今年も天候異変(2019/6/1)

5月に真夏日。梅雨はどうなるのか?

 昨年は7月6日に、西日本豪雨に襲われ、県内でも南予を中心に過去に例のない甚大な被害見舞われ、死者も32名も出ました。
その他にも台風災害やら、地震災害やらいろいろな災害が発生、日本列島のあちこちで災害に見舞われ気が休まらない状況が続いています。

 何より気温の上昇は7月・8月には30度を超える日々が当たり前のような状況になり、身の危険を感じるような気温に悩まされる状況で、各種屋外行事の計画は、見直しの必要にさえ迫られています。

 また学校での授業が、クーラーにない教室では子供達も大変です。設備率が全国の中でも低位にあった本県のクーラー設置率の改善を、私は議会でもたびたび改善を提言、今年度中にはほぼ改善されるでしょう。

 今年は早くも5月に30度を超える日が連日続き、北海道佐呂間で39度を記録する猛暑が続き、田植えも始まっていますが、さらに渇水状況も心配な状況のようです。梅雨の天候も今年はどうも予報が立たないことになるのではないかと心配です。

 どうか「大難は小難に!小難は無難に!」と祈るばかりですが、すべで人間の起こしていることから派生した自然環境の変化がもたらしているものだということを自覚し、人間の日々の営みを出来ることからでも見直す必要があるでしょう。

いざなぎ景気を超えたといわれる我が国の景気もにも陰りが?
参議院選挙に向け、我が国の国難に対応する見識をみんなでもとう。

 さて、アメリカ大統領のトランプさんは、自国ファーストで強いアメリカを目指し、貿易の不均衡を見直すと、TPPも本来アメリカが提唱しながら撤退し、関税をかけてアメリカ保護を進め、中国とも対立する場面が日増しに強くなって、その影響がわが国にも大きく貿易に現れ、景気の後退、生産の縮小は免れなくなりそうで心配である。

 御代替わり「令和」になっての最初も国賓として、日本はトランプさんを招き機嫌を取ってみたが、自分の生き残りのためにはなりふり構わず交渉力を持つ、トランプだよりのみでは、期待が薄いと思われる。
強力・協調は大事だが、守るべきものはしっかり守る姿勢が何より大切だろう。

 ところで、コツコツと積み上げて和平の情勢づくりに、どれほどまでに多くの人が心血を注いできた「北方領土」問題だが、我が国の憲法に示された戦争放棄の大切な理念を解せず、しかも平和使節交流団として参加しておきながら「戦争で取り返すしかないでしょ」をした国会議員がいる国会のレベルを問い直ささねばならない。これから参議院選挙を控えてしっかりと監視しようではないか!。投票率が40%にもならないような、無関心状態では益々議会の質もレベルも低下するのは当然と言えば当然だろう。

やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける

月刊『致知」2019.6月号【巻頭の言葉】より引用 
千 玄室(茶道裏千家前家元)

『変わらない自己主張と情報社会』

 近頃の日本は元気がないように思われる。特に中国には、国内総生産(GDP)を抜かれたままであるし、軍事力においては既に大きく差をあけられ、国際社会においても圧倒的な存在感をアピールされてしまっている。
大体において、日本は前面に出て自己をアピールすることを恥と感じるのか政治下手である。そのような状態の中、トランプ大統領の強引ともいうべき米国第一主義が貿易摩擦を起こし、その余波や金利問題などによって経済界にも影響が出ている。

 いつの世でも、詐欺で人を欺したり不正で自己利益をもたらそうとする輩は多い。世界中でそうした犯罪者があの手この手の方法を考え人々を脅かしているのであるが、ことさら新手の事例が目につくこの頃である。

 昔から正直者は何時も損をするなどと言われてきたが、そう思って見ると世の中はちっとも変わっていないのだ。
自己主義を自分なりに人権尊重だと解釈して自由に振る舞う無責任な人が増えており、何でも自分の利になるようにと他を陥れる所作が平安な生活を脅かしている。
一時は権力主義が鳴りを潜めていたが、何処かで横暴でも民衆を引っ張る人が出てくれば、それをよしとしてあちこちの国に出現する。一般民衆はたまったものではない。地球上の国々に住む民は平等で安定した生活を望んでいるが、なかなか実現されないのを嘆くばかりである。

 一方、情報社会があまりにも発展し過ぎた現代では、先端を進める人々とそれ
についていきたくともいけない人々とのその差はどんどん広まっている。携帯電話一つで、何処でもいつでも好むものを注文し手に入れることができるようだが、私はそういうものを用いないし必要も感じない。
このようなシステムが発達していけば、いずれ人と人とがまともに交わることができなくなるのではなかろうか。いや、いまでもいろいろな事件の報道に接するに、既にそうなりつつあるようで危惧する。

 

『三十一文字の世界が伝える自然との共生』

 さて、『古今和歌集』(紀貫之ほか撰)の中に「やまとうたは人の心を種として、
よろづの言の葉とぞなれりける」(紀貫之)、つまり「和歌は人間の心をもとにして多くの言の葉になったもの」という意味のことが書かれている。

 人は自身の置かれたその時の状況に様々な思いがある。それを目に見えるものや耳に聞こえる音に託して言葉に表してきた。どんな人にも自然と共生する心があるものだが、いまはほとんどの人が自然との共生をしていないし、またしようとする思いすら持っていない。上手下手は別として、感じた思いを五七五七七の三十一文字に詠んでみること文明社会の便利さとは別の自然界に生きるということが多少でもできるのではないかと思う。五七五の僅かな言葉でつくる俳句も難しいが、いずれも自己の自然観を得るとともに知性を高めることができるであろう。だから私は和歌を詠み俳句をつくることをお薦めしたい。

 これは自分の体験からも言えるが、言葉の意義を理解することにより、自然との本当の一体感が生まれる。そうして感じた自然を介して、人と人との繋がりを再構築してほしいものである。