感謝の心を!(2018/10/1)

自分よがりにこだわれば衝突し、収まらない

 自民党総裁選挙も終わり、向こう3年間のこの国のかじ取りを、安倍晋三総裁が3選をされたことで、自民党の総裁が政権与党の代表として内閣総理大臣としても務められることになる。3年間事なきを得て務められると、歴代最長の総理となるとも予測されている。

 10年ほど前までは、1年ごとに総理が変わる時代もあったが、安倍政権になって安定化し、国際会議でも発言力が高まって評価されているようになっているとも聞く、逆にヨーロッパなどでは若い人にコロコロ指導者が変わって安定していないので、ドイツのメルケル首相と安倍首相が中心に立つようになっているようだ。そんな評価と立場をもっと評価し高めることが、国益にもつながってくることなのだと思うのだが、マスコミなどで足を引っ張るような空気を作るものだから、効果半減の感じが私にはする。

 身内がまとまらないで対外的に、評価を得られる働きは出来にくいことだ。
特にアメリカのトランプ大統領の我儘で政治音痴を逆手にとって、うまく取り組めるのは安倍総理が適役と私は評価するものだ。

 国内では大手メーカーのデータ改ざん、中央省庁や役人までもが不適切データの使用や資料改ざん、色々な組織で内部対立・・・と、もう組織の「たが」さえ外れてきているのではないかと思われるような事案が、蔓延しているのだが早く組織の規律、自分よがりでなく組織(社会)人としての自覚によるコンプライアンスを高めなければ、日本社会が崩壊する危機にあるように思えてならない。

 みんなで自分の社会人としてのあるべき心の持ち方を見つめ・問い直し、みんなと意思疎通のパイプがうまく行くようにしようではないか!

 私の身の回りの県議会でも、自民党が分裂、さらには自民党の枠の中にいながらも本来仲間であるべき自民党以外の連中と手をつないで、仲間を裏切るような行動を取り、それが改革とか開放とか自由を口にしているのだが、組織人としての責務と秩序維持の基本を問い直し、早く本来の姿に収まるようにしなければならない。自分よがりはやめよう。

各地の氏神様の秋祭り「感謝」と「鎮め」をお祈りし、ご加護を!

 実りの秋、立派な実を残し、より良き次に繋がる種を残しておこう。
とりあえずはこの実りを「神々に感謝の報告をしよう」各地で氏神様の、秋の大祭が行われることと思うが、しっかり感謝の誠をささげよう。

 今年は7月の豪雨災害や、台風災害、地震災害と、自然災害にも見舞われ、多くの尊い命を無くされ、また甚大な被害が発生しましたが、この自然の怒りを鎮めて戴きご加護をいただくように、お祈りも致しましょう。

日本文化の総合性の基は古典にある

月刊『致知」2018.10月号【巻頭の言葉】より引用 
千 玄室(茶道裏千家前家元)

『世界の文明圏における日本』

  米国の政治学者であるサミュエル・ハティントン氏が『文明の衝突』という著書を出されてから久しい。経済学者的見地から文明を分析し、いまの現実をも観察している。

 中華文明は紀元前15世紀ごろ発生した。儒教を中心とした文明国であり、いまも多大な努力で世界にアピールしている。第2はヒンドウ文明。紀元前20世紀以降にインド大陸に生まれたヒンドウ教を基にしたもの。第3はイスラム文明。7世紀に現れたイスラム教の文明で、石油資源の力をバックに発展している。

 第4に日本文明が挙げられている。2世紀から5世紀にかけて中華文明から離れた、日本一国で成立する島国の独立文明である。

 第5は東方正教会文明。16世紀ビザンティン文明を母体にしたロシア正教の文明。第6は西欧文明。8世紀に発生したキリスト教を基にした文明圏。第7はラテンアメリカ文明、即カトリックの文明。第8はアフリカ文明。しかしこれは未知数文明といわれ、根拠が薄い。七文明圏とこの未知数文明とは区別され示されている。

 大変興味のあるそれぞれの文明圏の発展は、いずれにせよ世界に影響を与えており、これからどのように変化発展をしていくかが期待される。中華文明は台湾・韓国・ベトナム・シンガポールの広い範囲で躍進している。日本は奈良朝以前から隣接国として多大な影響を受け、確固たる国をつくりあげた。

『日本人として読んでおきたい『古事記』』

  最近ようやく、古典に対する関心が増したようだ。日本人として、国が出来た単なる神話と思わずに、歴史的意義を知るために『古事記』に先ず開いてほしい。何の本でもそうだが、書いた人、または企画したことへの思いを持って読めば理解が深まると聞いた。

 序文には天武天皇が「諸宗が伝えてきた帝紀が本当だという確率は考えられない。正しい認識の上に立って嘘のない真実の紀と録をつくらねば後の世に伝承すべきことが伝えられない。」というようなことを述べておられる。『古事記』のあと8年後の『日本書紀』に、そして『続日本紀』に天皇の史実がそれぞれ述べられている。

 日本の文化の総合性の基が古典にあり、寄せ集めの雑居文化ではなく調和の取れたもので、これがハンティントン氏のいわゆる日本文明と指される由縁である。例えば日本が国として成り立った上代において、貴族や官人は儒教の教養を仏教の教えとともに身につけていたし、古来の神の道の在り方も充分に自分のものとしていた。神道の祭祀を重んじていたことも古典を読めば知ることが出来る。

 また、中国の漢字を学ぶと万葉仮名により古来の大和言葉をあらわし、さらに漢字を簡単な表音文字の片仮名、平仮名にしてそれを使い日本独自の漢字仮名交じりの文体をつくりあげている。しかもそれは一般民にまで普及されていたのである。

 外来のいろいろな生活文化より選び、長所を取り込んで自分のものとしているところに日本文化の特徴がある。平安時代初期までは唐風文化が支配していたが、徐々に国風文化が成立し平安時代には確立している。

 平安時代の貴族支配が終わり、鎌倉に幕府が設けられると武家の勢力が増し、道教(後に朱子学)により武士道が必然的に生まれた。刀を持ち強いのが武士の存り方ではなく、守る・防ぐという「和」の精神が必要となる。

 茶の湯は武士の心を和らげ「敬」を教え、一盌による主客の交わりによっての教養として、歌道とともに欠くべからざるものとなった。

 和の魂、それが日本人の精神的支柱となるのである。