自粛疲れの無きように!(2021/12/1)

コロナ感染11月は急に減少した。気を抜くことなく感染防止を食い止めよう!

 もう今年も最後の月となりました。新型コロナウイルスが昨年から世界中に蔓延し、これまでに我が国では約173.8万人が罹患、死者は約1.8万人、世界では約2億6千万人が罹患、約519万人の死者(2021年11月末現在)が出て、人流も停滞、勿論、経済活動も停滞やひずみを生じ大混乱が続いている。

 我が国では10月以後日増しに罹患陽性患者が減り、11月には全国でも連日の発表が3桁に数字で収まる状況となり、愛媛県でも0~1名と連日の状況が続くようになっている。(連日PCR検査は200人以上が受けているのだが)

 このまま、年末も過ぎ、新しい年には平穏な日常が取り戻せることを祈るばかりだが、また南アフリカで感染力の強い変異株「オミクロン株」が流行の兆しとWHOが発表した。
 
 我が国での患者の減少の原因は何かと尋ねても、確たる答えが返ってこないが、やはりマスク・手洗い消毒、ワクチン接種、3密の回避など、一人一人が気を付けていることが効果を生んでいるのだろう。ワクチンを3度目を打つとか、接種年齢を小学生まで下げるとか、色々な取り組みが検討されているのだが、やはり良いことにはみんなで協力が大切だ。世界で一番安全・安心な国を作り守ろう!

 総選挙を終え、第2次の岸田内閣もスタートし、今月は通常国会も召集され、当面の非常事態を生んでいるコロナ対策、国民生活や経済対策、減災・防災の国土強靭化対策、不安定化する外交防衛対策など、急ぐものは補正予算で速やかな成立で効果を発揮できるように、基本的には通常国会で国家予算や、法や制度の整備に取り組み、早く安心・安全な社会づくりに取り組まれたい。

 くれぐれも政治を個人(党)の売名的なパフォーマンスを優先するようなことなく、国家国民を守るという大義のための議論を重ねてほしいと願うばかりだ。

さあ皆で力を合わせ、改めるべきは改める勇気をもって、取り組み新しい社会システム構築にも取り組み、明日に希望が育まれ、安全・安心・力強い地域や国を作りましょう

 新しい日常とはどんな生活スタイルになるのだろう。こんなことも考えながら、今年を振り返り、新しい年を迎えよう。色々あってもつつがなく過ごせる幸せをかみしめよう。
子ども達が犠牲になるニュースにも接するのだが、悲しい。子供がいなくなれば社会が成り立たなくなる。社会を維持する宝なのだ。みんなで守ろう。

 つつがないご越年と、清新な新年を迎えられますよう、皆々様のご多幸をお祈りします。

10年樹木、100年樹人

月刊『致知」2021.12月号【巻頭の言葉】より引用 
アサヒビール社友 福地茂雄

『今日ほど人財が求められる時代はない』

 『10年樹木、100年樹人』(馬遅拍昌・著)という書籍があります。樹木を育てるのは10年、人を育てるのは100年を要するという意味だそうです。

 残念ながら今の国会議員の中には、隣近所の出来事や友人、知人の声には耳を傾けても、国家の経綸を語り、国家100年の大計を論じる人はあまり見当たりません。

 これはいまの選挙制度、特に小選挙区制度に問題があると私は思います。極端な言い方をすれば、小選挙区制度が導入されて以来、国会議員と地方議員の違いが見出しづらくなったように私には感じられてならないのです。地元住民の声を拾い上げて政策に反映する地方議員の役割は大変尊いものですが、国政を担う立場にある人がこうした地方議員に類するような仕事ばかりに汲々とし、国家的な視点を見失っているようでは、国の行く末が心配です。

 かつてアサヒビールの中間管理職を務めていた頃、「部下の仕事は取るな、上司の仕事を取れ」と教えられたことを思い出します。同じ意味ですが、「将来を期待する社員には“大きな着物”を着せよ。“窮屈な着物”を着せると人間までが小さくなってしまう」とも言われたものです。これは社員の視野を広げ、器を大きくして人財を育成するのは経営者の役目のひとつであること、つまり「100年樹人」という視点の大切さを示していると思います。

『人づくりには教師が重要な役割を果たす』

 私は、福岡県立小倉高校時代に教えを受けた教師を“恩師”と呼んでいます。私の座右の銘は、いずれもその3人の恩師からいただいたものです。

 こうした尊い教育者と比較すると、この頃のマスコミを賑わしている“わいせつ教員”に人を導く資格があるとは思えません。先日の新聞の見出しには「わいせつ教員数、高止まり」と書かれていました。わいせつ教員対策法なるものを国会で審議しなければならないとは、何と恥ずかしいことでしょうか。

 教育では、知識を教える知育ばかりでなく、人格を養う徳育が大切です。残念ながら今日の生徒、学生の多くには、“恩師”と呼べる存在が見出しづらいのではないでしょうか。徳育を実践する器量を備えた真の教育者を育てるのは、教育大学、教育学部の重要な役目です。

『学校と共に大切なのは家庭での徳育である』

 私の子供時代、父親には先祖を大切にすることや、風呂の掃除、廊下の拭き掃除、玄関の掃き掃除をすることを厳しく躾けられました。そして。母親には日々の予習復習から学芸会の準備、読書に親しむことを教えられてきました。両親にとって子供に教えることは大切な仕事です。

 ところが今は子供の教育を放棄している親が多いことに私は強い危機感を抱いています。

 去る8月中旬の『日本経済新聞』に、中国では「家のしつけ法律化―『片付けは自分で』学校にはまかせず」という記事がありました。教育、とりわけ大切な徳育は、幼いうちに家庭でしっかり為されてこそ、その人を生涯支える人間的基盤が養われるのです。

 明治の元勲と呼ばれる先人は、「鉄は国家なり」を合言葉に鉄鋼業を、「海洋日本」を謳って造船業を輿し、「法治国家」といわれるほど法制度を整備して議会制度をつくり、世界有数の識字国家として「読み書き算盤」に「修身」を中心とする徳育制度を樹立しました。私が子供の頃には、国土は狭いが国力は大きい「世界の1等国」としての自負がありました。

 いま求められる人財は、自分の専門分野のみに精通した、切れ味のよい「カミソリ型」ではなく、人間力の備わった、たとえ切り口は鋭くなくとも大木をなぎ倒す力を持つ「ナタ型」ではないでしょうか。

 国家100年の大計が求められる今日、改めて「100年樹人」という言葉を心に留め置きたいものです。

 教育では、知識を教える知育ばかりでなく、人格を養う徳育が大切です。