愛媛)には素晴らしい資源がある。

点々あい連ねて線をなす

月刊『致知」2014.2月号より引用=論語普及会学監  伊與田 覺

『物事を完成する生き方』

私が若い時分に懇意にしていただき、感化を受けた恩人の一人に、蓮沼門三という方がいらっしゃいました。
蓮沼先生は、日本の社会教育団体の草分けともいえる「修養団」の創設者としてつとに知られた方ですが、食事を共にする機会がある時などにしばしば、「物事を完成するには、こういうことが大切なんだよ」と説き聞かせてくださった訓戒が、いまでも大変印象に残っています。
「 点々あい連ねて線をなす。
 線々あい並べて面をなす。
 面々あい重ねて体をなす 」
点と点を連ねて一本の線をつくる。
その線を並べていくと面になる。
その面を重ねていくと一つの体になる。
自らの目標に到達しようと思えば、このような生き方を貫いていくことが重要なのです。
『中庸』という古典には、この訓戒に通ずる教えが次のような言葉で表現されています。
「 至誠は息む無し。
 息まざれば則ち久し。
  久しければ則ち徴あり 」
至誠(誠実)というものは、本気である。
茶気(遊び心)ではない。
内から湧き出て止まる時がない。
休まずずっと続けていると、それまで見えなかったものが見えるようになる。
「徴」とは印、兆しのことです。誠実に、久しく物を続けることは、物事を完成する上で不可欠な姿勢なのです。

『一万回の祈りを捧げる』

経営の神様と謳(うた)われた 松下幸之助翁は、 何か大事を成そうと思うなら、
「1万回の祈りを捧げることや」
 とおっしゃっていました。
 1つの思いつき、閃きは個人的なものです。
そしてそれが偉大になればなるほど、 人に話しても 分かりにくいものになります。
 そこでやめてしまう人が大半ですが、本当の本気、至誠から生じた思いであれば、これを止めるわけにはいきません。
 1万回の祈りを捧げるということは、1万回考えるということでもあります。1日に1回、3回、10回と考える。
 それを積み重ねていくことによって、 それまで見えなかったものが見えてくる。 そこまで誠を貫いていれば、それを理解し、助ける人もまた出てくる。
 1人増え、2人増え、だんだんと広がっていき、厚みを加えていき、そして1つのものが完成するのです。
『中庸』(ちゅうよう)には、 誠について次のようにも記されています。
「 誠は天の道なり。之を誠にするは 人の道なり 」
 私たちは、すべてを生み出す大本ともいうべき天の働きによって、またその命に従って生かされています。
 その天に適う道を ひと言で表現すれば「誠」なのです。
 天の道に沿って自らを誠にしていく。これこそが人の道といえましょう。
「 之を誠にする者は、善を択(えら)びて固く之を執(と)る者なり 」
 誠になろうと努力する人は、善を選んで、それを固く守り、行っていく者である。
 特別に考えを巡らさなくても適切な道を歩んでいけるのが聖人ですが、それに次ぐ賢人と呼ばれる人は、 聖人のようになろうと真剣に努力している人のことを指します。
 点々あい連ねて線をなす。人の寿命はいつ尽きるとも分かりませんが、息を引き取る時に、人間として最も円熟した状態に至ることを念じて、日々誠実に、己の務めに邁進し続けてまいる所存です。