平成から令和新時代へ(2019/12/1)

天皇陛下がご即位を内外にご宣明

 「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら憲法に則り、日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓います。国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望する」

 先月にも10月22日に行われた天皇陛下「即位正殿の儀」でご宣明されたお言葉を、しっかり受け止め国民こぞって陛下の御心に体して、頑張ろうとの思いを述べさせていただいたのであるが、いよいよ年の瀬を控え、来るべき新しい年を迎えるに臨み、いま一度考えてみたいと思う次第だ。

 連日報道される事柄を見聞きするのに、国の行方を司る国会の様子はどうだろう。韓国・北朝鮮・香港これらの国際情勢をしっかり把握し、東アジアまた世界の平和と安定を維持するため、さらに経済環境もアメリカのトランプ大統領の「自国ファースト」思想がこれまでの貿易・関税の在り方をめまぐるしい変動に中止と対応も迫られている。なのに朝から晩まで先の「桜を見る会」の有りようを巡ってのやり取りが中心に動いているように見えるのだが・・・。不明朗であったり、不都合なことはよくわかった、「ならばどうする」の答えを早く与党も野党も導き出すべきだろう。

 25年ほど前にはGDP世界第2位と先進国としての目覚ましい我が国の発展が誇らしく、世界からも注目されていた、ところが今どうだろう2018年では26位で、アジアでもマカオ(3位)、シンガポール(8位)に大きく水をあけられています。またこの間には中国・インドを筆頭に新興国が国民の豊かさを大きく伸ばしています。雇用の形態にしても終身雇用の安定などは今や昔、正社員の比率は大きくは変わらないものの、非正規社員やパートでしのぐ状況です。

 またこどものみならず、大人も含め全国で100万人以上(500万人?との想定もある)の引きこもり者があると想定され、一人住まいの世帯も全国民世帯に25%を超えると言われる状況です。

 これらの状況下での推移を考えると、我が国の人口はこれから加速度的に減少し、あらゆる社会制度の維持が困難となって来ることは必定です。これらの問題はいまさらではなく、もう20年以上も前から予測を立てられ、対策の必要性を論じられてきたのですが、実効が反映されていません。政治統治力が置き去りにされ、解決策が先送り、後回しにされている結果です。

 皆さん令和の始まりです、挙国一致今勇気を持って取り組まなければなりません。昨日のことで悪者探しに明け暮れる愚行を改め、未来に安心を築くため叡智と勇気を振り絞り、協力と行動をしましょう。さもなくば子供や孫たちの日本社会は暗黒と化してしまいます。

 今年も色々ありましたがつつがないご越年と、みんなで希望溢れる新年をお迎えになることをお祈りいたします。

貨尽きて而る後に足らざるを知るは、
   これ量を知らざるなり ―『管子』乗馬篇

月刊『致知」2019.12月号【巻頭の言葉】より引用 
數土文夫(JFEホールディングス名誉顧問)

『政の要数値化に遅れた日本』

 古代中国·春秋戦国時代、百家争鳴といわれた時代の思想家群にあって、現実の政治のトップとして実務にも精通していたのは、斉の宰相。管仲唯一人でした。

 彼から遅れること百数十年以降に続く孔子、老子、墨子、荘子、韓非子らの学問が、君主をはじめとする上層階級の精神的規範、いわゆる人間学であったことに鑑みるに、厳しい現実を踏まえた管仲の思想は異彩を放っています。

 二千七百年前、管仲は国を富ます中心は農業であるとしながら、商業、流通、塩の専売、貨幣の統一等にも一大イノベーションを成し遂げています。「数値は政の要」として国の財政、国力を自ら精査しつつ、自らが仕える斉の桓公を春秋戦国時代の覇王にまで至らしめた力量は、並々ならぬものがあります。

 翻って、現代の日本。長らくその必要性が叫ばれてきたデジタル化に、ここへきてようやく本腰を入れて取り組み始めました。生産性向上、働き方改革に「必須欠くべからざるもの」との自覚が生じてきたからでしょう。国も企業も、IT、AI、DX(デジタルトランスフォーメーション)といった時代の趣勢に懸命に対応しようとしています。これらの基本、基点はあらゆる現象 のデジタル(数値)化ですが、残念ながら日本は諸外国に比べ大幅に後れを取っています。この三十年、手をこまねいてきたツケは大きく、多方面の挽回が必要と言わざるを得ません。

『デジタルデータが危機意識を育む』

 平成の初め、日本はGDP、企業の株式時価総額、学術論文数、特許登録件数等の国際順位でいずれもトップレベルにありました。しかし、三十年を経た現在は相当劣位にあり、国力の低下は数値から見ても明らかです。

 数値といえば、最近の国政選挙の投票率には強い危機感を覚えます。 民主主義国家において、投票権は権利以上に義務であるにも拘らず、かつての七十五%から近年は四十%台とひどい落ち込みようです。我われは何か大切なものを見失ってはいないでしょうか。

 先日、旧知のハーバード大学大学院教授·竹内弘高氏にそうした危機感を訴えたところ、強い賛同を得ました。その時の話の主旨は以下の通りです。
「我われ日本人は、ゆでガエルになってはいないでしょうか。カエルがゆで上がってしまったのは、自分が置かれた状況を客観的に測る温度計を持っていなかったからです。また、仮に温度計を持っていても、それが示す数値を見て、何を為すべきかを考えなければ結果は同じです」

 来年は、いよいよ東京オリンピック。パラリンピックが開幕します。出場する一流アスリートたちは、自身の成績を常にデジタル化し、ライバルと比較し、熾烈な戦いに勝ち抜いて代表の座を掴み取っています。客観的なデジタルデータをもとに、危機感を持って自分を磨き上げていく姿勢は、スポーツ以外の世界にも求められることです。
しかし平成の三十年間において、人生で不可避な競争が、過度に罪悪視されてきたことにより、日本人の精神が弛緩し、国力が大きく損なわれてしまったことは痛恨の極みです。

 管仲は説いています。
 「貸尽きて而る後に足らざるを知るは、これ量を知らざるなり」
 (商品やお金がなくなってから「足りない」と気がつくのは、時々刻々の需要量や必要量を把握してないからである)

 挽回不能になってからでは遅いのです。二千七百年前の管仲の教えは、人生百年時代を迎えている中にあって、国、企業、個人にも当てはまる普遍的な真理であります。