命を守る。行動を!(2019/9/1)

災害列島。備えあれば憂いなしだが、近年の災害は過去の経験値をはるかに超える被害を起こしている。「命を守る行動を!」

 昨年は愛媛でも南予を中心にいわゆる「西日本豪雨災害」に見舞われ、関連死を含め30名を超える死者も出し、災害復旧に全力で取り組んでいるものの、5年以上の歳月を要しても完全復旧とはならない見通しだ。

 予期せぬ出来事で尊い命を失っては、悔やみきれない悲しみを残す。気象予報でも災害予測レベルで、危険度を示して呼び掛けているが、決して軽視することなく受け入れ、事前に予防措置を取ることが大事で、何より自らの命や財産を守ることは自らの責任であることを肝に銘じて、行動することが必要だ。後で悔やむよりは事前に予防と対策を、空振りとなってもいいから準備することが大事です。

 先月お盆に台風20号が豊後水道を通り、日本海へ抜けるルートで通過し、激しい雨風が予想され注意喚起の予報がだされ、JRや新幹線も運休を事前に発表するなど対策されたが、幸い大きな災害に繋がることなく、むしろ準備が肩透かしを食ったような部分もあったが、小難で何よりだった。

 15日に愛媛県が主催する戦没者追悼式も20年で初めてのこととなったが、中止となった。残念だが皆さんも理解いただいたことだろう。いよいよ台風シーズンを迎え、後悔しないように備えをしましょう。そして近隣助け合い呼び掛けましょう。

 「命を守る」ことの対応には自然災害のみならず、人災もある、交通事故でも最近目につく報道が、「あおり運転」「高齢者のブレーキ踏み間違い事故」なども多く気をつけなければならない。また、以前は「5月病」といってゴールデンウィーク明けに、会社へ行きたくない、学校へ行きたくないなどの「引きこもり」に繋がる事象への対策がよく話題となっていたのだが、最近「9月1日病」という、夏休み明けに子供たちの中で「学校へ行きたくなくなる」自殺に繋がる事象の問題が取り上げられている。

 少子化・人口減少の中にあって、以前のように生存競争の激しい社会の荒波の耐えられないで起きる現象でもなさそうだ。色々な原因があるのだろうが、自分の心の中で、自分を見出せなくなって、悩みを抱え込んでしまうのだろう。秋は万物の「実りの秋」何事も充実してゆく環境を、みんなで育て守りましょう。

 誰にとってもかけがえのない「命を守る」ため、まずは自分の責任ではあるが、周囲にまつわる人々(社会)の責任でもある。「自分も他人もの幸せを願って」手を携えよう。

天は自ら助くる者を助く

月刊『致知」2019.9月号【巻頭の言葉】より引用 
數土文夫(JFEホールディングス名誉顧問)

『名著『西国立志編』が教えるもの』

 先の国会では、年金だけでは老後資金が約二千万円不足する、という金融庁の報告書を巡り与野党の議論が紛糾しました。

 政府は事態の沈静化に追われ、これを受けた野党の追及も表層的な与党批判に終始した感は否めません。国民の不安を書いたずらに煽るばかりで、今後の国民生活はどうあるべきかという本質的な議論に発展しない政治の現状況に、もどかしい思いを募らせたのは私ばかりではないでしょう。

 老後の生活を、国から支給される年金ですべて賄うことは現実的ではありません。ましてや、今後本格化していく人生百年時代においては、一人ひとりが他に依存せず、自力を尽くして物事を成し遂げていく精神が一層求められてきます。リーダーはこの現状を踏まえ、過度の依存心から脱却して自助努力の精神を取り戻す方向 へ 国民を導いていかなければならないと私は考えます。

 明治の新時代に、サミュエル・スマイルズの『セルフ・ヘルプ』を翻訳した中村正直の『西国立志編』は、日本人の精神を大いに奮い立たせ、あの福澤諭吉の『学間のす^ め』と並ぶ大べストセラーになりました。同書では、「天は自ら助くる者を助く」という格言を冒頭に掲げ、自助努力の重要性を次のように説いています。

「自助の精神は、人間が真の成長を遂げるための礎である。自助の精神が多くの人々の生活に根づくなら、それは活力にあふれた強い国家を築く原動力ともなるだろう。

 外部からの援助は人間を弱くする。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし、元気づける。(中略) 保護や抑制も、度が過ぎると役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである。(中略)

 確かに、法律がうまく施行されれば、個人は個人的な犠牲をさほど払わずに、それぞれの労働(精神労働や肉体労働)の果実を楽しむことができる。

 だが、どんなに厳格な法律を定めたところで、怠け者が働き者に変わったり、浪費家が倹約に励みはじめたり、酔っぱらいが酒を断ったりするはずがない。(中略)

 われわれ一人ひとりがよりすぐれた生活態度を身につけない限り、どんなに正しい法律を制定したところで人間の変革などできはしないだろう」(『自助論』竹内均 訳)

 幕末維新や敗戦といら大転換期に、私たちの先人は幕府や政府に不満をぶつけることの愚かさを自覚し、ひたすら自助努力によって道を切り開いてきました。いまの日本人にそのような覚悟はあるでしょうか。危機感を失い、恵まれた環境に胡座をかいていては、茹でガエルの運命を辿る他ありません。

  

『権利を主張する前にまず義務を果たすこと』

 かつて日本人が備えていた自助努力の精神は、戦後の権利意識の高まりとともに希薄になってきたように思われます。権利というものは本来、まず自分の果たすべき義務を十分果たした上で初めて主張できるという常識が、この頃はあまり通用しなくなってきていることが気掛かりです。

 十七世紀にメイフラワー号で大西洋を渡り、新天地アメリカへ移住したイギリスのピルグリム・ファーザーズは、一人ひとりが食料から労力、知恵に至るまで、持てるものをすべて供出してコミュニティの維持、発展に尽くしました。全員が権利の主張を後回しにして各々の義務を全うしたからこそ、今日のアメリカがあるのです。令和という新しい時代に我が国が明るい未来を切り開いていくためにも、私たちはいま一度、自助努力の精神を取り戻し、周囲に説き聞かせ、そして我が子や若い世代に継承していかなければなりません。

 今後本格化していく人生百年時代においては、一人ひとりが他に依存せず、自力を尽くして物事を成し遂げてゆく精神が一層求められてきます。