菅総理政権スタート!(2020/10/1)

安倍総理辞任表明を受け、政治空白を最小限にと自民党総裁選出を両院議員総会で地方票も加えて、選挙を行い「菅義偉」さんが選任された。続く国会でも内閣総理大臣の指名を受け、直ちに改革意識と実行力のある人を登用「組閣」、既得権益、悪しき前例主義を打破し、規制緩和を進める決意が示され、地方を元気にする『国民のために働く内閣』を標榜して政権をスタートした。

 今は、コロナ禍対策など未曾有の大事に政治的決断力が最も求められ、経済の立て直しや、国民の命を守るという大義の取り組みに全力を挙げて取り組まなければならない。

 この使命感の元「自民党」は素晴らしい理念と結束力で、「菅義偉」さん、「岸田文雄」さん、「石破茂」さん、の3名の候補者で総裁選挙を行い、日本経済や外交の安定化への推進に、安倍政権を内閣官房長官として2人3脚で支え、歴代最長の在任期間を有して国民からも支持され貢献した、「菅義偉」さんが、党内投票の70%を獲得する支持を得て、「自民党総裁」に選任され、国会でも第99代の内閣総理大臣に指名された。

 横浜市議会議員をスタートに政治と選挙に取り組み、国会議員となっても無派閥で活動歴の長い苦労人で、「改革意識」も強い人柄もでて、スタートした内閣支持率も非常に高い評価を得てスタートしている。

 政治に取り組む姿勢として、安倍政権政策を継承するものの、安倍政権で一部国民の目にもやもやさせた、行政組織の縦割りの弊害、既得権益や悪しき前例主義を打ち破り規制緩和を進める、と国民の期待に響く施政方針を示され、専門的な知識を持ちながら改革に意欲の強い人を内閣として組閣し、国民にもその姿がここちよく受け入れられてのスタートとなっている。

 ともかくコロナ対策は最大の課題であるが、経済社会の安定も絶対の課題だ。与党も野党もない日本の国会議員の度量と力量も問われる事態だ。そこに日本の運命がかかっているとの認識をもって取り組まれたい。

 秋も深まり、稲穂も垂れ、ミカンや他の果物も色づく良き気候となったが、運動会の行進曲のレコードもあまり学校から聞こえてこない。秋祭りの「だんじり囃子」の太鼓の練習の音色も聞こえてこない。何か物足りない「秋」だが、明日に向けての元気を失わないように頑張ろう。

 引き続きコロナ感染、インフルエンザ感染防止に気を付けよう

これを知るは これを行うにしかず 学はこれを行うに 至りて止む
    ~『荀子』儒效篇

月刊『致知」2020.10月号【巻頭の言葉】より引用 
JFEホールディングス名誉顧問 數土文夫

『実践こそが問われている』

 学び、知ることは大切です。しかし、学んだことを実践することのほうが遥かに重要です。学問は実践に至って初めて評価されます。実践されなければ確かなことは分からず、何も始まらないからです。このことを荀子は次のように戒めています。

「聞かざるはこれを聞くにしかず
 これを聞くはこれを見るにしかず
 これを見るはこれを知るにしかず
 これを知るはこれを行うにしかず
 学はこれを行うに至りて止む」
(何ごとに限らず、聞かないより聞くほうがいい。ただ聞くより見るほうがいい。ただ見るより分かるほうがいい。ただ分かるより実践するほうがいい。学問は実践に行き着かなければ意味がない)

 性悪説で有名な荀子ですが、彼こそ儒教の最も正統な実践者であり、現実直視派であると私は見ています。知識を口にすることは容易でも、実践は容易ではありません。実践には志と勇気、気概が必要です。

 二十一世紀に入って日本の国際的地位が低下しています。このことは、GDPをはじめ様々な統計数値に如実に表れています。私たちは、本当に必要なことを学び、精いっぱい実践してきたのか、いま一度胸に手を当てて考えなければなりません。

 世界はいま、新型コロナウイルスの対応に苦慮しています。在宅勤務や休業、廃業、失業を余儀なくされ、多くの人がこれまでの行動様式、思考法について再考を迫られています。各国政府は、感染防止と景気浮揚の両睨みで困難な舵取りを強いられており、学んだことを実行できない人、実行できないことを学んだと言っている人には、とてもリーダー、枢要の地位は務まらない状況にあるといえるでしょう。

『実践の気概に乏しいいまの日本人』

 こうした中で私の脳裏に浮かんだのが、山口良忠とソクラテスでした。

 山口良忠は敗戦直後の一九四六年、東京区裁判所の判事に就任。闇米等の所持による食糧管理法違反で検挙された被告人の事案を担当していました。配給だけでは生活できない時代にも拘らず、闇米を取り締まる自分がそれを食べてはいけない。自身の信念、立場上、食糧管理法を遵守し、そのため三十三歳の若さで餓死したといいます。

 ソクラテスは、紀元前四世紀初頭、言論、対話によってアテナイの若者をたぶらかしたとして民衆裁判で三百六十対百四十の評決で死刑確定。プラトンをはじめ弟子たちは、獄吏の買収や国外への脱走を勧めましたが、ソクラテスは弟子たちを制し、毒を仰いで刑に服しました。

 折しも、国会では検察庁法改正案が審議中でした。マスメディアに加えて主要な検察OBも、検察の“厳正なる”中立性、公正性、独立性等を保つためとして、また人事の介入にも繋がるとして本案に反対を主張していました。

 しかし、コロナ対策として三密回避が叫ばれていた中、検事トップと主要メディアの記者、社員計四人の常習的賭博が明るみに出ました。四人は起訴されず、いずれの組織内でも穏便に処置されました。当の四人はもちろん、各組織のトップも歴史が示す山口良忠、ソクラテス、さらには「泣いて馬謖を斬る」の事故を知っていたはずです。“厳正なる”の言葉はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 ソクラテスもプラトンも、実践が極めて重要であると説いています。そして実践に必要なのは、気概であり、道徳や倫理観であるとそれぞれ指摘しています。

 荀子とソクラテス、プラトンは奇しくも同時代の人です。二千四百年も前から人生の処し方の基本を説いていた先賢の言葉は、いまの日本人の実践力の乏しさ、そしてその背景にある道徳や倫理観、気概の欠如を痛烈に指摘しているようにも受け取れます。

 平和・安全・安心と、口で言うことは簡単です。ところが実践について日本人は口を閉ざします。その最たるものが「日本国憲法」ではないでしょうか。私たちは日本が安定した国だと思い込んでいます。しかし実情は極めて不安定であり、水温の上り続ける湯にのんびり浸かっている茹でガエルの姿そのものと言えます。

 政治・経済・社会・科学と、あらゆる分野で環境が激変するいまは、これまで以上の感度と意欲を持って学び、実践していくことでこれに対応していく必要があります。
「これを知るはこれを行うにしかず
 学はこれを行うに至りて止む」
 私たちは、いま一度この言葉を心に刻んで日本の現状を打開し、新しい未来を切り開いていかなければなりません。

 あらゆる分野で環境が激変するいまは、これまで以上の感度と意欲を持って学び、実践していくことでこれに対応していく必要があります。