異常気象から命を守れ!(2018/8/1)

命の危険を感じる気象や気温の現象にどう対処するか?

 先の7月には、西日本各地で豪雨による土砂崩れや水害により、220名に余る死者や、行方不明者を出し、愛媛県内でも26名の死者と2名の行方不明者を出している。亡くなった皆さんのご冥福や、被災者に心からお見舞いを申し上げます。

 その後連日35度を超える猛暑日が続き、最高41.1度と記録更新の暑さも生じ、気象庁は身の危険を感じる猛暑であり、熱中症対策などを訴えていた。
 私の身近でも、生活保護を受けていてクーラーもなく我慢していた高齢者が熱中症で亡くなっていて、1人暮らしの為何時間もたってから発見されるという痛ましく悲しい連絡も入ってきた。

 人間が自分の生活の利便の為に、後世に温暖化の付けを回し、対策たるや悪者探しをするばかりで、本当の対策である解決策を真剣に取り組んでいない結果の表れではないのだろうか?
 この状況を放置すれば、20年後・30年後にはどうなるのだろう?おそらく気温は50度を超えることになり、南極や北極の氷が解け、水没する陸地が増え、水蒸気の多発で、豪雨や洪水が至る所で発生し、生活・生存圏も随分変わる事だろう、その為の対策工事費で財政も破綻するのではないだろうか?

 今の自分のことを考えるばかりでは何の解決策も講じられないのだ!人類種の保存のためにも一人一人が責任を持って取り組まなければならない。

少子高齢化社会への対策もどうするの?

 戦後のベビーブームはやがて団塊の世代として、社会保障制度の厳しい対応策が求められるといわれてきた問題も同じだ。計数上もすべて予測がついていながら、経済の発展などを都合の良いほうに取り組んで、厳しい財政の健全化の切込みをバブルの夢で先送り、先延ばしして、一挙に経済発展まで足踏みさせるデフレを生んでしまった。

 将来不安からか少子化や独身化が進み、自分が支えられないばかりか、他の人を支える力も、気運も無くなってきている。
自分のことは構わないでくれ!では、人間社会として済まされない問題である。

早く一人一人が将来社会に責任の持てるシステムを実行しよう!

 ならばどうするのか?他人のせいにして責任のなすり合いや、自己弁護の主張に陥ることなく、人間としての原点としての倫理観や責任感を見つめ直して、互譲と博愛・友愛に精神で、勇気ある行動を今起こす必要があるだろう。

 子供達や孫たちがこの地球上で人間の営みが出来なくしてしまってはならない。

 またまた難しそうな話になってしまったが、今最も大事な問題と思っている。
今起こっている災害も、私たちが真剣に受け止め取り組まないから、天から神々が授ける天罰かもしれない。
 自分の命を尊く受け止め、大事に引き継ぎ、守り合おう。

果は明らかでなくとも挑戦する

月刊『致知」2018.8月号【巻頭の言葉】より引用 
鍵山 秀三郎(日本を美しくする会相談役)

『遠きを謀る者は富み、近きを謀る者は貧す』

 江戸後期の農政家で、生涯に約600村もの復興を成し遂げたといわれる二宮尊徳翁は、「遠きを謀る者は富み、近きを謀る者は貧す」という言葉を遺しました。

 現代の社会を見ると、この尊い遺訓とは正反対に、いまのこと、目の前のこと、自分のことばかりに汲々としているから行き詰まりをきたしているのです。

 因果はこの世の道理ですが、現実には行動(因)の結果(果)がすぐにはあらわれないこともしばしばあります。むしろ結果が約束されていないことこそ大事なことが多いのです。かつての日本には、そうした結果がはっきりと約束されていないことに対しても、一生懸命に取り組む人がたくさんいました。

 台湾の不毛の地に烏山頭ダムを建築し、長年水に苦しんでいた現地の人々を救った八田與一も、軍部が台頭してくる中で日米開戦に反対し続け、日米の懸け橋になろうとした新渡戸稲造も、個人的な打算を抜きにして行動した点で共通しています。

 これは名の通った人に限ったことではありません。国民一人一人がこのような考え方を基本にして生活していました。私事で恐縮ですが、私の実家は戦争によってそれまでの豊かな生活すべてを失う悲哀を味わいました。そうした厳しい状況の中でも、両親は掃除を通じて身近な場を清めることは欠かさず、将来に希望を託したのです。

 たとえ果は約束されていなくても、それがよいことであるなら信念を持って続けていく。この行いが世の中のためになるという信念をもって続けていく。この行いが世の中のためになるという志を持って果敢に挑戦していく人が増えていくことで、未来は開けていくものだと私は考えています。

 しかしながら今の社会は、果が明確でないことは避けてしまう傾向が強くなっています。会社組織においても、確実に結果を得られることでなければ容易に挑戦を許されない風潮が蔓延し、その為に将来の可能性を自ら狭めてしまっています。

 これがさらに進むと、果さえ確実に手に入れることができるのであれば、何をやっても構わないという理屈になります。最近明るみに出たシェアハウスの破綻や、少し前のサブプライムローン問題などは、その悪しき実例といえましょう。このような考えかたが蔓延しているため、巨大かつ名門といわれる企業が次々と破綻し続けています。

『悪幣盛んに世に行われば精金』

  江戸時代の思想家・三浦梅園は、こうした社会の実情を見通すかのような言葉を残しています。

「悪弊盛んに世に行わるれば精金皆隠る」

 これは、悪貨は良貨を駆逐するという意味ですが、転じて、あぶく銭が世に蔓延すれば、額に汗して得られるお金は失われてしまう。結果的に借金は山積し、事業は低迷し、人が潤い、社会が振興することはないのです。

 日本には「気が咎める」という言葉があり、かつては自分を律して、他人の嫌がること、迷惑になる行いをなるべく避けようという自制心を働かせる人が多くを占めていました。日本に比較的争いごとが少なく皆で和やかに暮らしてこられたのは、この特有の文化のおかげでした。私自身も、人様に迷惑をかけないようにということだけは親からとても厳しく言い含められて育ちました。

 遠くを慮り、たとえ果は保証されなくともよきことに一生懸命取り組むこと。他人に迷惑をかけまいとする慮りを働かせること。先人が育んてきたこうした尊い心を取り戻すことで、我が国がいまの閉塞感を打開し、明るい未来を築いていくことを私は願ってやみません。

 たとえ果は約束されていなくても、それがよいことであるなら信念を持って続けていく。この行いが世の中のためになるという信念をもって続けていく。この行いが世の中のためになるという志を持って果敢に挑戦していく人が増えていくことで、未来は開けていくものだと私は考えています。