5月の風! (2016/5/1)

熊本地震が早く収まることを祈るばかりです。
みんなで復興に協力しましょう。

 熊本を中心に発生した地震は、内陸部の活断層を震源としては過去最大の、マグニチュード6.5を記録する地震だった。
不幸にも亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された皆様には心からお見舞いを申し上げます。早期の平安と復旧を祈るばかりです。

 熊本城の天守閣の瓦も見るも無残に崩れ落ち、石垣の崩壊も起きている。最初に起きた地震から2日後に本震が生きたと言われるのだが、連続して1日の何百回も揺れが続き、家の中ではいられないので、学校の校庭や広場など屋外で、車の中で寝泊まりしなければならないようで、住民のストレスも大変なようだ。
 2週間たっても地震が収まらず、復興回復のスピードも上げられない状況だ。
高速道路も、鉄道・九州新幹線も止まってしまっていたが、さすが日本の技術者の力は見上げたものだ、不眠不休の1週間余で手当てし、一応全線通行が可能となった。

 まだこれからも日本列島何があるかわからない。一応自助のため備えの点検を絶えずしておこう。またご近所身の回りの方と共助の連携が取れるよう、やっぱり仲良くしておこう。個人情報もあろうが必要な情報はお互いに話し合える関係を保っておくことが大事だ。
毎年のことだが、5月の風に舞う「鯉のぼり」を見て、腹の中を空っぽにして悠然としている姿、しかも存在感を示せる姿にあやかりたいし、学びたいと思う次第だ。

1人1人の責任で、国際的に信頼される国をつくるため、参議院選挙で誤りなき選択をしよう!

 ところで、これから7月の参議院議員選挙に向けて、現在国会の会期中であるが、本格的に各党選挙態勢を固めに入ってくると思われる。
自民党でもまだ選挙に向けての公約は出されていないが(5月中には出されるだろう)
しっかり国民に理解が得られる政策を、示してほしいものだ。

 今回は、自公政権に対抗し、無所属で野党連合を取り組む動きが多くみられる。
愛媛でも共産党とも組んで候補者を立てるような体制が固まったようだ。
国民の70%以上のいわゆる無党派層を狙ってことで、ここがその場しのぎの政策で政権に対する「反対」批判勢力として、時の風をくむ受け皿となって追い上げることが予測され、われわれ責任与党には極めて危機感を持って臨まなければならない。
是非皆様には冷静に責任ある社会人としての投票行動を望みます。

 国民誰もが「苦い経験から平和を守る尊さは絶対に堅持しなければならない」が基本姿勢であるのに、「自公政権は戦争へ導く安全保障法案を作った」と、「戦争法案反対」!「子供を戦場に送るな」!などと声高に叫んでいますが、現下の中国・北朝鮮などの周辺諸国の動向を見ても、何が起こされるかわからないような状況にあり、平和を守るためにわが国のあるべき立場、国際的に理解が得られる信頼される国としてのあるべき姿を、しっかり示すことは何より大切で、曖昧なことでは済まされないことは国民一人一人が責任をもってわきまえ国を(国民の命や財産を)守らなければならないのは自明の理です。

 けっしてセンチメンタルな話に誤魔化され平和を脅かしてはなりません。こんなわかりきったことに無駄な時間を費やし、経済的にも日本が国際から軽視されるような国になってはなりません。

年寄りや若者に、明日の希望の持てない国にしてはなりません!

攀念痴を持たない

月刊『致知」2016.5月号【巻頭の言葉】より引用  鍵山秀三郎(日本を美しくする会 相談役)

『心のエネルギーは建設的に用いなければならない』

 私は高校時代に恩師から、「攀念痴(はんねんち)を持ってはならない」と繰り返しを教えられてまいりました。「攀念(はんねん)」とは人を恨むという想念の意味。「痴」とはそういうことをすることは愚かなことという意味。
 当時の日本は戦争に負けて大変な辛辣をなめておりました。そういう中でも、決して心に恨みや憎しみを抱いてはならない。そのエネルギーを建設的なことに使いなさいと説き聞かさせれたのです。
 田舎の高校で成績も中くらいだった私が、東京へ出て曲がりなりにも経営者として務まったのは、恩師の教えを守り、すべてのエネルギーを自らの人格向上に投じてきたからに他なりません。

 昨今、韓国の人々の反日的な言動に、苦々しい思いを抱いている日本は多いことでしょう。かの国には「恨(ハン)」という独特の思考文化があるようですが、彼らの常識を逸した言動を見ていると、恨みや憎しみといった強烈な負の情念が、遺伝子に深く刻み込まれているような印象を受けざるをえません。
 人を恨むと、膨大なエネルギーを浪費し、理想的な判断ができなくなります。
自分が慰安婦だったと、公の場で泣きわめきながらアピールするなど、正常な神経の持ち主であれば恥ずかしくて絶対にできないことです。
日本にもかつて、経済的困窮に追いつめられた家族を救うために、やむを得ず、深い苦界に身を投じた女性が少なからず存在しました。しかし、不幸の極みとも言える境遇に落ちた人たちは、いずれも口を固く閉ざして、自らの境遇を声高に訴えることはありませんでした。
恨みや憎しみのエネルギーを、もっと建設的なことに使ってほしい。そう願わざるをえません。

『良樹細根 根が張れば自ずと木は育つ』

 私が高校出て会社に就職したときは、何の知識も技術もなかったがために、ずいぶん虐(いじ)められ、家畜のようにこき使われましたが、先述した恩師の教えを思い出して、懸命に耐えました。努力が認められ徐々に待遇は、よくなったものの、当時のカー用品業界は平気で人を騙すような悪習が蔓延しており、これを改めるべく、独立をし、自転車1台で行商を始めると、今度は行く先々で冷たい目に遭いました。

 それでも、私は志を失ったり、他人に恨みや憎しみを抱いたりすることなく、ひたすら会社をよくし、業界を改革することにエネルギーを投じ続けたのです。        
 雪の日に、当社だけがタイヤチェーンを値上げしなかった時には、業界から卑劣な圧力を受けましたが、私は一歩も引きませんでした。また、不渡りのリスクがある手形払いを、現金払いに切り替えた時や、売り手に都合のよい”一品大量販売”から、お客様のために、あえて手間の掛かる”多品種少量販売”を選択したときは、「そんなことは無理です」と強い反対に遭いましたが、今では、それが業界の常識になっています。さらには、お得意先という立場をよいことに、非常識で不条理な要求をつきつけてくる相手とは、どんなに商いの額が大きくとも即刻取引を停止してきました。

 もっと上手く立ち回っていれば、余計な苦労を抱え込むこともなかったでしょう。当初は、業績もなかなか伸びませんでした。けれども、「良樹細根(りょうじゅさいこん)」の言葉どおり、そこでも迷わず信念を貫くうちに、しっかりと根が育っていったのです。(「良樹細根」良い樹は必ず細かい根が地中に深く広く張っている。)当社の姿勢を評価してくださり、贔屓(ひいき)にして下さるお客様が徐々に増えていき、ことさらに売り上げを伸ばそうと思わなくても、どんどん業績が拡大していったのです。

 世の中には、自分の主義主張を通すために、徒党を組み、大声を上げ、過激な行動に走る人がいます。しかし、そういう中に、思いやりに満ちた温かい心や、人から尊敬されるような人格の持ち主はいませんし、世の中を、よりよく変えていくこともできないでしょう。
 かつての日本には、自分に降りかかる理不尽や不条理を黙って受け入れ、静かに耐え忍びつつ、また、立派に立ち上がる人がたくさんいました。私の両親も、戦争で全てを失いましたが、決して愚痴を言うことなく、また一からやり直しました。
 どのような環境に生まれ育つかは、その人の人生を決定的に左右しますが、私はこの日本で、両親のもとに生まれてきたことを、心から幸せに思います。そして、これからも攀念痴を持たず、自らのエネルギーを自分の人格を高め、社会をよりよくするために惜しみなく費やしてまいりたいと願っております。

決して心に恨みや、憎しみを抱いてはいけない。そのエネルギーを建設的なことに使ってほしい。そう願わざるを得ません。